NO-17
サービスのチェック方法は、いろいろあると思いますが、
私の場合はサービスラインの延長線上に位置します。
基本的にサービスの善し悪しはトスにあると思っているからです。
トスの陥りやすい問題点は、
前傾姿勢を取ってボールにパワーを伝えなければならないのに、
それを考えていないことでしょう。何故ならトスの位置が打球する位置と考えるから、
打球点が遅れてしまっているのです。
この原因は、軸足である左足(右利き)が構えた位置から前方へ移動するためです。
これを充分に掴めていなければサービスのスイングが出来ません。
このチェックをするために、先の位置からトスの状況を判断します。
単純に言えば前傾姿勢を取ったその姿勢の先にボールがある感覚が大事なのです。
いままで多くのサービスを見ましたが、一番多いミスは頭の上かややもすると
後方へのトスでしょう。二番目がトスの低さです。空振りを怖れるのか?
回転を必要とする2ndサービスでは逆にトスが高くなります。
これは2ndサービスでは強打せず、
安全に入れるを目標とする心理的な安心感によるものかも知れません。
このようにトスをチェックすると、サービスのフォームの改善は手早く出来ます。
勿論、全体的なスイングのフォームも大切ですが、
トスの大切さを重視して頂きたいと思います。
次は、軸足の固定です。
全体を一つのリズムと考えた場合、テンポよくスイングするなら、
固定させることは困難です。これは実際にそのような動作を試みればよくわかります。
ここで必要になるのがパワーを一気に爆発させる壁の必要性と作り方になります。
表現を変えれば、
軸足を固定させる事は身体の左側に壁を作る為の準備だと理解して下さい。
最初は窮屈さを感じるでしょうが、
それを解き放つことでパワーがボールに伝えることが出来るのです。
テニスの試合で、唯一自分のパワーを安定させ発揮できるのは
サービス以外にはありません。それは最初から自分が始動の基になっているからです。
他にもチェック項目はありますが、取りあえず、「トス」と「軸足の固定」を
再考するだけでもサービス力に格段の成長を期待できると思います。
NO-16
試行錯誤という言葉があります。
これはコーチとして忘れてはならない言葉と思っています。
勿論ベースになる信念がこれで揺らぐようでは困るのですが、
揺るがないまでもそれに近い振動を与えてくれ、ひいては自分を変えることにも
繋がるのではないでしょうか。
例えば、選手の指導も10年・20年と言う長いレンジで考えると変更せざるを得ない
場合があります。20年前にこの作戦で優勝したから、あくまでもそれを踏襲し続けると
言う考え方も、敢えて否定するものではありませんが、
周囲の状況を見ながら変化を与えないと、気づいたときには遅かったと
反省することになります。
本来、試行錯誤は悩みに悩んで結局解決の目途が立たないときに
使われるように思われます。実際には、
「結果の成功を初めから期待するのではなく、失敗を重ねながら効果を収めること」と
解釈されています。このように、失敗を重ねることによって悩むのが大切だと思うのです。
悩むから解決の方法を模索するのであって、そこから新たな道が開けると思っています。
悩まない方は相当な自信の持ち主だと思います。それはそれなりに立派だと理解します。
しかし、自分が頂点にいると思われるのは自由ですが、それはあくまでも自分自身の
問題であってそれを他へ押し付けてはいけないと思うのです。
コーチは信念を持たなければいけません。これは大前提でしょう。
自分自身の中で葛藤を怖れてはいけないのです。それでもし修正を必要とするなら
潔く行うべきです。”俺について来い”が、いままでのスポーツ界の中心でしたが、
いまや時代が変わり個性の時代です。
それであれば、コーチの考え方も千差万別でなければならないのです。
競技に対する考え方も十人十色なのです。それを充分に認識しないと
コーチは選手から疎外されるのではないでしょうか。
一方、これからは選手に対し、技術面だけの指導ではいけないと思います。
従来はコーチ制は殆どなく、先輩による伝統指導が主でした。
その中では押し付け教育もある程度の効果はあったのです。
しかし、現在ではこの方法は通用しなくなっています。
最近、しきりと見直されているメンタル面の強化を含めて、選手が今後社会人として、
常識的な行動が出来る素地を作ることも求められているのです。
競技を通じて得た相手を思いやる気持ちは、選手にとって素晴らしい財産だと思います。
この気持ちがあれば社会人として立派に成長すると思われます。
NO-15
大学の後輩の練習を時々見に行きますが、新入生の参加がいつも楽しみです。
ただ、そのスタイルには、若さをそのまま表現している反面、がむしゃらなプレーが
目立っています。それはそれで良いのでしょうが、そのときいつも感じるのは
高校での指導です。コーチの内容がどのようになっているのかという疑問があります。
例えば、かなりレベルの高い選手でも、サービスでの軸足の移動(動き)が
何の抵抗もなく為されています。ために身体を使ったスイングが出来ていないのです。
結果としてすべて手打ちになっています。若さの勢いで8ゲームくらいなら、
そのスタイルで凌げるのでしょうが、大学へ入ると3セットゲームが増えます。
そうなると忽ち馬脚を現してしまうのです。グリップやスイングはそれぞれ特徴が
ありますから、コーチも数多い選手のすべてに目を配るのは大変だと思います。
しかし、一番基本的な軸足の使い方についてこのような指導の仕方では選手が
育つかなという危機感があります。
コーチとして選手に対処するとき、一番厄介な問題点は”癖の修正”では
ないでしょうか?身についた癖は簡単には直りません。
サービスのようにある程度固定化できるものは差ほどではないのですが、
ストロークやボレーのように動きが加味されると癖の修正はより難しいものとなります。
NO-14
ウインブルドンで戦った日本の選手が、揃って口にしたのは自分のテニスが
出来なかったという内容でした。しかし、それについてある選手が「本当は自分の
テニスがどのようなものかを把握していない面もある」とも言っていました。
よくたとえ話でプレッシャーの話が出ます。そのときプレッシャーはないとか、
感じていないと言ったときには、すでにその選手はプレーシャーに犯されているとも
言われます。知らない間に選手を訪れ知らない間に去ってゆく、極めて不可解なものが
プレーシャーというものだそうです。
自分のテニスをするということは、
単純に言って勝った試合は殆どがそのように言われるものでしょう。
自分のペースで試合が出来るから勝てるのではないでしょうか。
実力が拮抗していればいるほどそれは顕著な動きをすると思われます。
互いに自分のテニスを如何にこの試合で発揮できるかに注力することが
必要になってくるのです。
そのような論理で行けば、互いに自分のテニスをしているわけですから、
それに負ければ当然ながら相手より弱いことになります。
味もすっぽもない文章ですが、負けず嫌いがこのような発言になるなら良いのですが、
相手を認めず自分のテニスが出来なかったとのコメントは、
スポーツマンらしさがないと思われました。このような考え方でいると、
いつまでたっても自分を追い詰めるだけで。余裕のある試合は出来ないのではないかと
危惧します。冒頭に掲げた北島のコーチの言葉は、
上記の全てを包含しているのではないかと思います。
自分のテニスとはその試合に賭ける自分のスタイルそのものではないでしょうか?
自分のテニスとは自分の実力に他ならないのです。
人間がプレーしていますからメンタル面が左右することも多いでしょう。
しかし、それらを含めて自分の実力なのです。
自分のテニスが出来なかったのも自分の実力なのです。そこまでが実力なんだと
素直に認める事によって自分と対峙出来るのではないでしょうか?
いまは打球ごとに声を出す選手が増えています。
これも自分を励ますものだと思えば納得もしますが、
アイスドールと言われたクリス・エバートの冷静なプレーや、
16歳でチャンピオンになったヘレン・ウィルズは当時ミスオーカーフェイスと
言われていたようです。メンタル面の更なる強化が望まれる時代かも知れません。
NO-13
選手にどのような指導をしたら良いのか?
これはコーチにとって大きな悩みだと思います。
何はともあれ良い素材に出会うことが一番でしょう。
その上でコーチの為すべきは、あくまでもレベルアップの手伝いをすることであって、
決して自分の考えや理論を押し付けるのではないのです。
大事なのは、いつも選手を見ていなくてはならないのです。
選手の優れたところを見い出し、それを更に磨くことで自分自身もレベルアップ
しなければならないのです。自分を絶対だと思い込むのは、自信を持つために必要です。
しかし、それは自分だけに留めておかないといけないのです。
他の選手に押し付けるものではないのです。
自分自身も切磋琢磨してレベルアップしなければなりませんが、
それ以上に選手がレベルアップすることを先ず考えなければならないのです。
コートサイドでプレーを見てくるれるだけで、全力を注ぐ気持ちにしてくれるのが
最高のコーチではないかと思います。
そのためにも、互いに話し合って目標を定め、それに向けてどのようなステップで
進捗するのか、途中での修正をどう行うのか?細かいチェックがあって初めて
目標を設定した効果があるのです。目標のない計画は、羅針盤を持たない船と同様で、
そこに必要な方向性を持つことが出来ないわけですから、
結果が実のあるものになるはずがないのです。
よく二人三脚と言いますが、これはあくまでも信頼関係を意味していると
考えるべきではないでしょうか?心理学で「ラポールの絆」というのがあります。
”共感的信頼関係”と訳されています。
心と心の繋がりがあって初めて人は胸襟を開くのです。
信頼関係の心地よさは、そこに思いやり溢れた愛情を感じるからではないでしょうか?
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