06/10/31
《基本は基本−14》
このコーナーは、延々と書き綴ってきましたが、
その本心は細かいテクニカルな点ではなく、
テニスを始めるにあたってベースになる部分を基本としてきました。
あくまでも個人的な感覚から始めたものですから、え?という内容もあったと思いますが、
それは問題提起だとご解釈頂きたくお願いいたします。
初心者の指導で一番難しいのは、
最初に教わった内容を身体がいち早く覚えてしまうことです。
それを、個性と言い換えても良いのではないでしょうか。
問題となるのは、身体が一旦覚えてしまうと、
そこから脱却するのは並大抵ではないのです。
それは、個性を大事にしなければいけない理由でもあるのです。
今後の課題は、その個性をどう生かすかにあるのです。
最初から携わっている場合は、その解決に時間は不要です。
しかし、初心者の域を脱した場合は大変なのです。
指導する立場として、経験からくる技術を教えることを主としている場合と、
テニス指導の教本を主とする場合があります。
いずれが正しいかは一概には言えません。
それだけに、なまじっかな指導では選手を殺してしまいます。
小学生時代は基本の基本を徹底し、余分なことを教える必要ないのです。
基本の繰り返しが必要です。
それを、次へバトンタッチすれば良いのです。
中学生ではそれをベースにした試合の展開に入るのです。
ここで練習と試合の違いを知るのです。
はじめて練習方法の違いを認識し、試合に役立つ方法を知るのです。
また、基本の大切さを、再認識するのもこのころではないかと思います。
やがて、高校時代にメンタル面の大切さを知るのです。
いままで技術一途に、まい進していた方法に方向転換を要求されるのです。
これらを含めて、選手の資質が醸成され一人前になるのです。
外国選手の躍進振りを見れば、手ぬるいと思われるでしょうが、
逸材を育成するのとは違うのです。
何もかも一緒に判断しては駄目です。逸材を求めるのも必要でしょうが、
もっと地道な歩みが必要である認識をして頂かないといけません。
06/10/20
《基本は基本−13》
指導する難しさは、実際に携わらないと中々分からないものです。
テニス教室のように目的が明確な場合は別として、
中・高校での各3年間という短期間指導は難しいです。
テニス部が存在する以上、その最終目的は優勝でしょう。
その上での団体戦・個人戦の地位確保は、
生半可な考え方では部員に徹底する困難さは大変です。
高校・大学と通算で言えば、20数年の指導を続けましたが、
これが正解というパターンはありません。
当初ではダブルバックハンドすら理解できないときがありました。
人数で考えると大変な数となります。
それでも不思議なもので名前を言われるとそのフォームは思い出すことができます。
延べで700名くらいだと思いますが、
その中で、本気でやれば伸びるだろうなと考えていた子は、
高校・大学で15〜6名でしょうか?
中でも天才的なラケット捌きができた子は5〜6名いました。
結果として、トップクラスへ到達した子は8〜9名でしょうか?
他の選手は、付いてゆけなかったと思います。
というより上が引っ張っていたというのが正解でしょうか。
彼女たちを指導して痛感したのは、
それまで誰も注意をしてくれなかったからという悩みでした。
それだけ技術習得への気持ちは貪欲でした。
サービスで悩んでいた子のフォームで、
トップの位置で右ひじが深く入っているからと注意をしたら、
その日のうちに修正し、ダブルフォルトがなくなりました。
練習後の彼女のコメントは、スイングしていて気持ちが良いです。
その理由は、ラケットのスイングがとても軽く、
ヘッドが遅れなくなりました。でした。
しかし、このような選手ばかりではありません。
手取り足取りでも理解できない子もいます。
それでも懸命さには変わりはないのです。暗くなるまでスイングを繰り返しました。
確かに、教えるだけなら簡単です。
まして全員に同じ内容のコーチをするなら、なお簡単です。
しかし、指導の根本は選手に考えさせることではないかと思うのです。
06/10/10
《基本は基本−12》
今年のジャパンオープンは、フェデラーの登場で賑やかでした。
しかも、いままでがサーヴ&ボレーのパターンが大半でしたから、
オールラウンダーの登場は波紋を広げてくれました。
特に女子の場合は、ボールのスピードに余裕があるためか?
ライジングに近い位置で、思いっきりボールを叩くストロークが目に付きました。
次いで、増えたのがバックハンドのスライスです。これも回転を変えて、
相手のペースを狂わせていました。特にカット気味の打球を多用しているように思えました。
これは、ドロップショットと連動しますから、回転の具合を調整するだけで、
ボールの勢いの強弱を変化させ、とても有効ではないかと思われます。
今回特に感じたのは、バックのストレート処理です。
オープンコートが中々使えない場合、
このタイミングがうまく行くとすぐ傍を通り抜けるのに手が届きません。
これは、選手が定石のようにオープンコートをカバーしようと動きます。
そのタイミングが必要ですが、その際にストレートが有効となります。
プロになると、その際のクロスかストレートの選択は一瞬の閃きです。
経験値と言っても良いでしょう。そのために必要なことは相手に狙いを悟られないことです。
フェデラーのバックスイングはやや遅めに感じられます。
それは相手にコースを悟られないためです。
フェデラーが素晴らしいのはフォワードスイングの素晴らしさです。
ボールをじっくりと引き付けて、それから後のスイングの速さは格別のものがあります。
ラケットの面をうまく使ったスイングの方向性は非常に的確です。
これらは、初心者の基本の大事さをそのまま伝えています。
フェデラーもそれを熟知しているからこそ、基本の大事さを態度で示していると思われます。
世界で一流の腕が、決勝戦を終えて語ったことは、極めて具体的な事実でした。
北京オリンピックの、優勝を語るフェデラーの眼は光り輝いていました。
06/10/01
《基本は基本−11》
先日、シニア世界選手権のTV放映をたまたま拝見しました。
選手は引退したプロ選手でしたが、当日はダブルスがありました。
そのプレーで流石と唸ったのはラケット捌きです。
身体は思うように動いてはいませんでした。
しかし、ラケットの面はどのような体勢になっても、しっかりとボールを捕らえていました。
実に素晴らしい角度を保っていました。
まるで、魔法を見るようで、ボールは確実に相手コートへ返って行きます。
それを見て、やはり基本がしっかりしていると不安が無いと改めて感じました。
子供たちを、育成するため頑張っている、伊達公子さんのコメントが放映されました。
自分がテニスに興味を持ったのは、コーチの求めに応じられるようになったから・・・と。
それは、結果が出る楽しみを享受できるからで、
自分が今何をすればパフォーマンスできるか。
その行動のひとつひとつを目標としていたようです。
プロを目指しているジュニアは多い。大事なのは勝敗にとらわれるのではなく、
いま自分は何をしなければならないかをよく考えて、
その達成に鋭意努力するよう求めていました。
どのようなときでも、気持ちの中に持ち続けて欲しいのは、
失敗を恐れず勇気を持ってチャレンジして欲しい。
その気持ちが自分を更に高みを運んでくれるのですから。
先般、読者から基本の大切さは分るが、
実際にそれをどのように具現すれば良いかが分らない。
例えば、テニスで素振りは大切だが続ける困難さに対処できない。
これはもっともだと思います。難しい問題ではありますが、いろいろな角度から、
初心者の方にテニスの楽しさを享受できる方法を模索したいと考えております。
06/9/23
《基本は基本−10》
「基本は基本」と書いていますが、実際には支離滅裂で一貫性が無く申し訳ないです。
自分自身の言うことにどれほどの説得力があるのか疑問に思うこともしばしばです。
学生時代の旧友たちと時に巡り合いもありますが、
その中で良き時代を回顧しても自己満足で終わるだけであり、
却って空しさを覚え良いものでもないです。
何かを伝えたいと真剣に考えても、受け取る側に受け入れる気持ちや余力が無ければ、
まさに釈迦に説法と言う恐れ無きにしも非ずと言うことになるのでしょうか
先日、モーグルスキーヤーの上村愛子が、再挑戦するためにコーチを替えて
今までに無いトレーニングを行うという番組を拝見しました。
そのコーチの言葉は、「これから上村が繰り返し行う基礎をどれほど我慢して
続けられるかに尽きる」と言い切っていました。結局はそこへ行くのです。
一度、高みに上った選手にとって、何故今になって基本をやらなければ、
と考えるのは無理の無いことかも知れません。これは選手の心構えの問題です。
基本とか基礎とか、その言葉の使い方に迷わされているのかもしれません。
基礎が無ければ、その上に家は建たないでしょう。
粗雑な基礎では台風で家は飛んでしまいます。
このような例え方は、子供だましに聞こえるのでしょうか?
あきれるほどの単純作業を、苦痛になるほど繰り返さなくてはいけない。
それに打ち勝つことが出来ますか
その中で始めて世界が見えてくるのです。
しかし、それを保証するものは何一つ無いのです。
闇雲に基礎をやってみても世界一になれる保証は誰もしてくれません。
しかし、絶対にいえるのは、その努力がなかったら世界一はやってこないことです。
それを理解して頑張るしか世界一への道はないと思わなくてはいけないのです。
06/9/10
《基本は基本−9》
森田あゆみの態度について、コーチのコメントがありました。
”あれで切れた”と報道されています。
切れたからそのような態度になったのか分りません。
初心者を育てる内容は、技術一つにしても、対応のレベル が違うだけで、
基本の内容は全く変わりは無いのです。コーチが今回の件をどう考えているのでしょう。
まさか、育てた選手が、世界へ飛躍することのみを願っているわけではないでしょう。
二人の間になくてはならないのは目標に対する信頼ではないでしょうか
それが充分であれば、今回のような事件は起きなかったと思われます。
森田がこれを払拭するには、今までに無い過酷な反省がなければなりません。
このように、コーチと選手の関係もプロとかアマの問題ではなく、
真摯に対応すべきと思われます。
確かに対応の一つとしてプロとアマでは収入の度合いが違います。
しかし、コーチと選手の間をそれだけに集約して良いものでしょうか?
二人の関係を、収入だけで推し量って良いものでしょうか?疑問を禁じえません。
先般の解説者や、今回のコーチのコメントを聞いていますと、
自分の範囲外の問題と言う白けたものを感じます。
自分自身が関わっているなら、もつと真剣になるべきでしょう。
選手として、最低の遵守すべきマナーやエチケットは、
別に大上段に振りかぶるものではないのです。
用具類を大切にし、相手を尊敬することを忘れなければ良いのです。
最後に一言、森田が壊れたラケットを見て、自分の愚かさを知ってくれたら、
試合に負けた以上の収穫があったと思います。思いやりは相手選手だけではありません。
06/8/31
《基本は基本−8》
先般、外国人同志の試合を、元女子プレヤーが解説していましたが、
日本人と外国人との違いについて、日本では殆ど同じ打ち方をしていますが・・・、
外国人の場合は、個性を生かす方法を採用しているので、
殆ど同じような打ち方が見られません。と淡々と言ってました。
それが定着しているのでしょうか?
それであれば、彼女が今後後輩を指導する時、
どちらを良しとして採用するつもりでしょうか?
また、その違いをどのように認識しているのでしょうか?
女子選手として活躍していた、彼女の本音を聞きたいと思いました。
今後そのような立場になる人でしょうから、
ぜひともはっきりとした考えを持って欲しいものです。
コーチの方法として一番楽なものは、画一的な練習パターンに嵌め込むことです。
それは最初に方針を与えれば、それを規準にすべてを実行すれば良いからです。
人それぞれに特徴のあることを、特質を持っていることを理解すれば、
このような練習方法に疑問を持つのが当然なのです。
何故、それに固執しないのでしょうか?
良いと言うことは分かっていても、それを現場で使わないコーチが、
あまりにも野放しになっていないでしょうか?
俊英はコーチが育てるものではないのです。
自分自身がその気になって、鋭意努力しないでどうして栄冠を獲得できるでしょう。
コーチはそれに対して如何に適切なアドバイスが出来るかに尽きるのです。
06/8/20
《基本は基本−7》
練習で大切なのは、何故このような練習をするのかという認識がなければ、
あまり意味のない練習に終始することになります。
この考え方は重要です忘れないで欲しいです。
まず、何をするにしても、先ずは目標が存在します。
それを完遂するために、何をしなければならないかを考え、
その上でその方法論を編み出してゆくのです。
何故、今頃言い出すかと言えば、例えばスマッシュの練習で球出しをするとき、
フォア・バックと順序を決めているため、球出しの時点で構えを取ってしまうのです。
試合では、どちらへロブが上がるかはわかりません。
そのとき相手のロブを見極めてから構えに入るはずです。
その微妙なタイミングが身に付かなくなります。
もっと極端だったのがボレーの練習です。スマッシュと違ってボールが早く来ますから、
そのためフォアへの構えが際立って早くなってしまいます。
このような練習では、ネットプレーで要求される、
瞬発力を感じさせる素早い動きは不可能です。いまのような練習は、
初心者用であり、試合経験者がするべきではないのです。
試合では、どのような動きが必要であるのか?オシム監督だけではなく、
サッカーだけではなく、すべてのスポーツに必要なのが「考えること」です。
ボレーの続きを考えて見ます。先日ウインブルドンの総集編を見ましたが、
その中でダブルスを一際楽しく見ることが出来ました。
確かにトップクラスのダブルスは面白いです。
感心したのは、ラケット面の使い方です。
スイングが殆どなく面をうまく使っているテクニックには、
感嘆するしかないと言うのが本音です。
それ以上に、基本をしっかり身に着けていると感じたのは、
ラケットを持つ手首がヘッドより下にあることです。
逆説的にはヘッドが手首より下がらないのです。
このため、ラケット面がしっかり固定され、ボールに負けることがないのです。
だから、ラケット面が崩れないのです。安定したボールはここから作られるのです。
06/8/11
《基本は基本−6》
さて、後輩の練習風景その2・・・サービスの補足です。
トスを上げる際には、身体のタメをつくるために必要である、
腕全体をゆっくり使うべきです。何故あのように慌ててトスするのか分かりません。
実際には、ボールがダウンするタイミングを考えるのか、
かなりのスピードでトスアツプしているようです。
このため手先だけとなり、スイングも身体を使っていないのです。
また、サービスのグリップが、何故イングリッシュやイースタンになっているのか、
充分に理解しているように思えません。それでは力のあるサ−ビスは出来ません。
サービスは強力な攻撃力を持っています。それはスピードだけではないのです。
自分の意思で、どのようにも使えるサービスこそが求められるのです。
繰り返しますが、そのサービスだけが、一人で練習が出来る技なのです。
それを、習得する意味を納得してもらえれば、
恐らくサービスはもっと迫力あるものになるのです。
誰にも迷惑を掛けない、一人で練習して効果を挙げる、
その技術の向上に何故チャレンジしないか、とても不思議な思いをしています。
サービスの基本は、広範囲に狙った場所へ、打ち込むことが出来るコントロールです。
スピードは、当初戸惑いがあっても慣れれば、それなりの対応は出来るのです。
しかし、コントロール良く打ち込まれるサービスは、
メンタル面でかなりの圧迫感を与えるものです。
場合によっては試合が終わるまで続くでしょう。
次いで、ストロークですが、基本的に軸足へのウエイトが疎かになっています。
ボールに対して、迎え撃つ姿勢になっていないためかも知れません。
このためか、バックするにも両足が交差するフットワークではなく、
後ろ足から先にバックしているのです。
そのまま打球の姿勢に入るため後ろ足にウエイトが掛かっているのです。
この姿勢からのスイングでは、どうしてもアッパースイングとなり、
身体の回転はなく手先だけのスイングになります。
自分のイメージするボールではなくなるのです。
可能性は、自らが生み出すものと言われます。そのためには、
一歩一歩自力で進まなくてはいけないのです。
たゆまぬ努力こそがあなたをレベルアップするするのです。
06/7/31
《基本は基本−5》
後輩の練習に参加してみました。サービスで一番に気づいたのは、
トスのバラツキでした。あれだけ前後左右に振れては、
如何に安定したフォームでも、良いサービスは難しいでしょう。
トスの練習は一人でも充分できるのです。それをしないのは、やる気がないのか、
必要性を感じないのでしょう。どうして、こんな簡単な練習が出来ないんでしょうね。
二番目に気づいたのはトスの方向性です。
サービスでは狙った方向へトスするのが基本です。
トス次第で、サービスの確率が変わることを実体験して欲しいです。
三番目は、軸足の使い方です。いままでも繰り返してきましたが、
最初の構えからサービスが終わるまで、下半身がバタバタと動き回っているのです。
一番大切な基本が出来ていないから、そのサービスの結末は惨めなものです。
若さの力任せである程度のスピードは出ますが、問題は同じ状態が継続しないのです。
言うなれば、この最初のステップを、自分のものにしなければ結果は出てこない・・を
充分に認識し、すべて誰の助けもなく出来るように頑張って欲しいのです。
いつも、どうすれば良いか、考えて欲しいです。
06/7/20
《基本は基本−4》
大相撲名古屋場所で、外国籍の露鵬が、記者団への暴力行為で三日間の
出場停止の処分を受けました。これで脚光を浴びたのが「礼に始まり、礼に終わる」でした。
勝負相手の、千代大海とのやり取りが原因のようですが、
勝負では両者の駆け引きや感情的な言動は、
その勝負が熱気を帯びれば更に極端となります。
それを承知の上で、「礼に始まり、礼に終わる」が持ち出されたものと思われます。
すべてを納得して、それを規制する方法としての言葉ではないでしょうか。
普通、勝負に集中していれば、そのような言動は有り得ないと思われますが、
我に帰った時点で、集中力から外れた瞬間的な動きの中で生じると思われます。
しかし、この言葉がすべてのスポーツに適するかどうかは、一考の余地ありと思われます。
それは根本に階級意識があるからです。
実力の違いが、たちまち順位に影響する一般的なスポーツとは異なり、
相撲界の階級意識は、一定のランクを保持していれば安泰とされているのです。
その中での「礼に始まり、礼に終わる」ではありますが、
基本的な考え方はその通りであり、テニスでも形を変えて芽生えれば、
精神的な支えになるのではないかと思います。
さて、テニスに戻りましょう。今年のウインブルドンを観戦された皆さんは、
今年の試合をどのように感じられたでしょうか?
熱の篭ったものを感じたのは私だけではないと思います。
アガシの引退声明のように新旧交代もありました。
男子の若手の進出や、女子ではモレスモ・アーデン・ヒンギスの戦略・戦術に長けた
経験者の台頭がありました。
私が一際感じたことは、やはり基本に対する考え方を、
再燃させてくれたことではないでしょうか。
パワーやスピードだけではないことを知らしめてくれました。
更に、最近考えさせられる精神面での充実さの必要性、
技術を越えてその存在を認識せざるを得ない事実を、
ウインブルドンでは教えられたように思います。
06/7/10
《基本は基本−3》
今回のウインブルドンを見ていて、
今までとの大きな違いはサービス&ボレーより、ストーローク・ラリーが
目立ったように思います。特に女子の場合はそれが顕著です。
ただ、さすがにプロだと思われるのは、ラリーが非常に深いことでしょうか?
ボレー・スマッシュで、決められる防御策として前進を阻むためだと思われます。
その中で、距離感を平均的に整えようとするからでしょうか
織り交ぜるストロークで目立つのが、スライスやカットボールの使用頻度の高さでした。
いろいろと技術が進歩し、器具類も変化する時、
大事なのはやはり基本に忠実であることではないでしょうか?
一時的な変化に惑わされてはいけないと思います。
ウインブルドンを観戦しながら気づくのは、
自分の特徴を如何に上手く発揮するかでしょう。
やはり大切にしなければならないのは個性の発揮と思われます。
TV放映で思わぬ情報を耳にしました。サーフェイスが芝であるだけに、
最終戦までの芝の禿げ具合で、試合のパターンが分かると聞いて成る程と納得しました。
そういう意味では、サーブ&ボレーが確かに減った点では納得しました。
面白いものですね。
基本であるラリー合戦が、更にレベルアップしてゆくのではないでしょうか
反面、大げさに言えば、タイムカプセルに乗ったような奇妙な感じです。
しかし、それを強調していた本人としては、嬉しい気持ちは一杯です。
そのような時代になれば、日本人にも充分な勝利への可能性が増してくると思われます。
モレスモとシャラポアとの試合でも、それは垣間見られたように思います。
モレスモの打法は。すべてに対して基本に忠実でした。
反面シャラポアには無理がありました。タイミングをずらせた、
また、緩急を使ったモレスモには余裕がありました。
話が突然飛びます。ある人がピカソの若いころの絵を見て、
「ピカソも、人が見て分かる絵を描いていたときもあったんだ」と感心したそうです。
基本の大切さを教えてくれました。
06/6/30
《基本は基本−2》
全仏・ウインブルドンと、引き続いてメジャーな大会が行われています。
テニスに関係している方は、殆どご覧になっていると推察しております。ぜひご覧ください。
さて、TV放映で解説者の話を聞きながら、
自分の好きな選手を手に汗しながら応援するのも、
一人で楽しむ醍醐味ではないかと思います。
活躍する選手を見ていて、参考になることは一杯あります。
何といっても目立つのは、どの選手も当然ながら基本に忠実であることではないでしょうか
その基本がベースになって、各選手の特徴が上積みされているのです。
そうなると、それぞれの選手の特徴は、如何に個性的であるかになります。
どのようなショットであっても、
選手は自分なりのイメージを持っところから始まるのです。
その上で、実際とのギャップをどう感じてゆくかが大切なのです。
個性的と言われるのは、このように基本の上に乗せられた自分の技術が、
他の人とどれほどの違いがあるか、
特徴があるかを他の選手に知らしめるものだと思います。
アガシとバシャンスキーとの試合を見ました。
今年で引退といわれるアガシでしたが、その実力は若手に引けを取るものではなく、
まだまだ続けて欲しいものです。
アガシのフォームをしっかりと見ていましたが、見事だなと感心したのは、
短いバックスイングから長いフォロースルーでした。
これはラケット面のブレを小さくします。
正確なショットを相手コートへ打ち込むために、大切な基本はラケット面を、
ボールに対して間違いなくキチンと行うことなのです。
その基本をアガシはしっかり見せてくれました。
06/6/21
《基本は基本−1》
人それぞれの特徴を生かすことは大切です。
しかし、その根底にある基本を忘れてはならないのです。
くどいほど言いますがその大切さを忘れがちなのです。
エナン・アーデンの、闘うスタイルを見ていればよく分かります。
相手をしっかりと見つめているのです。自分だけが独走しているのではないのです。
勿論、私が直接聞いたわけではありませんから、
それはないよと言われるかも知れませんが、
彼女のスタイルから受け取る雰囲気に何故かそれを感じるのです。
これは、いくら彼女のスタイルが良いからといって、
その通りにしなさいと勧めているのではなく、自分のスタイルでは、
このような闘いになると示唆しているのです。
パワーテニスの中で、彼女がそれに打ち勝っているのは何故なのか?
戦略・戦術・技術・精神力など、いずれもが並外れているからでしょう。
しかし、その並外れたものも、基本がしっかりしているからです。
初心者ほど一度により多くを求めようとします。
興味を失わせたくないと、指導者はそれを一度に与えます。
綻びはそこから生じるのです。
高い技術を発揮すれば、頭ひとつ抜き出るのは容易です。
しかし、基本をしっかり把握した技術との違いは試合で現れます。
ボールをラケットでどのように把握するか? 物理的に的確な判断は可能です。
それに沿った技術を習得すれば、一躍トップランカーでしょう。
しかし、それが不可能であるのが普通なのです。
反面それを習得しなければ、サンディプレヤーが精々なのです。
一夜にして、すべてを習得する技などあるわけがないのです。
どのような場合でも、地道な基本に沿った、
技術の習得に励むしかないことを認識して頂きたいのです。
その努力がやがて芽を吹くのです。
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