NO-123
有名な人と普通の人を分けるのは、何かに打ち込んだ量の差だと思う。
・・・イアン・ソープ
このような言葉が、天才と言われる選手から発せられると、成る程なと感じます。
それは天才ですら、それだけの努力をしている。いわんや凡人はなお更と考えるからです。
しかし、天才と言われる選手も、自分がそう思っているのではなく、
周囲の同じ人間が、自分の力では考えられない記録に驚き、
その評価が天才という表現に戸惑っているのです。
自分は天才ではなく、人に負けまいとして努力した結果に過ぎない。
その努力を蔑ろにして、天才と言われるのは心外だと思っているのではないでしょうか?
確かに、天才と言う表現の中には、凡才は決して追いつけないニュアンスを感じます。
それだけに、天才と言われる選手には不本意なのではないでしょうか。
イアン・ソープ選手の言葉の中に、その気持ちが窺えるのです。決して私は天才ではない。
努力の積み重ねで、この地位まで来たのだと言いたかったと思います。
それを敢えて努力と言わないで、何かに打ち込む量と表現したのは、
彼の人となりを表したものとして、人間性の素晴らしさに心から敬意を表したいと思います。
心底努力した人は、謙虚な姿勢を貫くものです。その大変さを知っているからでしょう。
形だけのパフォーマンスに浸っていては、決して到達できない境地と思います。
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