戦略と戦術-Uクラウゼヴィッツ著 「戦争論」岩波書店 上下2巻
戦争は、その本来の意義から言えば、闘争である。
闘争こそ、広い意味で戦争と呼ばれているところの多種多様な活動を貫いている
唯一の有効な原理だからである。
ところで闘争はまた精神的および身体的諸力の調和的活動であり、
この活動はもっぱら身体的諸力によって遂行される。
しかし、この場合に精神的諸力を除外することは許されない。
心の状態は戦争において使用される諸力に決定的影響を及ぼすものだからである。
闘争は武器と装備とを、闘争の性質に適合するように規定した。
するとこのように規定された武器と装備とは、逆に闘争の仕方に変化を与えるのである。
こうして両者の間には交互作用が成立する。それにも拘らず、
闘争そのものは依然として独特の活動である。まして闘争の本領が極めて独特の領域、
即ち危険と言う領域にあることを考え合わせるならば、
かかる本領においてのみ行われる闘争はますます独特の活動でなければならない。
闘争における戦争指導には、まったく種類を異にする二通りの活動が生ずる。
即ち第一は、個々の戦闘をそれぞれ按配し指導する活動であり、
また第二は、戦争の目的を達成するためにこれらの戦闘を互いに結びつける活動である。
そして、前者は「戦術」と呼ばれ、後者は「戦略」と名づけられるのである。
これをより具体的に展開するなら、
「戦術」は、戦闘において戦闘力を使用する仕方を指定するものであり、
「戦略」は、戦争目的を達成するために戦闘を使用する仕方を指定する。
このように戦略と戦術とは、
空間的および時間的に互いに交渉しあう二種の活動であるが、
しかし、また本質的に異なるものでもある。
戦略の旨とするところは、戦争の目的を達成するために戦闘を使用するにある。
それであれば、戦略は全軍事的行動に対して、
戦争の目的に相応するような目標を設定せねばならない。
言い換えれば、戦略は戦争計画を立案し、
所定の目的に到達するための行動の系列をこの目標に結びつけるのである。
即ち戦役は、個々の戦役の計画を立て、
またこれらの戦役において若干の戦闘を按配するのである。
戦略における重大な決意には、戦術におけるよりも遥かに強固な意志を必要とする
といえば、あるいは奇異に聞こえるかも知れない。
しかし、戦争がいかなるものであるかを戦略と戦術との関係において熟知している人には、
このことは疑いのない事実である。
戦術においては、事態は刻々に変化するから、
将帥はあたかも渦巻きの中に引き込まれているかのように感じるわけである。
もし彼がこの渦巻きを乗り切ろうとすれば、極めて危険な結果を招くことは明らかである。
それにも拘らず彼は、さまざまな危惧の念の募るのを努めて抑制し、
勇を鼓して闘争を遂行すればよいのである。
これに反して戦略においては、一切が緩慢に経過するから、
その間に将帥ならびにその部下の心に生じる危惧の念、外部からの異議や非難、
更にまた詮無い後悔の念等が、戦術におけるよりも遥かに甚だしく心を煩わすのである。
更にまた戦略においては、戦術におけると異なり、
自分の目で直接に見ることとの出来るものは、精々事態の半ばに過ぎない。
それだから将帥は、自余いっさいのものを推測し推定するよりほかに途がなく、
したがってまた確信も揺るがざるを得ないのである。
こうして大方の将軍は、まさに行動すべきときに臨み、
理由のない危惧の念に悩んでついに好機を逸するのである。
<ひとこと>
前段で申しあげましたように、「戦争論」から単純に抜粋したに過ぎません。
その意図とするものは、
テニスの指導の中で心理面の必要性が言われているにも関わらず、
なかなか定着していない現実を憂うため、
その根本となる「戦略」と「戦術」の基本的な考え方を振り返るのも
良いのではないかと思ったからです。
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