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NO-34
   前回で触れました「話を聞く」について続けて見ます。誰かに話を聴いてもらうのは、
  とても心地よい体験となります。
  もし、あなたの話し相手があなたに全神経を集中させて、あなたの表現に興味を示し、
  心から共感してくれたとしたら、これほど心地よいものはないでしょう。

   話を聴いてもらえると、まるで自分が尊重されているように感じ、
  自分という存在をより強く認識するようになるのです。
  その上、自分が相手に受け入れられたと感じ、相手を心から信頼するようになるのです。
  だからこそ、選手の話を聞いてあげるのはコーチングにおいて重要な要素なのです。

   人の話を聴くという能力は、誰もがもともと持っている資質で、
  聴くことによって相手の心を開き、さらに相手の言葉を活性化させる能力とも云えるのです。
  コーチが選手の話を聞くのは、受身で聞くのではなく、
  選手から言葉を導き出すように能動的な行為でなければならないのです。

   話を聞くには二つの側面があると言われています。
  一つは意識の焦点がどこに当たっているかです。
  私たちは耳で聞いて情報を受け取るわけですが、聞くという行為には
  直感を含んだすべての感覚を使って情報を受け取ることを意味しています。
  すべての感覚から感じ取った、ありとあらゆる情報に意識の焦点を当て、
  その上で言葉以外のことにも注意を払うのです。

   このような聴き方をすることで、相手の息遣いや、話し方の調子、
  声の抑揚で様々な種類の情報を認識できるようになります。
  声の調子が柔らかいのか固いのかによって相手の状態を感じ取ることもできるのです。
  こうして考えるとすべてに意識の焦点を当てて聴くことが求められているのです。

   もう一つはその聴き方が相手に与える影響は何かということです。
  あなたがどのような行動を選択するかによって、当然のことながら、
  それがもたらす影響は変わってくるでしょう。そして、あなたは心のどこかで、
  自分の行動がもたらす影響を認識し、
  それに対して自分が責任を負っていることを自覚しているはずです。

   このような行動が、選手に何らかの影響をもたらすのです。


NO-33
   日本ではコーチ業が育たない環境にあると前にも書きました。
  これは紛れもない事実だと思います。
  その一番の欠点は、技術指導に終始しているからではないでしょうか?
  本当にバランスのとれた選手を育てるならコーチ学校なるものが必要と思われます。

   技術指導が大手を振って歩き回っているから、
  優勝経験者や優秀成績者が重視されるのです。
  これをしている以上は選手は育たないというのは云い過ぎでしょうか?
  やはり、国際的な選手にするためには技術偏重では限界があると思われます。

   一番大切な点は、個人の尊重だと思います。コーチが有名になってはいけないのです。
  選手個人個人が傑出すべきであって、コーチがそうなってはいけないのです。
  それだけにそれに見合った報酬も当然加味されなければいけません。
  ボランティアを要求してコーチにすべてを教えろと言うのはあまりにも虫が良すぎます。

   そのように云っている私自身は、ボランティア活動をしていますが、
  これは部活と言う独特の世界でしか許されないものであり、
  本来はキチンとすべきだと思います。
  その分コーチはあらゆる方面の勉強をしなければならないのです。
  選手個人個人の個性を尊重して進めて欲しいものです。

   反面、部活で先輩・伝統至上主義の中で育っている選手たちは、
  その枠から逃れないでいます。
  これらは先輩たちがその枠を外してやらなければ駄目なのです。
  企業では、上司は部下を選べるが、部下は上司を選べないのです。
  同様に現役の選手は先輩を選べない現実を察知し、
  後輩の成長を留めるサポートをしてはならないのです。

   そのために先輩が為すべきは、まず話を聞いてやらなければなりません。
  経験者である先輩が話したい内容は、後輩とは比べ物にならないほど豊富でしょう。
  それを先に話しては後輩は語るべきものを失ってしまいます。
  話したい、聞かせてやりたい気持ちは判りますが、先ずは後輩の話を聞いてやってください。

   誰しもが経験していると思いますが、自分の話を聞いてくれていると言う体験は、
  確かに自分が尊重されているような気分になるのです。
  しかも、その内容に共感する態度を感じると、
  その時からあなたは後輩に信頼される人間となるのです。
  しかし、そんなに簡単なものじゃないと云われるかも知れません。でも試してください。

   自分として、そのような態度で望んでいるがそうならないと思われるなら、
  いま一度振り返ってください。
  例え話を聞いても、早く自分に話をさせろと言わんばかりではないでしょうか?
  後輩の話が終わるや否や、自分の話を始めていませんか?
  それでは全く意味のない行動になるのです。


NO-32
   女子の高校や大学でコーチをやっていますが、
  始める前に監督やキャプテンに考え方や目標について尋ねます。
  別に席を改めて行うのではなく、練習中やたまに食事などをするときを利用します。
  しかし残念ですが、明確な答えを出してくるケースは少ないです。

   このためプレーヤーにもそのような素地が出来ていません。
  目標がない部活の練習ほど味気ないものはありません。
  また、目標はあっても、その達成のために
  どのようなステップでスケジューリングするのかが明確になっていません。

   その一例として、Aクラスへ入ることが最優先だから、
  その為には必死の覚悟で練習するしかない。と掛け声を掛けていますが、
  闇雲に乱打やパターン練習に明け暮れています。
  素振りは大切だからと懸命になってラケットを振り回しています。

   別に、効率の良い合理的な練習をするべきと、教科書の回答をするつもりはありません。
  大切なのは、部の現状を踏まえて長所や欠点を知り、
  その育成や修正をどのようにするか?その為の練習はどうあるべきかを考えなければ、
  徒労に終わる可能性があると思われます。

   試合を行う際、一番必要なのはルールの熟知です。
  ルールを知らなければ不利になりますが、
  それより試合に出る資格はないと言えるのではないでしょうか。
  勿論ルールブックがありますから、全てを記憶する必要はありません。
  本当に必要であるのはそんなにはないのです。
  いままでもルールの勉強会をやっている経験はありません。

   試合はすべてルールに基づいて行われます。
  であればルールを知らないなら試合に参加できないはずなんです。
  しかし、審判の指示通りにしていれば良いと思い、周囲の指導もそれに近く、
  その上にルールを知らない審判が台の上に立つと成ればそれは最悪です。

   これでは、コート上はまるでボール遊びの場になってしまいます。
  ルールは審判が知っていれば充分と思うプレーヤーがいたら、
  どんなに優秀な技術の持ち主であってもプレーする資格はありません。
  最近の試合を見ていると、残念ながらルール不在と思われるものが多々あります。
  スポーツを志す最低条件として、
  ルールをまず身につけるようコーチや先生方にお願いしたいです。


NO-31
   ヒンギスの生い立ちについて、2歳でテニスを始め、12歳でジュニアを制し、
  16歳でセレス、グラフに立ち向い、18歳では世界の頂点に立ったわけです。
  彼女は何よりもテニスが大好き、相手の顔は見ない、ただプレーをするだけ、
  天才と言う言葉を嫌い、ひたすらハードな練習に励んでいる。というのが自画像のようです。

   人間の神経回路(神経系の発達)は、8歳ごろにその90%が出来上がると
  云われています。ですから、この時期にどのような動きのトレーニングを行うかによって、
  スポーツをする際に大きな影響を及ぼすことになるのです。
  ヒンギスはこの時期テニスだけではなく、いろいろなスポーツに親み、
  テニスの技術習得と並行させたと云われています。

   つまり、生まれもった資質もさることながら、小学校低学年から走ったり飛んだりと
  いった運動を多く体験させれば、いろいろな運動神経の回路が出来上がり、
  スポーツ能力の基礎が培われるのです。
  これにより、瞬発力や持久力、予測力や判断力、バランス感覚の基礎が
  養われることは間違いないようです。

   雑誌のメモとして次の言葉を書き残していました。
  「女子の場合、11歳頃が身長発育のピーク時で、内臓器官も発達してくる。
  スタミナがつく時期でもある。スポーツ科学の専門家によると身長の伸びのラインと
  運動能力の伸び率を重ね合わせると、持久力は身長発育のピーク時に、
  筋パワーはそれ以後に伸び率が最大になると言う」つまり、
  11歳前後に持久力やスピード、パワーをつけるトレーニングを始めれば
  14・5歳でその効果が現われるということのようです。

   しかし、成績がよくなり世界ランキングに顔を出すようになると、
  少女たちがそれを保持するのは極めて難しいことになるのです。
  何故なら技術や体力だけではなく、心や精神力という大きな要因が必要となるからです。
  「才能もさることながら、まず教養、家族、道徳を優先し、
  強い意志と真面目で素直な心も不可欠です」とコーチは強調するのです。

   確かに、一般論として身体に比べて心の成長は遅れます。
  それだけに心身のサポート体制を充実させることが必要となります。
  一人で戦うテニスは、独立心や自己主張の強さが当然必要とされるのです。
  ヒンギスの場合は母親。ウイリアムス姉妹は父親がそばを離れない。
  親は子どもに対して人生の指針を与えることが出来るし、外の誘惑から守ってもくれる。
  たっぷりの愛情を与えられるのも親だからこそなのです。


NO-30
   東レの試合を観戦しました。TV放映です。
  日本選手と外国選手の違いをはっきりと見せ付けられたように思います。
  一番大きな違いはラケットの振り切りでした。決して充分ではありません。
  この原因の一つは、打球に対して構えが出来ていないからでしょう。
  そのために手打ちになるのではと感じました。

   そのためでしょうか、右打ちの場合フォアハンドで左足に充分に体重が乗っていません。
  これはフットワークから来るものと思われます。
  外国選手は下半身がどっしりと安定しています。
  ウイリアムスなんか極端なオープンスタンスですが、
  それでも体重移動はしっかり行っています。その証拠は打球に歴然と出てきています。

   サービスで気付いたのは、スライス・サービスを実に上手く使っているのに驚きました。
  オープンコートを作るには大切なテクニックだと思うのですが、
  東レのようなサーフェイスでは余計に有効ではないかと思われます。
  日本選手の場合、2ndサービスで何故あれほどトスを高くするのか疑問に感じました。
  これではスライスよりスピンが掛かり相手の思う壺と見るのは可笑しいでしょうか?

   ナブラチロアのラケット・タッチの良さは、まさにほれぼれという感じで天下一品ですね。
  男子ではマッケンロー女子では彼女でしょう。
  見た目でも軽快で面を上手く活用していると感心しますが、特に印象に残ったのは、
  ?腕とラケットの角度がどのような場合にも先ず動かないことです。
  その角度を保って打球しています。
  ?小さなバックスイングでフォロースルーを充分に行っていることの二点でした。

   要するに基本に対して極めて忠実であることでしょう。
  膝の使い方にしても非常に軟らかいものを感じました。しかし、残念でならなかったのは、
  この大会での故障者の多いことです。
  満足な身体でプレーしている選手が何人いたでしょう。
  これはテニス界全体の問題ではないかと心配です。

   やはり、メンタル面では日本選手の弱さを感じました。
  活躍そのものは素晴らしかったと思いますが、
  いま少ししっかりしていれば勝てた試合もあったと思います。
  どのポイントが大切かと言う認識に欠けているのではないでしょうか?
  難しいことでしょうが気後れをしては折角の試合が無駄になります。
  16歳の少女がメンタル面でしっかりと自分を見つめていることをどう感じたのでしょうか

   ダブルスで前衛がセンターに位置する「アイ・フォーメーション」を何度か見ました。
  相手の動きをよく観察し、絶えずフォーメーションを変えていました。
  また、試合中のパートナーとのコミュニケーションは感心するほど頻繁でした。
  ただハイタッチで感情を吐露するのではなく、
  冷静に相手を見据えて戦略を立てるべきだと教えられたように思います。


NO-29
   アメリカ・チアリーダー選手権の紹介がありました。
  懸命に頑張っている姿に感動しながら最後まで見てしまいました。
  普通の勝負と違って、闘う相手は自分達以外の全てです。
  しかも、出場校の全てが終了しないと優劣は分からないのです。
  即ち自分達は懸命に与えられた課題を演ずるだけで、
  それを審査する人は別にいるわけです。

   この審査の方法は、各チームが最高に演技をしたと考えても、
  それを審査する人によって左右されるのです。
  通常の勝負のようにルールの下で黒白をはっきりさせることは出来ないのです。
  私から見れば不思議な世界と思えました。
  それだけにどのような気持ちでプレーを続けているのか興味がありました。

   戦う前には、「望めば勝利は必ず与えてくれる」とか
  「必要なことは情熱と努力そしてやる気」等技術に裏づけされたメンタル面が強く
  出されているように思われました。
  完璧な演技をしても、審査員がそれを認めてくれなかったら完璧ではないことになります。
  後はあくまでも自己満足で納得するしかないのでしょう。

   勝利に酔いしれて歓喜の声を上げるチームには
  心から良かったねと云いたい気持ちでした。
  大変なプレッーシャーの中での勝利は格別なものがあると思います。
  しかし、最後まで印象に残ったのは敗者のことでした。
  優勝候補と言われながら生じた二つのミスは結果として大きく響き6位となったのです。

   しかし、その結果を踏まえてコーチが云った言葉は忘れることは出来ません。
  団体競技は将にこうあるべきだと感じ入りました。
  コーチはメンバー25人を前にして、「考えられないミスを二つしてしまった。
  しかし、人を責めるんじゃない。25人でチームなんだから」敗者はどうあるべきか?
  その立場になったときにどうあるべきか?
  これでミスをした選手は救われた思いになったと思います。

   コーチの立場から、ミスはミスとして認め、どうしてそのようなミスになったかを
  選手に再確認をさせておく、その上で一人のミスを責めないことで
  団体競技の基本的な姿勢を問いかけたのです。
  どのような団体競技であれ、監督始めコーチ・選手が一体感を持つのはこのような
  繋がりを持つことによって初めて為し得るのではないでしょうか?

   勝負の世界では敗者から学ぶものは多いと言います。
  勝利で味わった一体感とは別のものを敗戦から学び取ることが出来るのです。
  どの世界でも勝ったことより負けたほうが印象に残っていると聞きます。
  それは負けたときこそ自分の姿が鮮明に描き出されるからではないでしょうか?
  グッドルーザーになれと聞かされた言葉を大切にしなければと
  TV放映の余韻を楽しんでいました。


NO-28
    言葉で伝える事には限度があります。
   結局は身体が覚えないと自分の物にならないのです。
   例えばドロップ・ショットの場合、
   打ち方については指導できますが、あの微妙なタッチはどのようにして
   教えられるでしょう?これは簡単ではないのです。

    しかも、ゲームの中で相手の逆を取ったり、ネット際へ落すタイミングをどうやって
   教えられるのでしょう。これは咄嗟の勘であり、一種のインスピレーションです。
   瞬間的に身体が動くから有利なショットが打てるのです。
   だからと言って特殊な選手だけが出来るものではないのです。

    いま、イギリスチームのコーチをしているマッケンローが言い切っています。
   「私はやる気を起こさせる指導が大切だと思っている。
   そうすれば本人も驚くような奇跡を起こすことが出来るのです」
   現役時代のマッケンローのラケット捌きは天下一品でした。
   これはある程度天性のものがあると思いますが、
   その彼が大切なことはやる気と云っているのです。

    ある武道家の弁によると、負けを人格的に認めるようにならなければ駄目だとあります。
   そのような姿勢と絶え間ない努力、これを支えているのが”やる気”であり、
   目標を定めて行くのは当然であるが、本来的に云うならば、
   そこへ到達するまでの過程が人間形成に役立つと断言しています。

    コーチは、そのために先ずアクションを起こさなければなりません。
   選手一人一人の個性を考えながら、”やる気”を起こさせる方法論を考えなければ
   ならないと思われます。そのための第一ステップは選手と身近に接すること。
   同じ目線で話し合う必要があると思います。
   当然ながら途中で修正が必要となるでしょうが、
   これは次のステップで考えれば良いことだと思います。


NO-27
    先般、プロ意識について僭越ながら私見を述べさせて頂いた。
   恐らく反発を感じた方もいらっしゃると思われます。
   それぞれ意見はあるわけですから、あのような意見もあると、
   ご寛恕下さるようお願いします。
   勿論、一方的に押し付けようとする気持ちはありません。

    しかし、選手が好きなことをしていると判断されるなら、
   私の意見も首肯して頂けるのではないかと思います。
   スポーツであれ何であれ、それを一生の仕事にするには、
   好きでなければ継続しないと思います。
   例え、それで生活の糧を得ているとしても、
   生活のためだけではなく、好きだから続けることが出来るのではないでしょうか?

    情熱大陸というTV番組があります。
   人としての生き様をドキュメンタリー・タッチで描いており、好きな番組でよく拝見します。
   先日の「能楽師・亀井広忠さん(29歳)」は、文句なしに感動しました。
   「大鼓」を使っていらっしゃる方ですが、「芸」に対する考え方よりも、
   見てくださる方への思いが素晴らしいと感じました。

    このような選手を育ててみたいなと考えてしまいました。
   まず、感心したのは、非常に礼儀正しいことです。
   それが顕著に現われるのが言葉遣いです。
   相手によって変わらないところは、見習わなければならないと痛感しました。
   こんな青年が現実にいるんだと、肌に粟立つような感激がありました。

    彼の考え方に筋が通っていると感じたのは、
   「好きなことをさせて頂いているのだから、真摯に取り組まないと申し訳ないのです」
   という言葉でした。
   だからどのような練習もスケジュールも苦にならないというのです。
   私は病気や怪我も実力の内と書いたことがありますが、
   彼は自分の生活すべてが「芸」に関連していると言い切っています。

    自分のために練習をするのは、自立の前提になるものではないでしょうか?
   人のためにプレーするのではないと、選手も分かっているはずです。
   しかし、それが出来ないのは、自分の目標がないからです。
   自分で考えた自分の目標があれば、それに向けて努力するものです。
   忘れてはならないことだと思います。


NO-26
    前述の福田先生の手紙はいまから50年前のものです。
   しかし、いま読んでも新鮮なものを感じます。
   いわば基本は永久不変であると云うことの証左でしょうか?このように考えると、
   コーチの役としては如何にその基本を選手に理解させるかではないかと思われます。

    先生の手紙を頂いて、指導する場合に大切なことだと思い、
   それ以後私が遵守した事柄があります。
    一つはお読み頂いたらお分かりでしょうが、
   若干十八歳の愛好家に対する丁寧な言葉使いです。
   丁寧な指導のお気持ちです。これは忘れてならないと心に留めております。

    次は、手紙だけでは理解できなかった私の実力にも関わらず、
   個人としての私を尊重し、何とか気持ちを伝えようとされていることです。
   紙上では難しいとされながらも、細かい点にまで留意されているのは
   大切なことではないかと思っております。

    このように指導の中で大切なことを教えて頂き、いま守っているのは、
   第1に個性の尊重があります。
   よく幼い子には目線を同じにしないと本心が伝わらないと言います。それと同じで、
   例え年齢差があっても人間として認める所から全てが始まると思っています。

   そのために些細なことですが、呼称として名前の下は女性には「さん」男性には「君」を
   崩したことは一度もありません。
   名前だけや略称で呼んだことはどんなに親しくなっても経験がありません。

    第2に、どれほど素質があっても、本人がその気にならなかった時は
   私の考えは伝えますが、決して無理強いはしません。
   付いてこなければそれまでと割り切っています。
   時には残念な思いをすることもありますが、プレーをするのは自分ですから、
   自分がその気にならなければ絶対にうまくならないと思っているからです。


NO-25
    「試合では練習のように、練習では試合のように」という言葉があります。
   これは選手の心構えの要諦だと思います。
   その意味は私なりの解釈ですが、試合には平常心で望み、
   練習では試合同様の緊張感を持って励むことではないでしょうか?

    コーチの難しさは、技術的な指導よりも、
   試合になってその選手の実力をどのようにすれば、
   遺憾なく発揮できるかを考えることです。
   それは決して生易しいものではありません。
   出来るなら選手一人一人がコーチの意を汲んで自立するのが良いのです。

    自分のレベルアップを人任せにしてはいけないのです。
   どんなに素晴らしい選手のグループでもコーチは必要です。
   だからといってコーチが中心にいてはいけないのです。
   単純な技術指導であれば、これほど楽なものはありません。
   しかし、コーチはあらゆる面に目配りをしていなければなりません。

    それだけコーチには経験が必要となります。
   選手時代の戦績だけでコーチの職務は不可能です。
   大事なのは選手の相談相手になることです。
   その選手の日常生活を含めて、話を聞けなければいけないのです。
   だからと言ってプライベートな面に入るべきではありません。
   コーチなら何でも許されると考えてはならないのです。

    コーチとしてあるべき姿は、
   「試合では練習のように、練習では試合のように」プレーが出来るよう
   選手を指導することなのです。
   そのためには、自我を押し付けてはいけないのです。
   その選手は自分以上に能力がある。
   いまは自分よりレベルは低いが、きっと自分をはるかに追い越すであろう期待を込めて、
   育てなければならないのです。

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