NO-23
コーチをしていて、一番困惑する出来事は”どうしたら良いのか”
という問題提起が選手からなされないことです。
教えてくれるまで何もしないで待っている。
基本は基本としてそれを自分なりに咀嚼して変形させるのは望ましいのですが、
もう一歩踏み込むことをしないのが、一番歯がゆいし残念に思っています。
教えれば素直にそれを実行すると分かっていても、
自分から積極的に行動を起こさなければ困るのは自分なのです。
いまのコーチが先々まで付いているわけではないのですから、
自分で考えて行動することを会得してくれないといけないのです。
いま始めているグラウンドゴルフは高齢者が中心で行われています。
ホールへ向かって打つ場合、多くの方がどこを攻めたら良いか周囲の方に聞いています。 特に練習ではそれが多いです。
しかし、一番肝心のことを、その都度他の人に聞くようでは駄目だと思います。
失敗しても良いから自分で考えなさいと言うのです。
そうすれば、それが次第に自分のものになるのですから。
これと同じで、自分で考えてそれを実行し失敗すればそれが今後の糧になるのです。
試合では誰にも頼れないのです。
その習慣は練習のときから培っておかなければならないのです。
未熟であるがために熟達者や周辺の意見を聞きたくなるのでしょう。
その熟達者がきちんとしていれば、自分で考えなさいと言ってくれるのでしょうが、
よくぞ聞いてくれたと、ご自分の意見を披瀝するようでは・・・・?
NO-22
最近のスポーツ選手の故障が多いのはどうしたことなんでしょうか?
誰しも怪我をしようとは思いません。中には本人の不注意で起こることもあるでしょう。
これははっきり言って同情の余地はありません。
だからと言って不注意による怪我が増えているとも思えないのです。その原因は?
第1に、競技運営上の問題があるのではないでしょうか?
ダブルエントリーは避けている場合もあるのですが、
参加者の増加は著しいものがありますし、それだけに競技の消化を考えて
強行するケースが増えているように思われます。
また、試合や選手の増加により競技場が遠方となり、
往復の時間等に充分身体を休めることが出来ない等の原因はどうでしょうか。
第2に、施設の問題はどうなのでしょうか?
1に関連して絶えず良好な状態を保つために、全天候型や人工芝等で施設を
建設するため、身体が充分に対応出来ていないのではないでしょうか?
人間が動作をするのに最適なサーフェイスは「土」だと言われています。
これは衝撃を吸収してくれるからと聞いています。
いま採用されているサーフェイスは身体を痛めるような気がします。
第3に、道具の変化があると思われます。
テニスを例にするなら前のラケットの重さでは今ほど振り切ることは不可能です。 いまではソフトテニスの選手が軽々と振り切るほどの重さになっています。
これがテニスの試合の様相を変えたと思われるのです。
鋭いボールを打つためにはウエスタン・グリップでありながら、
なお且つスピンをかけている状態です。
これが部分的に過重となっていると思われます。
第4に、全てを踏まえてフィジカル・トレーニングの認識不足が
あるのではないでしょうか?
上記のような問題があるからこそ、自分の身体は自分で
管理できなければならないのです。特に学生は若さでそれを乗り越えようとします。
確かにそれは不可能ではないでしょう。
しかし、現状に満足することなく上を目指すなら、そして少しでも長く
継続させたいならトレーニング方法を再考頂きたいと願っています。
NO-21
先日、後輩のプレーを見ていてつくづく感じたことがあります。
コーチをする場合、全体をまず見る難しさを知らされました。
丁度サービスをしていましたが、
インパクトで選手の身体が完全に相手に正対していました。
いままでの経験から、その現象は左の壁が出来ていないためのもので、
具体的には左側が右側を引っ張りこんでいると判断しました。
それと気になったのが軸足の動きでした。
フットフォルトを警戒して、わざとラインから数歩離れて位置し、
軸足を前に進めながらサービスをしていたのです。
最初はこれを注意したのです。
選手はそれを盛んに気にしながら練習していましたが、何となくぎこちない感じでした。
そのうち、全体のフォームを確認しようと、少し目線を引く感じで見ていたのですが、
フォームから逆に見ていくうちに、グリップに気付いたのです。
彼女のフォアは極端ではなかったのですが、セミウエスタンでスピン系でした。
ところが、サービスでグリップチェンジをしていなかったのです。
グリップをストロークのままリバース気味のサービスをしていたのです。
これで左の肩が極端に開く癖の理由が分かったのです。
そのグリップでは左に壁を作れという方が無理だったのです。
結果として、いまのグリップでは現状の力が精一杯でしょう。
というより左側の筋肉を傷めると思いました。
身体能力はとても良いものを持っていたので、グリップチェンジすることで
サービスは今以上になると思われました。
しかし、その理由が分かっても、
それをどのように説明し納得させるかが大事になります。
いままでそれでこなしていたという気持ちがあれば、
簡単にこちらの考えに承服できないでしょう。
やってきたという自負もあります。
しかし、高校の頃とは試合数が違います。内容も違います。
練習では試合ほどの緊張感がないため、身体への影響も差ほどではないのです。
このように、コーチの立場としては、より大きく育って欲しいだけに、
言っていることを理解して欲しいとは思いますが、
変更するには余程の勇気がいりますし、
これを選手に納得させるのは簡単ではありません。
コーチも納得させる以上は、
しっかりとした信念を持って対処しなければならないと感じています。
NO-20
巷間伝えられるように、テニス界もオールラウンドの時代に入ったと言わ れています。
ラケットの変化でテニス・スタイルも変わりましたが、一時代を感じさせたものは
いまだ残り火はありますが、次第に変わってゆくのではないでしょうか。
スタイルとしては正統派(イースタングリップ)が基本になると思われます。
確かに強烈なサービスが根強い強さを発揮するでしょうが、技術の発達と身体能力の
伸長は目を見張るものがあり、次第にそのようなサービスに対応する選手が現れてくると
思われます。人間の身体はどこまで適応力があるのでしょうね。
今回のジャパン・オープンを見ても、テニス競技を楽しむと言う雰囲気が随所に
感じられたものです。いままでのようにサービスの音がしたらポイントは決定
と言うような単調な動きは左程ありませんでした。次のショットが何処を攻め、
それに対してどのように動くのかワクワクする気持ちで固唾を呑んでいました。
本来的にこれでなくてはならないのです。偏見かもしれませんが、
だからローズウオールを追いかけていた眼差しがボルグへ行くのではなく、
クリス・エバートやヒンギスへゆくのです。
ストロークを続けながら次第にクロスへ深いボールが続くと、さあ、この辺りで
ドロップショットを見せてくれと期待するのです。
一体どの角度にどのように落すのだろうかと・・・・。
そのドロップショットが見事に決まって欲しいと思っている目の隅で、
相手がそのドロップショットを捉えようと身体を翻している姿を感じています。
この快感はプレーを実感したものにしか分かるものでもありませんし、
それ以上に疑似体験をしている人たちにとってこれくらい素晴らしいものは無いのです。
NO-19
不思議な出来事があります。前から気付いてはいたのですが、既に社会人となって
いる先輩に指導して欲しいと言いながら、練習のスケジュールを見ると日曜日は
休息日になっているのです。来て欲しいと要求するなら、他の日に振り替えても
日曜日は練習すべきでしょう。
それとも自分たちと同様の行動が先輩には可能と思っているのでしょうか?
もう一つは、雨が降って出来ない日が続いても、最初予定の休息日には間違いなく
休むと言うことです。若さの特権とも思えるフレキシブルな対応がこのようなときに
発揮できないのは何だか寂しい思いがします。
しかし、現実ではこのような行為が多いのも事実です。
これらを考えると、何のための練習か充分に認識されていないと思われます。
監督やコーチが言わなければやらない練習ならしないほうが良いのです。
傍でやかましく言うのが指導者として当然と考えるなら、
そのうち選手は自力で動くことをしなくなるでしょう。
自分で考えるのがどれほど大切か分かって欲しいものです。
地道な練習は派手さがないですから目立ちません。
しかし、そのような練習こそ着実に力を付けているのです。
僅かな時間でも継続するからこそ力をつけるのです。
エナン・アーデインや杉山を夢見るのも目標を定めるには良いのですが、
朝目覚めたら力が付いていた、と言うような夢物語は絶対にありえないのです。
いつの間にか、いままで届かなかった枝に、手が届いたというのが普通の
技術レベルアップなのです。しかも、その上で少しでも効率的な練習を考えなければ
ならないのです。それには僅かな時間でも、ボールに正面から立ち向かうのです。
必死になってボールと対決するのです。ダラダラした練習を一日やるより、
全身から汗が噴き出るような練習を二・三時間やるほうがずっと内容の濃い
練習と言えるのです。
不思議なもので、このような練習を続けていると、毎日練習するのが苦しく
なくなってきます。というより楽しくなるのです。
激しい練習とは、短い時間を継続的にやることで、
翌日に疲れが残るほど長い練習を言うのではないのです。
NO-18
私が社会人生活の中で管理者になった頃、自分の基本においていたのは、
部下は上司を選べないということでした。当然のことながら上司は部下を選べますが、
反対はあり得ないことなのです。部下に対する場合、
この気持ちを持ち続けることで部下は真摯に仕事をしてくれたと思っています。
コーチの場合も同じではないでしょうか。
特に高校までは先生がコーチ兼務となる場合が多いでしょう。
それだけに、選手との接点ではこのような考えが必要となると思うのです。
また、技術についても絶対に間違いないと思うのは必要ですが、
画一的にすべての選手にそれが当てはまると思ってはいけないのです。
名選手が、コーチや監督になるケースは非常に多いと思われます。
それだけに熱心な指導がなされると思いますが、
その場合も選手はコーチを選ぶことが出来ないと言う謙虚な気持ちが大切だと思います。
そうなると不思議なもので選手の話を真剣に聞くようになるのです。
それがあって選手のメンタル面への気遣いが出来るのではないかと思います。
コーチが選手時代に、素晴らしい成績を挙げてるならなおのこと、
自分の指導する内容が、選手に合うかどうかをまずチェックしてください。
そこからスタートすべきだと思います。
選手での経験が豊富であればあるほど周りの期待も大きいだけに、そのプレッシャーで
ご本人も気付かぬうちに選手へ成績面での強要となる事はあるのです。
しかし、選手からコーチになる難しさは大変なものがあると思います。
一番大きなポイントは自分が出来たから、
やってきたから出来るはずと言う感覚になることです。
これは気をつけないと選手との乖離をもたらします。
選手時代の自分とコーチになった自分との、環境の違いを自覚することが
より大切になると思われます。
選手の時代では、自分のことだけを考えていればよかったのですが、コーチになると、
千差万別の選手にそれぞれ的確なアドバイスをしなくてはいけません。
そうなると、選手時代での他の選手に対するアドバイスは、
自分はこのようにしているで終わりますが、コーチではそうはいきません。
どのような問題提起に対しても、正確なアドバイスが出来なければいけないのです。
そのようなアドバイスがどうやれば出来るのか?
それには選手一人一人を常日頃から観察しておかないと駄目なのです。
一般論的なアドバイスを理解し、さらにそれを自分に当てはめることのできる選手は
そう多くないものです。
あなたの場合は・・・というようにアドバイスをすることが必要になってくるのです。
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