NO-12
いよいよウインブルドンが始まりました。そして、開始と同時に衝撃を与えられたのは、
アンディ・ロディックの最速サービスでした。身長は外国人として特別大きくはなく、
どこからあのスピードが出るのか不思議な思いをしています。
結論的には、人並みはずれた背筋力の強さとの説明がありました。
それにしても、時速220K前後の猛スピード・サービスは人間業ではない感じです。
実際にコートへ立つとそのスピードは際立っていると思われます。
ボールが叩き潰されるような音に恐怖心すら感じました。
果たして、背筋力だけでこれほどまでのスピードが出せるのか?
フィジカル面の専門家ではありませんから分かりませんが、
TV放映のハイスピード撮影のラケットのしなりや、急激なリストワークを見ると、
全パワーが打球点に集約され、まるで唸りを生じているように感じました。
いままで男子のシングルスでは、サービスのエース獲得の作業のようで、
あまり興味は無かったのですが、彼のサービスはそれらを超えて、
見るものに訴えてくるものがあります。
もっとじっくりサービスを見つめていたいと思ってしまいます。
このような選手を年々輩出する、ウインブルドンという舞台も素晴らしいものと
感心しますが、参加する選手達がその中で自分のプレーを精一杯しながら、
それぞれが次への希望を胸に秘め参加しているのは素晴らしいことだと思います。
NO-11
先日のTVを見ながら、サッカーファンのみならず、周辺の人達に対する
ベッカム選手のプロ根性を垣間見ることが出来ました。
これはやはり生活環境の中で培われるものであり、一朝一夕に出来るものではないと
痛感しております。日本人にそれが出来ない理由として、”照れ”があるからと
言われますが、突き詰めて言えば自信のなさから来るものでしょうか?
自信があっても、謙譲の美徳という奥ゆかしさをそこに見い出そうとするだけに判断が
難しいのでしょうか。
日本人の笑いには心のそこからの笑みがないとも言われます。
些少の感情からその笑みが凍りつくことがあるようです。
国民性は致し方ないのかな・・・・とも思います。
その点では外国人は屈託がないというか、天真爛漫なところが随所に見られ、
本当に喜んでいるんだと一緒に喜べるところがあります。
同じ人生を歩んでいて、日本人は損しているなと思います。
不可解な笑みは永遠に謎かも知れません。
昔から日本人は、笑みを威厳のないものとして扱ってきたように思われます。
簡単に笑うと、人となりを軽く見られるという気持ちがあるようです。
大事なのは心の中に存在する、その人そのものではなければならないのに、
それは二の次になるようです。今回のベッカム選手の笑顔を見て素敵だと思わない方は
いないと思われます。それはベッカム選手がサッカー好きで、その競技に参加している
選手として認めているからではないのでしょうか?
プロとしての実力を認め、それによって形成される周辺の状況からの判断が、
いま彼を支持しているのではないかと思われます。
その上に立つ彼が、自分の収入のベースとなるサッカーを含めた諸状況の上で、
微笑を絶やさないのは素晴らしいことだと思われます。
早いものですね。ウインブルドンも始まったなと思うまもなく終わってしまいました。
相変わらず試合が進むにつれて過酷な内容になっています。
ロディックのあの強力なサービスでも相手によっては勝てないんですね。
総集編を見ましたが、日本人プレーヤーの勝利の時の笑顔は本当に良いですね。
実際には壁が厚く上位への進出は大変なようですが、
浅越が言っていたように如何に自分のテニスをするかでしょう。
これは技術面だけではなく、メンタル面の強化とも関連がありとても大切だと思います。
トップニュースは、文句なく女子ダブルスの杉山優勝でしょう。
プロだから致し方ないのでしょうが、パートナーは日本人同士でという思いがあり、
喜び半ばの心境でしょうか?しかし、勝たなければどうしようもない世界ですから、
後続の女子選手に頑張って欲しいと願うしかありません。
男子では、スイスのフェデラーがシングルスで優勝したのは何にもまして嬉しいですね。
今までのパワーテニスから、多少の変化を期待できるのではないかという思いがあります。
彼が全盛のサンプラスを破った試合は語り草になっていますが、
あのときのテクニシャンが舞い戻ってきたわけです。
バックのレシーブはボールとのタイミングで、
うまく合えばドライブで返球していましたが、
殆どはスライスで返球していたのが目に付きました。
いままで地上波のTV観戦だったので、ダブルスは殆ど見ていませんでした。
今回のダブルスで意外と面白かったのはミックスドダブルスでした。
男性の方へ負荷が掛かる分面白いのかも知れません。それにしても、ダブルスで
感じるのは、勝つために必要なものは、スピードだけではないということでした。
ラケット面活用の面白さを随所に見せてもらいました。攻めるにしても守るにしても、
実に多彩だなと感心しきりというところです。
一番目に付いたのは、フットワークの素晴らしさでした。
足の運びは寸分なく基本どおりのものです。ですから見ていて危うさがない。
実に安定感のあるプレーをしています。反応がすばらしく早いです。
ついでサービスは回転を掛け、その強弱で相手にプレッシャーを与えています。
確かにスピードサービスは威力があり魅力的ですが確実性に欠けます。
しかし、回転を掛けたサービスはプレースメントの的確さで優位に立っていると思われます。
これが逆に相手へプレッシャーを与えているのは間違いないでしょう。
ネットに沿ったアングルショットは、それを打つことで相手のボールをチャンスボールに
換えてくれます。これは決して強打してなしうるものではないのです。
ストロークで目に付いたのは、バックスイングの小さいことと、
ボールに力を与えるためかフォロースルーが大きいと感じました。
後ろを小さく前を大きくを間違いなくやっていました。
ナブラチロアの活躍はお見事というしかありませんね。
フォームの変化は感じられず、その動きには素直に感動しました。
あれだけの動きをするからには、日頃からトレーニングを欠かしていない証拠でしょう。
☆杉山選手のウインブルドン・女子ダブルス優勝はまさに快挙です。
本当におめでとうございます。これを契機にダブルスの良さを皆さんにもっと知って
欲しいものです。パートナーに恵まれたとはいえ、ダブルスはコンビネーションです。
それに記者会見での笑顔が素敵でした☆
ウインブルドンで快進撃を続けた浅越選手が、
”調子のよいときは身体が軽く、思うように動けるから疲れることも無い”と頑張ったが
あと一歩及ばなかったようです。上に行けば行くほどその差は歴然としてきたのは
止むを得ないことでしょうか?その違いはやはりサービス力でしょうね。
スピードもさることながら大事なのは1stサービスの確率を高めることしょう。
2ndサービスになると確実に踏み込んでくるだけに、この違いは大きいと思われます。
次いでプレスメントで、(ワイド)(センター)(ボディ)の三方向について
相手のポジションだけではなく、自分の得意なものも作らないと優位性は保てないと
思われます。トップスピンを得意とする選手は、
腰より高いボールを打つことが多いのですが、それだけにスピンサービスで余程の回転が
掛からないと思うように返球されてしまいます。
やはりスライスサービスをワイドに使用するのがベターではないかと思います。
このように世界の最高レベルの選手を見て感じるのは、とても参考になるものが多い
と言うことでしょう。これは当然ながら一流選手が実行してることは、
即実行するべき技術であると思われます。
ウインブルドンは今の時期雨季となるのでしょうが、試合が中断され何時間も
待たされています。この間の悲喜交々な出来事は、結果として同情に値するがあります。
この中でメンタル面がどれほど影響するか?
またその中でこれくらい明確な表情を見せるスポーツも少ないのではないでしょうか。
ウインブルドンの芝コートを見ながら思うことがあります。
あの試合中の降雨による作業の素早さ、的確な処置全てにおいて見事
と言うほかありません。そのような管理をしながらでも、初日の芝の素晴らしさを思うと、
最終日の傷み方は残念でなりません。天然である以上致し方ないでしょうが、
相変わらずとはいかないのでしょう。同じコートで闘うのですから条件は同じ
であるはずです。だからといって剥げてしまったコートでの素晴らしいプレーを期待する
我々からみれば、如何にも選手には気の毒とか言いようが無いのです。
恐らくボールが接地する場合も芝と土とその境目とはそれぞれバウンドが違うはず、
それに伴い当然のように選手の動きも微妙に違うと思われます。
何とか初日の素晴らしさを最後まで保持できないのかと思うばかりです。
最近のサーフェイスは、オムニが大変な勢いで伸びています。
私はクレーコートで育ちましたから、あの軟らかさにテニスとフィットしたものを感じ
ますが、これも最近では維持管理が大変なようです。
しだいにハードかオムニへと変更しているようです。
このコートのサーフェイスは選手の健康管理に大きなウエイトを与えていると思います。
クレーやアンツーカーが全盛の頃は足の擦り傷は絶え間が無かったのですが、
それが足の骨にまで影響するのは殆ど無かったのです。
しかし、スピード時代に呼応するようにハード・コートが誕生すると途端に
外観の擦過傷より、内面の関節炎や疲労骨折に近い状態が発生しているようです。
最近のプロ野球選手の怪我が多くなり、長期化するのはすべて人工芝によるものと
言われています。ボールを追いかけての急激な停止やターン等はショックを吸収してくれる
コートやグラウンドなら良いのですが、それを跳ね返す勢いのあるサーフェイスでは、
その煽りは人間の身体へそのまま影響するのではないかと思われます。
競技する上で最高の舞台を設えるのは絶対に必要だと思います。
しかし、出来るなら競技する人に優しい、素晴らしい成績が期待できる環境を作るべき
ではなでしょうか。そういう意味では頑なに芝のコートを続けている
ウインブルドンは貴重な存在かも知れません。
最近、試合を見て感じるのは、審判の方法が雑多であることでしょうか。
それだけに選手の審判に対する態度や、選手に対する審判の態度が、
遊びの延長ではないかと気になるほど好い加減です。
特に顕著なのは、試合中ポイントが決まるたびに行われる選手間のハイタッチでしょうか。
前衛と後衛が離れた位置から近寄りまた離れる。すべてのポイントにこれではゲームの
進行がスムースにいかないし、そのたび集中力は切れてしまいます。
加えて女子選手に多いようですが、ポイント毎の話合い、20秒間をフルに使って
何が悪いと言いたいところでしょうが、
ルールブックを読んでいない証拠が歴然としています。
文句の言いついでですが、これらの行為に対して審判が何も言わない?
恐らく気持ちの中では早くして欲しいと思っている?のでしょうが、
現実はそのままゲームは進行しています。そこには審判や相手に対する思いやりが欠けて
いるように思うのは私だけでしょうか?
ゲームが自分たちのプレーだけで成り立っていると考えるのは大きな間違いです。
審判も、なぜストップウオッチを持っているかを考えて欲しいですね。
試合前やチェンジコートの時間を計るだけではないのです。
◆<規則 30>◆ 連続的プレーおよび休憩
1)プレーは、最初のサービスから試合終了まで、連続的に行う
5)プレーヤーは、自分の体力、呼吸または体調を回復させようとして、
決してプレーを中断し、遅延し、または妨害してはならない。
6)日本国内で行われるトーナメントについて、ボイント間(1つのポイントが
アウト・オプ・プレーになった瞬間から、次ぎのポイントのポールを打っまで〉の
時間を20秒と規定する。ただし、プレーヤーは、この20秒を休憩の権利として
行使することは許されず、意識してポイントごとに20秒を使うプレーヤーは
「連続的プレーの違反」として罰則の対象となる。
違反者に警告を与えた後、失格させることが出来る
後輩の定期戦が行われるというので出掛けました。学校のコートは男子が使うからと、
女子は市民に開放されているハードコートでやりました。
しかし、前日の雨で学校のコートは使えず、男子は試合が出来ないため女子の試合の
応援に駆けつけたわけです。ここまでは部活の団結と和を象徴するような和やかな雰囲気で
行われました。
しかし、試合が始まるとそれが一変しました。ゲームが始まったら、
さすがにラリー中は沈黙でしたがポイントが決まると、次の動作を起こすまで
4・50人の両校の男性応援団の怒号が、試合終了まで延々と続いたわけです。
学連の指導で応援のスタイルも変わったと思いましたが、試合を静かに見守るという
雰囲気は霧散してしまったのです。観戦に来ていた他の先輩が周囲の後輩に注意を
しましたが、違う場所へ回り同じことを繰り返していました。
懐古趣味ではありませんが、私は拍手で充分に応援者の気持ちが伝わるものと
認識していました、それも味方や相手の区分なくファインプレーには惜しみない拍手をして
称えるのがテニス道だと思っていました。
今回の応援で更に気分を悪くしたのは、使用しているコートが学内のコートではなく
一般の方も使用しているコートだったことです。
大学生ですからすでに成人を迎えた年齢の子もいるわけです。
まるで自分の庭先でやっているような非常識な行為は許せないと感じました。
また、注意をしても他所で平気で行う気持ちが理解できなかったのです。
このような後輩を生んだ我々先輩にも責任の一端は当然あると思っています。
考えなければならないことです。女子が精一杯闘って強豪の相手校に勝っただけに、
残念な思いがしてならない一日でした。
私たちの傍を通り過ぎながら、父親と話していた小学4年位の女の子の会話は・・・・
「お父さん、あれ何?」
「応援かな」
「迷惑じゃん」
これを彼らはどのように聞くでしょう。
大人の多言より僅か数語の中に彼女の気持ちが精一杯出ていると思います。
大学生が何故迷惑という言葉に気づかないんでしょう。
後輩の至らなさを書いてしまいましたが、学連自体も応援の形態を再考して欲しいと
思います。ルールの徹底を含めてフェアプレーを尊ぶテニスにして欲しいです。
周囲を無視したマスタべーションが、社会へ受け入れられるはずがないのですから。
高校総体の個人戦女子ダブルスを観戦に行きました。その日試合前にコートでは
参加校の選手と先生が集まって審判の講習会を行っていました。
最近 Best of 3SetMatch・・・というコールが滅多に聞けなく
なっただけに試みとしては良いことだと思います。
観戦していてもジャッジやコールがなくスコアが分からないケースがあり、
審判の動作は明確にしたほうが良いと思います。
選手にもルールの一端として認識させるべきです。
ただ、心配なのはセルフジャッジに慣れているため、ボールの「イン」 「アウト」の
判定が審判のコールより選手の方が先行する傾向にあり、
審判とのトラブル発生の原因にならないかと心配です。
さて、その後の試合で実感したのですが、
私が正しいというのではなく、方法論としての判断を少し述べてみたいと思います。
まず、セルフジャッジが主体のゲームと、主審のコールを優先させるゲームとの違いを
どの程度認識させているのでしょうか?次いで盛んに注意をしていましたが、
声が小さいということ。勿論大きな声で明確に発言するのが良いのは当然です。
しかし、女生徒にすればそれが限度一杯かも知れないのに、男子先生の大きな声で模範を
示しても納得はいかないでしょう。
それからゼスチャーですが、セーフの判定を何故するのでしょう。
判定には「イン」「アウト」が全てですから、これをすると選手はすべてのボールに対して
注意をしないといけなくなります。判定はあくまでも「アウト」に対してのみ行われる
ものであり、セーフの場合のゼスチャーは意味がなく、混乱させるだけのものと思われます。
イギリスの名評論家バーナード・ダーウインの書いた「練習論」にある言葉から
ピックアップしてみました。練習のやり方には四種類ある・・・・。
? むやみやたらと練習するもの
? 賢明な練習をするもの
? おろかな練習をするもの
? 全く練習しないもの・・・・である。
私は選手の欠点を発見する、またチェックする方法として試合を見ることにしています。
練習では中々探し出すことは難しいものです。何故なら試合をするため、
試合に勝つために練習しているわけですから、その選手が試合でどれほどのプレーが
出来ているか、そのためのベースとしてどの程度の基礎が出来ているのか知る必要が
あるからです。これは試合を見ることで初めて明らかになるものと確信しています。
そこで発見した欠点を是正するために練習が行われるのです。その意味からも、
どのような練習をするかは非常に大切なものとなります。
ゴルフのスイング理論で知られているアーネスト・ジョーンズは、
「ゴルフコースは、スイングの欠点を発見するところであり、練習場はスイングの欠点を
直すところである」という名言を残していますが、
これを読んだときわが意を得たりと思ったものです。
このように練習もただむやみやたらとボールを打つだけではなく、自分の欠点を
矯正するという明確な目的を持ってやらなければその効果は薄いと思われます。
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