08/4/15
<伊達選手の現役復帰>
かなり大きな記事で現役復帰が発表されました。
25歳で引退した彼女が何故いま復帰?
と不思議な気持ちですが、どうやら本気で宣言したようです。
引退したときの雑音が耳に残り、とても本気ではないだろうと思いましたが、
記事の内容を見ると決めたようですね。いまでもとても本気とは思えません。
先日かっての相手だった、グラフやナブラロチワとプレーをしてましたが、
お遊びに近く真剣勝負ではないので、
それで一念発起したのではないと思いますがどうなんでしょう。
別にスポーツ美学として、カッコ良い引退声明を推奨するわけではないですが、
やはり駄目だったと言う結果にならないようにして欲しいと思います。
伊達のフォームは決して華麗ではなく、どちらかと言えば、
じっくりと相手の欠点を攻めてゆくスタイルで、
地味な内容を持つだけに成功して欲しい気持ちもあります。
しかし、12年のブランクは大きいと思います。
後輩の育成に努力していたので、テニス勘は残っているでしょうが、
問題は体力ではないでしょうか?
伊達の復帰に対するコメントは、
不甲斐ない女子プロ選手の現状に苛立ちを感じたものと思われますが、
それは何故なんだろうと考えた上なんでしょうか。
それをベースにしないと、復帰する本来的な目的が不明確なままで、
注意しないと単なる自己満足に終わらないかと心配します。
どこまで後輩が気づくでしょうか?
日本のスポーツ界で、意味不明なのは協会と言う組織です。
なかでも、独自性の高いものほどその内容はいびつと言えます。
自分たちプレーヤーのとき感じていたはずですが・・・。
今回の北京オリンピックでの女子柔道では、
選手選考がどう考えても納得できないものがあります。
スポーツが競技である以上、その選択方法は勝負の結果であるべきです。
それを、協会の役員が行うのであればなら、選出理由は明確にすべきです。
それでないなら、選出の手段として行われる試合結果を重視すべきです。
いつの時代も、選手はオリンピックを目標に頑張っているのです。
その結果が試合の勝敗ではなく、
協会役員の勝手な判断だとするとスポーツマンシップは消滅します。
たまたま負けたのであって本来は強いから選出した、
と言うなら試合などする必要はなく、
すべて過去の実績のみを重視すれば良いのです。
その上で周囲の批判を受けるべきです。
<日本プロ野球とMLB>
最近、資格を得た日本選手が次々と海を渡っています。
実力を試すためか? 残り僅かな野球人生の最後を飾るためか、
その真意は分かりませんが、不可解な行動です。
それにもまして不思議でならないのは、
日本の中心的なメディアであるNHKが率先して放映し、
解説者まで現地に赴いていることです。無駄遣いだと思われます。
彼等はプロですから、どこへ行っても自由です。
本来なら資格を取らなければ自由行動が取れないところに問題はあるのでしょう。
それは周囲の環境から考えなければ・・・
これらの選手に対して、連続記録とか新記録とは表示していますが、
メディアはそれを不思議に思わないのでしょうか?
条件の違う場所での戦いに同じ評価をなぜするのでしょう?
良い例が新人王です。日本では一流の称号を得ている選手が、
渡米した結果1年目に活躍で新人王となる場合、
どのような気持ちでそれを受け取っているのでしょう。
ならば、日本へ入団した外国選手に対して、
そのような評価をしたことがあるのでしょうか?
これらの行為は日本の実力を馬鹿にしていると思うのは可笑しいでしょうか?
一つの例を上げるなら、全盛期の王選手の場合ホームランの数字は大変なものです。
これも四球の多さが物語っています。
MBLでは殆ど勝負をしていると聞いています。
そのような状況の中で、その結果を比較して何の意味があるのでしょう。
それより日本の野球を楽しむべきではないですか?
そうすれば渡米する選手も減ると思います。
どのような理由があれ、渡米する選手を擁護する気にはなれませんし、
MBLの放映ですら殆ど見ていません。
渡米したければ最初からそうするべきです。
上原選手の巨人の選手でありながら、
今年の暮れにはMBLへ行くと言う発言は考えられない行為です。
応援する気持ちも失っています。
野球は団体競技であることを忘れたのでしょうか?
<今月の言葉>
教えられたものは弱い。
教えるタイミングが難しい。
結局は自分で勝ち取るしかない。
中島 常幸
08/4/02
新聞スポーツ欄の片隅に、貴重なコラムを発見しました。
それは「プロテニス選手協会は、2007年の最優秀選手に
男子テニスのフェデラーを選出した」でした。
同時に、選手投票によるスポーツマンシップ賞も、
併せて受けているとありました。これが素晴らしいと思いました。
強いだけではなく人柄を含めて評価されたのです。
やはり、どのような場合でも、ただ強いだけでは駄目だ
という証拠を見せられたようです。
プロ選手としての、社会的な活躍を評価されたものでしょう。
何も、社会活動をするから立派なのではなく、プロとして収入を得て、
その一部を社会奉仕に使うのが立派だと思うのです。
自分の身の丈にあった行動が立派なのです。
それは、決して突然に現れるものではありません。
自分を痛みつけるほどの練習や試合を経て気づくものだと思います。
見方を変えれば、それは過酷そのものです。
栄枯盛衰世の習いと言いますが、時期がくればどれほど力のある人でも、
力の限界を悟るのです。
厳しい現実の世界を、いやおうなく垣間見ることなるのです。
先日、今までの男子と女子で、一番強かったのは誰かと言う質問がありました。
判断は難しいですが、基本的な条件としては、オールラウンドプレヤーでしょう。
その時期々で選手を見ていますが、トータルで判断するのは難しいし、
特にラケットの変化が、
どのように影響するかを考えると世界最強の称号は難しいです。
それでも自分なりの判断をして、どうでしょうかと言えるのは、
男子ではケン・ローズウォールであり、
女子ではモーリン・コナリーではないかと思います。
勿論、実際に戦うことは不可能です。それだけに本当は意味がないでしょうが、
自分たちの時代を、席巻した選手への憧れでしょうか?
選ぶ楽しさはあります。
ただ、ラケットの変化は気になります。
昔よく見られた、サービスでセンターベルトを吹き飛ばした勢いは、
今のラケットでどうなるのだろうかと言う思いは強いです。
リストを使えない時代の選手が、使えるようになったら、
どれほどインパクトのあるボールを生み出すのか?
ラケット面の使い方にどのような工夫が出るのか?
そのようなことを考えると、ローズウォールやコナリーに軽いラケットで、
さらに華麗なプレーを見せて欲しいと思います。
瞬間的なリストの使い方が素晴らしかったでしょう。
<最近の女子プロの戦い>
その内容では、他を凌駕する強さを持つエナン・アーデンを応援していますが、
最近イワノビッチで感じる、
日本女性ではと思わせる優雅さは素敵な雰囲気を持っています。
厳つい感じの多い中で、その容姿は一際目立つものがあります。
その彼女が、めっきり腕を上げた中で素晴らしいのは、
サービスの確実性とストローク打点の高さでしょうか。
身長に見合う、高い打点で叩き込むボールの勢いは、
その打点の高さと角度は、知らず知らずにオープンコートを作り出し、
自分を有利に進めているようです。
打点が高ければ、当然ですが角度は鋭くなります。
特にバックハンドは両手打ちですが、相手のサービスエリアをクロスする、
鋭角的な打球は相手選手をコート外に・・・・。
それを難なくやってしまうのですから、あのおっとりとした表情の中に、
底知れぬ強さを秘めているように思えます。
メンタル面の強さもあり、上位ランクに君臨するのも直ぐでしょう。
もう一人最近印象に残った選手が、ベルギーのバシンスキーでした。
サースポーで相手のバックサイドで
サイドラインへ切れて行くサービスは素晴らしいです。
特徴のあるスピンが掛かったサービスは、生きているように鋭く曲がり、
それを追っているレシーバーは、
通常のポジションではなく完全に追い出されていました。
身体も日本人とは変わらない、バシンスキーの経歴を調べると、
17歳で世界ランク94位と分かり驚いています。
今更に世界の大きさを思い知らされました。
その度に思うのは、日本選手の層の薄さでしょうか?
よくハングリーと聞きますが、テニスに懸ける熱意は、
毎日でも良いから練習したい気持ちの持ち方でしょう。
<今月の言葉>
プロとは、与えられた課題に対して、100%努力すること。
信じることが、選んだものの責任である。
その信頼関係が、すべてに優先する。
競争が組織を強くする。(ライバルの存在)
コミュニケーションが大事、時間を共有すること。
ハットトリックが優秀なのではない。
サッカー経営者 祖母井 秀隆
08/3/17
いま、考えていることがあります。
テニスのメモ帖も当初から考えもしなかった100回を越え、
200回をも越えました。
これも読者各位のお陰だと思っております。
しかし、その内容は技術面・メンタル面でも底を付いてきたように思われます。
このまま続けるよりは、一度この資料を整理して、
ブログへ挑戦して見ようと思っています。
勿論、整理にもかなりの時間を要しますから、すぐには無理ですが
今後の予定を明確にしておくのも、
いままでお付き合い頂いた各位へ誠意ではないかと思っています。
<あるテニス教室の練習について>
つぶさに見たわけではないですが、錦織のコーチが話していたこととは、
その内容にかなりの違いがあるように思われます。
前にも一度書いたことがあります。
練習で一番大事なことは、最初に基本をいかに習得させるかにあります。
繰り返しの練習の中で、基本の大切さを認識させることが大切なのです。
何よりそれが一番なのです。
それは個人個人の違いを本人に納得させることなのです。
好き勝手にボールを持て遊んでいてはいけないのです。
一度くらい外から見ていて、何が分かるかと言われるかもしれません。
しかし、子供たちの動きを見ていて、気付いたのはフットワークの拙劣さです。
テニスは皮肉な言い方で、テニスではなくアシニスだと言われていました。
先ずは、フットワークを身につけることがスイングよりも大切なのです。
その意味は、スポーツ全般に問われることですが、
動くことを考えれば当然と言えば当然なんです。
極めて単調な面白みのない練習ですが、それを克服することが大事なのです。
フットワークを軽視して、ラケットを振り回すだけでは
全体のバランスが身に付きません。
フットワークが引っ張って、ラケットスイングが付いてくるのです。
そのフットワークを完成させるには、膝の使い方が大事になります。
これがショックアブソーバーになるのです。
上半身と下半身を連動させる基本となるのです。
このように、どのような内容の練習をするにしても、
部分的なものを求めては駄目なのです。
全体の中で、その部分をどう生かすかを考えないといけないのです。
<最近の女子プロの戦い>
最近の女子プロのTV放映を見ていて、
感心した選手にめぐり合えることが出来ました。
スイスのシーニーダーで、調べましたら世界ランクが11位でした。
サースポーですが、一番気に入ったのは全体のバランスです。
体格も日本人と変わらないものがあり、
それこそ身近に参考になるのではないかと思います。
まず、バックサイドへのサービスは、
極端なスピンを掛けるため相手はコートから追い出されました。
このようなサービスは過去に一人しか見てないです。
サービスにスピードはなかったのですが、
その回転でそれこそオープンコートを作り出しているのです。
これを見ても分かるように回転がどれほど効果があるかなのです。
次に気づいたのは、ワンテンポの(間)を置くテクニックです。
相手コートを見ながらの(間)は、逆を取ると言うものとは若干違うものを感じました。
これは、かなりボールを引き付けないと不可能であることです。
オープンコートをカバーしようとするのは、選手にとって本能的な動きなのです。
その中で、ボールを引き付けられて逆方向へのボールは、
的確な方向性を持って打ち出されますから、
相手選手は逆方向へ走るしかないのが唸らせました。
日本の選手も、体力的に適わないのであれば、
ボールの回転を考慮し方向を定める「戦略的」テクニックを身につけることで
充分世界に望めると思われます。
<今月の言葉>
100M競争は戦場です。ライバルとの戦いの場だからです。
走るときは、握るのではなく両手を一杯に開きます。それで肩の力が抜けるからです。
自分との闘い。トンネルの中を一人で走っている心境が必要
世界最速の男 ジャマイカのパウエル
明日をちゃんとしないとお客様はこない。
遠くを見ることはない、明日だけを見るようにしている。
究極の美しさは、自然な何気ない美しさに惹かれる。
その意味からすれば、花は意識した美ではない。
プロとは、どのような状況でも、ある種のレベルを維持している人を言う。
かぶぎ役者 坂東玉三郎
08/3/1
<錦織の快挙>
TVや新聞では大変な騒ぎです。また日本独特の「王子様」が誕生したわけです。
皮肉な見方ではないですが、一人の先のある若者を潰す気ではないでしょうね。
それにしても、どうしてこれほどの騒ぎになるのでしょう。
これで活躍しなくなったら、それこそ年齢に関係なく過去の人になるのです。
プロだから自己責任で済ますのでしょか。
テニス愛好者としては、彼の快挙を喜ぶと同時に、今後へ向けて一層の引き締めを行い、
自分の実力を継続してアップさせて欲しいと願うのみです。
今回の優勝は誰でもが出来るものではないです。
244位の彼が世界12位のジェームス・ブレイク(米)を
3−6・6−1・6−4で破り優勝したのです。
試合後、彼が信じられないと言ったのは、そのまま本音でしょう。
実力の差232をどう説明したらいいのか?
それは実力差がランクとは関係ないことなんでしょうか?
彼は、昨年(19年)9月17歳でプロ宣言をしています。
今年18歳でツアー初優勝です。
1セットダウンしてから開き直ったのか実力なのか?これからの課題でしょう。
気になるのは、彼を取り巻くコーチや指導者の話があります。
あまりにも口を揃えてべた褒めです。
いまこそ、しっかりとしたアドバイスが必要ではないかと思われます。
いま一つは、次の試合でロディックと闘った後のコメントです。
ロディックは、あらゆる手段を使って闘ったとコメントしています。
下位と闘う気持ちがよく現れています。
対して、彼は「思ったより強くはなかった」とコメントしている。
「フロック」と言う言葉があります。当たり前ではない勝利の意味ですが、
そう言われないためには次が大事なのです。
ここで忘れてならないのは、彼は18歳だがプロだと言うことです。
フェデラーの、プロとしての心構えをどのように考えているのか?
先輩に対する礼儀を失ってはいけません。
自分の気持ちの中で、相手をどのように評価しようと一向に構わないです。
しかし、相手を尊重することが、スポーツマンとして重要であることを
忘れてはならないのです。
勿論、試合が開始されたら徹底的に攻撃なければなりません。
相手を二度と立ち上がれないほど打ちのめすべきです。
相手の欠点を探り当て攻撃するのです。
それが出来てこそプロと言えるのです。
コメントで試合の鬱憤を披瀝するようでは駄目です。
勝てなかったら、何を言っても負け惜しみでしかないのです。
プロは勝って何ぼの世界です。
それは充分に認識していると思いますが、体力的な問題点を抱えているようで、
世界各地を転戦するプロでは注意が必要でもあります。
日本テニス協会では、優勝戦での彼のプレーを見せてくれるようです。
間違えてはいけませんので、協会のホームページをご覧ください。
3月の予定だそうです。楽しみです。
これを書いているときに、デ杯の日本代表として彼を選んだことを発表しています。
彼もそれを胸躍るとして受け止めています。選手冥利に尽きることでしょう。
<民間TV放映 錦織のスタイル・・・松岡修造氏>
錦織が優勝した次の試合で、相手ロディックとの闘いに付いてのコメントがあった。
試合の結果は(2−6・4−6)でロディックの勝利となりました。
松岡氏は開口一番、あの試合ではロディックに勝っていました。
実際には負けた試合なのに、どうしてこのようなコメントをしたのでしょうね。
相手に対して失礼ではないですか?
ベスト20位くらいでは、殆どの試合で互いが顔をあわせるでしょう。
嫌と言うほど相手を知っているはずです。そこには長所も短所もなんです。
解析し尽くした相手との試合と、初めての相手では戦い方がかなり違うのです。
長所も欠点も分からないからです。しかし、一方は失う物はないのです。
彼の優勝を、祝する気持ちはあって当然でしょう。
時折名前を知る程度の彼のこの事実は限りなく嬉しいものです。
だからと言って甘やかしてはいけないのです。
負けた理由として、ロディックが潰しに掛かった。
メンタル面で負けたと言ってました。
ロディックも綺麗な勝負ではなかったと語っています。
勝負はそのようなものではないでしょうか。
誰でも、綺麗な文句のつけようがない勝ちを理想としているでしょう。
あくまでも理想です。しかし、勝負の世界はそんなに綺麗なものじゃないです。
甘えちゃいけないです。
前にも、杉山に対して解説時に「愛ちゃん」を連呼した松岡氏ですが、
今回も同じように「圭、圭」と連呼してました。
いずれもプロとして独立していることを忘れているんでしょうか?
もし、親しみを込めて使ったのであれば公式の場ではありえないことです。
教えた選手であると思うなら、
指導者として教え子を子ども扱いにする驕りと言えます。
<今月の言葉>
丁度そのようなとき、NHKで羽生棋士の放映を拝見しました。
プロのプロたる彼の言葉は重いと感じました。
<才能とは、努力を継続する力
<手を読むのではなく、流れを読む
<負けても、そこに得られるものがある
<勝負はやってみないと分からない
<勝負師としての心掛けは、進化してゆくこと
<プロとは、何事にも揺らぎない人
08/2/18
<ダブルスの面白さ>
何故か、テニスでダブルスはマイナーな感じ、
その主体はシングルスでこれこそメジャーと言う感じです。
これは競技の内容からどうしてなのかとの疑問はありました。
ダブルスが主体で発展してきたソフトテニスと違い、
テニスの場合はシングルスかなと思います。
確かにTV放映でもダブルスは殆どないというのが実情です。
最近になって、ネットワークの事情が変わりチャネル数の増加で、
ダブルス世界ランカーのプレーを、間近で見ることが出来るのは望外の喜びです。
こうなると、欲が出るのでしょか?
かっての名選手ローズウォールやマッケンロー、
女性ではコナリーやエバートのプレーが見たいです。
素晴らしかっただろうと夢見る思いです。
しかし、ダブルスは個人技を全面的には受け入れません。
シングルスと異なる部分です。
このために個人技を封印する点でダブルスが軽視されたのかと思います。
それだけに感じるのは、プロのダブルスに於ける個人技の発揮ではないかと思われます。
チームワークを整え勝利へ向かう体制作りはさすがプロと言う思いです。
最近のダブルスで強く感じるのは、ラケットの捌きではないかと思われます。
重いラケットのときにラケット面を上手く使う方法は軽くなった今でもあるようです。
重いときと軽くなった今との大きな違いは、
瞬間的な動きに対するラケットの捌きと思われます。
反応する角度にかなりの違いがあると思われます。
だから、ゲーム運びが速くなり動きがスムースになり、
見ている人にスピード感を与えるのではないでしょうか?
このスピード感が見ている人を酔わせるのでしょう。
ラケット面の活用と、手首の操作によるボールのコントロールは、
誰にでも出来るものではないですが、
とりわけ華やかさを感じさせる瞬間の動きは見事です。
08/2/1
<全豪オープン>
新年を迎えての全豪オープンが終了しました。
波乱含みで観戦する側から見ると面白かった試合だったと思います。
しかし、フェデラーの敗戦は驚きました。
やはり、日本選手の進出は無理なんでしょうか?
男子は皆目先が見えません。
僅かに望みのある女子ですが、
高齢の杉山への期待に胸躍らせる時代は過ぎたと思われます。
それにしても、杉山と言う名前に負けるのか実力の差があるのか理由の如何を問わず、
中々新鋭選手の台頭がありません。これは世界的に見ても同じかも知れません。
シャラポアの優勝も、結果としてなるべくしてなったと考えるかどうかでしょう。
決勝で、相手になったイワノビッチの立場では、簡単に済ませるわけにはゆかないでしょう。
男子のジョコビッチは20歳、
フェデラーを破りその勢いで勝ち進んだと思われますが、
その道は優しくない。
優勝した後のコメントは思って出来ないものでもあるのです。
彼が語った「自分のテニスをした。その結果の優勝だ」は、
勝利の際誰でもが口にするもの。
しかし、それを実行することは至難です。決して簡単なことではないのです。
勝敗について、自分のテニスを続けるのが、
如何に集中することであるかを知らしめてくれるのです。
ミスが続くと、実力の限界を知ることになるのです。
試合中に、揺れ動く自分の考えとのギャップに、
動じることなく冷静に見つめることが勝利には不可欠ですが、
それを如何に続けるかが求められるのです。
しかし、相手になったツオンガは、ノーシードから立ち上がった俊英。
負けて失うものはない、ことをバックボーンにした相手はより一層手強かったと思います。
このような試合を見ると、チャン選手を思い出します。
何が全ての中で飛び抜けているのか判断できない技術面、
同じような体格に潜む力量をどうして継承できないのか
勿論、体格ではなく底に潜む精神面の強固なベースは、
簡単に習得できるとは思えませんが、諦めるものでもない。
総合力を如何に効率よく発揮できるかではないでしょうか。
08/1/17
<ダブルスについて>
最近、TV放映でダブルスの試合がよく見られます。
ダブルスは性格上華やかで、見ていてその素晴らしさに感嘆することがよくあります。
シングルスと比較しても、その技術は多彩で一打一打に目を奪われ、
試合の中に溶け込んで行く心境になることが多くあります。
将に技術の宝庫でしょうか?
後輩に比較的に使う言葉に、シングルスの1・2位のぺアが3・4位のペアに
勝てる保証はない。
そこにダブルスの真髄としてのコンビネーションがある。
これらの言葉も、最近になっていよいよ現実味を帯びています。
世界のダブルスランカーを見ていても、それは如実に感じられます。
杉山がダブルスに吹っ切れない証拠でしょう。
コンビネーションに例えるもので、自動車のワイパーの動きがあります。
あれほど定型化した規則性はありませんが、
ペアが交差しない動きは何より効率的なのです。
それだけに、習得するには突っ込んだ考え方をする必要はあると思われます。
人の動きが、一つのボールを追いかけることで発生するなら、
追いかける効率を考えなければいけません。
相手コートに返球するのが第一ステップであるなら、
法則性は有効かも知れません。しかし、相手があるだけに、
そこからの返球をどうあるべきか考えなければいけないのです。
ボールを打ち続け、その中で相手のミスを誘う有効打は簡単ではありません。
互いに競う合う中で、如何にして相手のミスを誘発させるかがポイントになります。
試合から受ける印象は、当然ながらコンビネーションの素晴らしさ、
動作の機敏性、ラケットの的確な面角度、
振り切るのではなく面の角度の使い方等があります。
独特のサインにより、オープンエリアを決して作らないポジショニング、
これらはペアのコンビネーション哲学と言えるのではないでしょうか?
<グラウンドゴルフについて>
突然にごめんなさい。毎年のように新しいスポーツが発表されていますが、
グラウンドゴルフ(GG)も高齢者のスポーツとして、
最近になって市民権を得るようになったのです。
町内会で誘われ、スポーツ大好きとして参加しています。
いままでクラブ活動をしていた立場から、
GGの思いつきルール等が目に付くようになりました。
折角、いままでスポーツに馴染めなかった方達が、
いまや自分達のスポーツとして楽しんでいるのを拝見すると、
ベースをしっかりしたものと言う要望は強くなります。
GGと比較されるのがゲートボールです。
いままで、高齢者のスポーツはゲートボールだったのは間違いないです。
比較すれば、これほど両極端のスポーツは珍しいです。
その内容を、ここで説明するのが本来の趣旨ではないです。
遊戯ではなく、スポーツとして認められるには、どうあるべきなのか?
運営側の一途な気持ちが大切だと言いたいのです。
このままでは、スポーツではなく単なる身体運動でしか評価されなくなります。
高齢者のスポーツ、との大義名分に振り回されてはいけないのです。
ゲートボールは団体競技で、GGは個人競技です。
個人競技にしただけに、その骨子は個人の尊重にあります。
これは個人が自由に判断していいことではないのです。
GGのルールは、公認ルールとして16条しかありません。
追記は全くありません。すべて、ローカル・ルールとして判定されています。
そこに運営(協会)側の怠慢を感じるのです。
いまさら言うまでもありませんが、スポーツの基本はルールにあります。
GGのように、個人競技であればあるほどルールの重要性は貴重なのです。
基本として作成されたルールは、人が机上で作成したものです。
それは、実際面でケースによる追加や修正が必要なのです。
それがGGをバックアップするのです。
GGについて、今は何らかの関係があり、これからも時々口を挟むかもしれません。
真剣にプレーしている高齢者を拝見すると気になってなりません。
<今月の言葉>
プロフェショナルとは、自分の仕事の中でもっと上を目指す。
修行は一生終わらない。
自分の好きなことだから突っ込んで考える。
仕事に自分を合わせる。
世界中に評価されても、次を考える。
三ツ星・寿司職人 小野二郎
08/1/4
ご愛読者各位
明けましておめでとうございます。
昨年もご愛読頂き心からお礼申しげます。
今後どうするべきか考えながら年を越し、結論を出せないま新年を迎えました。
続けている間はテニス大好き一本で参りますで、
変わらぬご愛読をお願いいたします。
<エナン・アーデンについて>
最初に見たとき、身体つきから日本人と変わらぬところから活躍を応援してきました。
いまや押しも押されぬ女王ですが、その実力には言うべきものはないです。
日本選手にとっては、あらゆる面で参考に出来るのではないかと思います。
かってのコナリー選手を感じさせ、もっと突っ込んだ研究をすべきではないでしょうか?
エナンで一番驚くのは、誰もが同じように身につけることが可能であるメンタル面です。
ピンチになればなるほど冷静に現状を見つめる態度は素晴らしいです。
それは、いったんコートに入ったときから、
ゲーム終了まで途切れることのない集中力ではないでしょうか?
ボール以外へ気持ちを揺らせないのは立派としか言えません。
集中力は、誰でも習得できる心的な技術だと思います。
しかも自分自身がその気になって出来ることなのです。
スポーツ選手として不可欠なものなのです。
次いで驚くのはその身体能力です。
これは選手自体に備わった能力で練習での練磨も可能ですが、
ある程度は残念ながら生まれ持った物だと思われます。
だからと言って諦めてはならないのです。
鍛錬で近づくことが不可能ではないのです。
少しでも近づけるならそのために努力するのは選手として当然なことです。
試合でプレッシャを感じない選手はないと思います。
その中で実力を発揮できるのは集中力の持続でしかないのです。
その集中力は習得が可能なのです。
更にエナンを支えているのは、強靭な自信ではないでしょうか?
これこそ練習で支えられるものなのです。
たかが練習されど練習であることは間違いない事実です。
例として、在学中の経験として、しっかりとした練習で得たものは、
ダブルフォルトを全く考えないことです。
自分の中ではあり得ないとの自信があるからです。
これによる結果は、身体の動きをよりスムースにしサービス力がアップし、
ひいてはスイングがスムースに行われインの確率が高まることになるのです。
人間の身体は不思議なものです。自信を持つことで身体がリラックス出来るのです。
そのリラックスした身体が発揮するのは時には実力以上のショットなのです。
これは考えて出来るものではないのです。
鍛えられた技術に後押しされて「この一球」に集中するからこそ生じるものなのです。
まぐれ当たりではないのです。
これらは、エナンだけではなく他の選手からも受ける場合があります。
それほど物事に集中すれば実力以上のものが発揮されるのです。
決して計算されたものではないのです。
<選手の技術探求について>
先日、米大リーグの名投手ノーマン・ライアンの技術探求の経緯が発表されました。
その内容の巧拙は別にして、
その探究心はスポーツマンの心構えを示していると思われます。
彼がバックボーンとしたのは、「いままで調整不足で負けたことは一度もない、
充分な練習をしていれば結果を出せないことではない」だったのです。
それは自信に満ちた言葉であり、
スポーツを目指す人が座右の銘として心すべきではないかと思われます。
ライアンは46歳でノーヒットノーランを達成したのです。
彼が投手として心がけたのは、打者に対する気持ちとして、
絶えず「内角を攻め、自信を持って投げる」で
引退するまでその気持ちを切らすことが無かったとあります。
解説にあったその内容は、実に多岐にわたっています。単なる教本ではありません。
名選手が後輩のために経験をくまなく披瀝するのは役立つことです。
しかし、単なる技術教本ではなく、
あらゆる角度から後輩が育つための示唆がなければならないのです。
それでこそ、それを遵守した後輩が立派な選手になるのです。
経験は、その選手がプレーした集大成です。かけがえの無いものです。
それを試合に充分生かすことが必要なのです。
それが発揮されて初めて試合に勝てるのです。
このように試合に勝つ方策を後輩へ伝えることが、先輩の務めでもあるのです。
いままで自分が得た技術を、後輩へ伝えることは自分を自慢していることとは違うのです。
そのような意味では、ライアンのメジャーで培った投球術は、
続く後輩達にとって極めて貴重なものです。
後はそれをどのように自分の身につけるかなのです。
<今月の言葉>
プロフェッショナルとは、精神的にタフであること
あるヘアデザイナーの言葉
07/12/16
<マスターズを観戦して>
一時、力の衰えを感じさせていたフェデラーが、結局は優勝しました。
その力はさすがと思わせるもので、技術の練磨を志す人には欠かせないものでしょう。
詳細な説明には紙面が不足しますが、何より素晴らしいのは、
その動きの俊敏さでしょうか?
予測の素晴らしさが、それを助長させているのかも知れません。
サーフェイスの関係か、サービスエースが激減しています。
それだけに、ストロークの大切さが再認識させられています。
そこにこそフェデラーの強さが引き立つのです。
ゲームを見ていて気づくのは、ボール回転の多様性といいますか?
ともかく変化が大きく多彩です。同じ回転のボールが二球と続かない点が印象的でした。
しかも、ネットに接近する相手には、巧みな裁きでロビングを上げ、
その時すでにネットには、フェデラーがいると言う素早さで見事な動きです。
ストロークで気づくのは、ともかくボールが深いです。
このため簡単にネットへ付くのは容易ではないです。
相手がネットに付くのを警戒した行動はこれらと連携しています。
また、ショートクロスへの打球が、的確に打たれています。
基本的にはクロスへ長いラリーとなっていますが、
短くなるとショートクロスになり、ネットへ付いています。
相手を崩す方法では、圧倒するストロークではなく、
タイミングを図ったドロップショットで相手を誘い出し、
その間隙を縫って自分を優位にしているようです。
特に目立つのは、ネットへ付いた相手に対しての、
ショートクロスではないでしょうか?
しかし、決め球としては、狭いダウンザラインを狙ってるようです。
いずれにしても、技術ではトップクラスのプロ選手の動きは、
参考になるのは当然ですが、ややもすると感心するしかない素晴らしさが、
目立つだけとなりかねません。
07/12/2
<全日本オープンの感想>
鈴木とクオンのシングルス優勝戦を見ました。
内容的には、鈴木の一方的な試合になってしまい、
その影響か迫力を感じさせない試合になりました。
試合と言うものはシード選手の区分で、
最終的には実力が拮抗する選手の台頭があり、それだけに試合内容も迫力があり、
観戦する側の興奮も増すものです。
しかし、今回はそのような興奮も無く、結果としては
?マークが付く平凡なものになってしまいました。
勿論、それで優勝した鈴木の戦績が損なわれるものではありません。
ただ、このような相手であったためにコントロールしたのか?
勝ちに拘ったような試合になったようです。自分の形より勝負に拘ったのでしょうか?
そのような感じが随所に見られました。
確かに如何に良いプレーをしても、結果として敗戦したのでは意味がなくなります。
形よりは勝敗を取ったのでしょう。
鈴木のボール処理のスタイルが本来どのようなものか?
イメージとしては、強力なサービスからネットダッシュし、
ネットプレーで相手を仕留めるものだったはずです。
試合で気になったのは、打球するよりタイミングを合わすだけの、
ただボールをピックアップする感覚で、処理していたように思われました。
余裕がある試合態度だから通じるのでしょうが、世界的な試合になると、
このような余裕はないでしょうから、タイミング主体の打法では通用しないと思われます。
試合は、6−2・6−2で10年ぶり3回目の優勝となりました。
その経過は、双方の実力から見て不思議な感じですが、
鈴木の試合運びに一日の長があったのでしょう。
その実力は、世界ランクから考えれば全日本での優勝は、
当然と言えば当然であり不思議はないのですが、
それだけに小手先の技術を見せて欲しくなかった。
相手は、スライスを特徴とするオールラウンドプレーヤーと聞いていました。
しかも、今回二度目の出場で、いずれも決勝まで進出している力は大変なものです。
その得意とするところは、スライスで角度をつけたストロークで、
相手を走らせオープンコートを作り決めてゆく。その巧妙な試合運びに翻弄されたようです。
その選手に勝つために、サーブ&ボレーを徹底した試合運びは、
つけ入る隙を見せなかった鈴木の実力として評価出来るものだと思われます。
そのような中で、鈴木が見せたポイントが決まるたびのガッツポーズは、
相手に対して威嚇的な感じがあり、上位ランクの選手の所作ではないと思いました。
世界でも、ナダルのように自分を鼓舞するだけではなく、
相手へ勝利宣言を込める場合もあるし、
フェデラーのように自分に対する集中を高める場合もあるようです。
それぞれ国民性があるのでしょうが、ガッツポーズは本来自分に対するものであり、
相手に対するものではないことを知らなければならないと思います。
それこそ、スポーツマンシップの欠如ではないでしょうか?
先ずは相手を思いやり、対等に闘える立場を喜ぶべきではないでしょうか?
これこそ、スポーツの真髄だと思われます。
07/11/17
<JTAジュニア憲章>
このトップに、福田先生の「この一球」が採用されました。
後輩が持参してくれました。私にとってはこの上ない喜びです。
先生もきっと喜んでいらっしゃるでしょう。
小冊子によると、憲章の制定は2006年2月2日となっております。
本日は、この関連について記述して、
いまのテニス協会が何を考えているのか考えて見たいと思います。
憲章を制定する理由は、
全国の各テニス協会や指導者、保護者と連携し、将来の日本を担う子供たちが、
健全で活力あるスポーツ活動を行うことを願い・・・となっている。
憲章の中味は、
1)テニスに親しむ
心身ともにたくましく育つように、スポーツ心を身につけよう。
2)テニスを楽しむ
全国の仲間とコミュケーションを図り、テニスの輪を広げよう。
3)テニスを理解する
ルールを理解し、正しいマナーと思いやりの気持ちを養おう。
4)テニスで競う
育成、強化を通じて、お互いに競い合い、理想を追求しよう。
<ジュニア選手 心得>
私たちは、大好きなテニスの価値を高め、
テニスに関わる自分自身の生活を豊かなものにするため、
次のことをジュニア選手の心得とします。
1、生活を通して
1)フェアプレー
試合で培ったフェアプレー精神を活かし、
家庭や学校などを含めた社会活動においても、ルールを守り、
フェアプレーですがすがしい行動を心がけます。
2)コミュニケーション
コートの内外を問わず、知り得た仲間とのコミュニケーションを図り、
テニスの輪、友達の輪を広げるようにします。
3)自己管理
誇りあるテニスプレーヤーになるために、食事をバランスよく取り、
勉強もおろそかにせず、家庭内や学校生活などでの日常生活を通して、
しっかりと自己管理に努めます。
4)土台作り
将来、大きく成長するために、オンコートのテニスの練習だけではなく、
他のスポーツや体づくりに取り組み、運動能力を高めることにも挑戦します。
また、オーバーワークに注意して傷害を防ぐようにします。
2、コートでは
1)尊敬と感謝
家族、クラブの仲間やコーチはもちろん、試合会場、
大会、宿舎などでの「テニスに関わるすべての人々」に対して、
尊敬と感謝の気持ちをもって接します。そしてなによりも、
テニスが出来ることへの感謝の気持ちを持ってプレーします。
2)ベストプレイ
どんな状況でも勝利のために、最後までひたむきに全力を尽くす
「ベストプレイ」を心がけ、たとえ勝っても「相手を思いやり」、
また、たとえ負けても「敗戦を誇りある態度」で受け入れ、
しっかり相手と握手を交わします。
3、夢を持って
1)知識を知恵として取り出し工夫を重ね、夢の実現に向かって日々楽しく「挑戦」します。
添付書類として「ご観戦の皆様へのお願い」がありました。
本日は本大会にようこそお出で下さいました。
ご熱心なご観戦に厚くお礼申しあげますとともに
ご観戦中は、以下にご協力賜りますようお願い申しあげます。
応援されている選手の
相手のミスに対しては、どうぞ拍手、歓声を
お慎み下さいますように・・・・。
特に、相手の「ダブル・フォルト」に対しては、
なにとぞ「温かい沈黙」を頂きますように・・・。
以上が、私の預かった全文です。お読み頂いた各位のご感想は如何でしたでしょうか?
福田先生の「この一球」を見て素直に喜びましたが、いまは複雑な気持ちです。
様々な思いが心の中に錯綜しています。
一方的な判断で記載するより、各位のお考えをお聞きしながら、
それを踏まえて自分の考えを披瀝したいと思っています。
07/11/01
<呼吸法の考え方>
呼吸は、何気なく行っている生きるための操作です。
誰しもいま呼吸しているぞとの思いはないものです。
それほど自然な感じの呼吸にあるヒントがあるのです。
基本的に、やや大きく息を吸うときは誰でも肩に力が入ります。
反面、息を吐くときは肩の力がすっかり抜けているものです。
それが大事なのです。
あなたは、緊張した場面でその緊張を解くために、
大きく息を吸う行為をしていませんか?
それで緊張が解けましたか?
それは全く別の行動なのです。
TVの放映でプロ野球を見ることがあります。
緊張した場面で投手の表情がクローズアップされると、
息を吸うのではなくて吐いているのが分かります。
ゆっくり息を吐いて行くと、肩の力が抜け同時に身体の力が抜けて行くのです。
緊張したときに、ぜひこの行為をしてみてください。
新しい自分を発見出来ると思われます。
激しい動きをしたときに、呼吸を整えるのとは違います。
心の動揺を収めるには、同じような行為は逆に緊張をアップさせます。
心静かな自分を迎えるためにもぜひ試みてください。
今までと違う自分を見出すことが出来ると思います。
テニスでは特にテクニカルな面より、
メンタルな面により強力なバックアップのチャンスがあると思われます。
よく言われるプレッシャーとは、余計なことを考えることで発生するのです。
いわゆる「雑念」に囚われるのです。
スムースな動きを妨げるものを言います。
それを防ぐのが、「正しいため息」と言う呼吸法を考えるべきなのです。
口を軽く閉じ、唇を震わすように息を吐くのです。
これで要らぬ力が抜け緊張を解くのです。
07/10/15
<集中力をアップさせる方法>
先日、NHKのTV放映で面白いものを見ました。皆さんへ紹介したいと思います。
勿論万全ではありませんが、一つの方向付けとして試す価値はあると思います。
ガッツポーズが、何故「グー」なのかということです。
言われればその通りで、「パー」でガッツポーズをする人を見たことはありません。
発想の転換でしょうか?
これは、生理学的な見地から言えば、極めて原始的な脳の働きだそうです。
原始的というより、生きるための基本動作である「握る」行為を言うようです。
それは、赤ちゃんを見ると分かります。
手の握りを見ると、いわゆる「ニギ・ニギ」をしてますね。
これは一種の自己防衛を示しているとも言われています。
このガッツポーズが、脳の働きを持続させる効果があると言われているのです。
と言うことは、集中力のアップに繋がると判断されるわけです。
テニスの選手にも、このガッツポーズをしている人が増えています。
それによって自分を鼓舞し、集中力を持続させることで勝利に近づけるなら、
ぜひ実施して欲しいことです。
ただ、気になるガッツポーズがあります。
それは自分の力をひけらかす様に、相手に向かってのゼスチャーです。
これは失礼極まりない行為だと思います。
ガッツポーズは、自分を鼓舞するために行うものであり、
相手に自分の実力を見せ付けるものではないのです。
その姿を見ると相手に「ザマーミロ」と言っているようです。
感じの良いテニス選手を見ると、自分を鼓舞するために行っているガッツポーズは
小さいです。手を握り締めながら、自分の心に伝えるようなポーズになっています。
一方、自己顕示欲をそのままひけらかすような、大きなゼスチャのガッツポーズは、
相手に向かってその手は空を指し大げさです。見ていて快いものではないです。
<ジャパンオープンから>
今回の日本選手には失望の連続でした。
期待が大きすぎたのでしょうか? しかし、それにプレッシャーを感じるようでは、
いま以上の活躍は期待できないと思われます。
同じ年齢の各国選手を見ていると、
その戦う姿にプレッシャーを感じているとは思えない動きです。
溌剌としたプレー振りには清々しさを感じ応援してしまいます。
杉山には連続の失望感です。多くの観客に対して、あのようなプレー振りは失礼です。
もっと必死さが欲しいです。それが出来ないなら失礼だが身の処し方を考えるべきです。
アンフォースドエラーの多さと、不思議と続くダブルフォルトは、
プレーに対する真剣さを疑いたくなります。
厳しすぎるでしょうか期待が多ければ当然ながら批判も厳しくなります。
17歳の錦織プロ転向第一戦との紹介でしたが、結果は無残でした。
汗をかく度合いが相手選手に比較して極端に多く、
しばらくしてメディカルタイムを取りました。
本質的に腰に病があるのかよく分からないが、
ジャパンオープンの第1回戦でのメディカルタイムは、
どう考えても理解を超えてしまいます。考え方の違いでしょうか?
試合では、そのせいかどうか? アンフォースドエラーが多すぎる気がしました。
エラーは相手にポイントを与えることであり、
これが多くなると劣勢はやむを得ないでしょう。
続く17歳の森田あゆみはミルザと闘いましたが、
ランキング100位の違いを見せ付けられました。
一番の違いは、打球の速さでこれは今の状況では仕方ないようです。
ランクの違いを考えれば、仕掛けるのは森田でなければならないのです。
気になるフォアのダブルハンドは何とかならないのでしょうか?
今の森田に世界のチャンスは無いと思います。
この影響はどうかわかりませんが、ジャパンオープンは若手の早々の敗戦で、
シングルス・ダブルスいずれも早々と姿を消し寂しい結末となったのは残念でなりません。
テレビを見ていて感じるのは、気持ちの切り替えがスムースに出来ないと思われます。
国内の大会で、如何に強くても外国人の参加で、実力が発揮できなければ駄目なのです。
07/10/01
<プロ意識ー相撲界の隠蔽体質>
いままでなら表面に出なくて済むことが、一度不始末をするとまるで溜まった膿を
出してしまえと、周囲が騒ぎ立てるようです。
脆弱な体質がそれを跳ね返せないのかも知れません。
そうなると、いままでは貫禄のあった親方衆が貧弱に写ります。
勿論、立派な親方もいらっしゃいますが、
今回の時津風親方の態度はどう考えても納得いきません。
自分の態度に自信がないのか、身勝手な釈明態度も「どうかしていませんか」と
問いたいくらいです。あまりにも子供ぽい態度には言葉もありません。
双葉山が聞いたら、どのように答えたでしょうか?先達の名前に胡坐をかくことなく、
その名を汚さないように謙虚な気持ちで部屋を管理することが本当ではないですか?
いまがあるのは、そこまで築きあげた先達の力ではないでしょうか?
その意味からいうと、今回の時津風親方はどう考えても
全うな人間のすることではないようです。
その内容は、親が子供を指導教育する態度ではなく、
まるで子供同士の喧嘩でしかないように思えます。
それならそのように互いに殴り合いをすれば良いのです。
しかし、結論は弟子が手向えない状況にしておいての、
リンチまがいの行動はどう考えてもおかしいです。
この問題が今後どのように進展するのか分かりませんが常識的な判断を望みます。
いまのスポーツ界では、ほとんど姿を消している別称「猛練習」ですが、
全面的に否定するものではありません。
しかし、そこにリンチ紛いの行動があればそれは「NO」です。
自分達が先輩にやられたから、後輩に同じような処遇は当然だと考えるのは、
あまりにも一方的です。
時代の変遷はそれらを含めて考えなければいけないと思われます。
スポーツも、その内容が世代の交代と相前後して変化しています。
自分達が先輩に指導されていた時代では認められた方法も、
いまや形を変えているのです。
07/09/15
<プロ意識ー朝青龍つづき>
やっと彼自身が治療に出向いたようです。日本とモンゴルを騒動に巻き込んだ態度は、
とても横綱がするべきものではないと思います。
本人はどのように受け止めているんでしょう。
引っ張りまわされた相撲協会・親方も大変だったでしょうが、
いずれにしても指導の拙さが、そのまま形を換えて降りかかったと
見るしかないと思われます。責任者は協会であり親方です。
日本では、秋場所が開催されています。彼がいままでそうであったように、
今回は白鵬が一人横綱として、その役を担って頑張っています。
その時を考えれば朝青龍の強さが偲ばれます。
しかし、白鵬の柔らか味のある相撲から考えると、
朝青龍は喧嘩相撲だったような気がします。
どうしても勝敗に拘るばかりに、内容よりも結果を求めるようになったのでしょう。
それらが、自分自身の成長を妨げていると思われます。
当たっているとは思いませんが、
横綱としてどのような方向を目指すべきかを失念しているように思われます。
指導者として、スポーツ業界には大別して「監督・コーチ」が中心となり、
周囲を取り巻く指導者群が、選手個人のレベルアップを指導しているのです。
このような、組織の中で大きな障害になるのは、
指導者を越える実力を身につけた場合です。
これらの選手は、ついには監督(親方)の指示でしか動かなくなります。
こうなると、監督(親方)の考え方一つですべてが方向付けられます。
これは本人がどう考えるかでしょうが、
失礼ながら今回は親方の無様な指導方針が表面化したのです。
何より大切なことは、選手本人の資質にありますが、
それを更に成長させるのは、周囲の指導者であることは間違いないのです。
到底選手だけでは限界があるからのです。
今回の出来事は、他山の石として参考となるものを多くを含んでいます。
決して自分達にはあり得ないと、考えていては駄目なんだと自覚して欲しいです。
07/08/31
<プロ意識>
いま、朝青龍の行動が注目されています。結論を言えば、馬鹿な騒ぎとしか言えません。 プロ意識が、まったく欠如している行動に唖然とするしかありません。
まるで、幼児の振る舞いではないでしょうか。一番頭を抱えているのは相撲協会でしょう。
過去の実績に、どっぷりと漬かって何もしないのが順調な証拠としていた報いでしょう。
いまの朝青龍に、「未だ木鶏足りえず」と言った、
双葉山の気概を伝えても充分な理解はされないでしょう。
20回優勝したから大横綱ではないはずです。
うがった見方かも知れませんが、彼のメンタル面に付加されたのは白鵬だと思っています。
彼のトップに対する考え方に東西横綱はないのです。
横綱は一人との考え方じゃないかと思われます。
白鵬の昇格と彼の行動から、今までに無い強迫観念を抱いたのではないかと思われます。
将に白鵬とは異なった行動です。
これは幼児性と言われても仕方ないでしょう。
プロ意識は、その目標を自分の成長だけと考えないのです。
例えば、フェデラーの技術面だけではなく、
試合が済めば社会的な奉仕活動(ボランティア)にも注力しています。
それ以上にフェデラーが大事にしたのは、自分が成長するのは観客があるからだという、
それこそプロ意識を明確に示していると判断されるのではないでしょうか。
その一環でもある相撲協会の巡業に際して、
怪我を理由に辞退し故郷でサッカーをしていた態度を許せますか?
幼児性を脱しきれない性格を、見抜けなかった協会は今後どうするのでしょう。
2007/3/20
先週のメモ帖の件で、いろいろとメールを頂き感謝しています。
殆どの方が、いつも楽しく読んでいると書いて下さり、何より嬉しく感じております。
私なりの考え方ですが、当初から重視してきた「3F」に、
賛同して頂いているものと言う感覚があり、第2号ではその詳細を書きました。
その一つ目は、フレンドシップ(友情)、二つ目がファイティングスピリッツ(闘志)、
三つ目がフェアプレー(公正な勝負)、ではないかと思っています。
この考え方は、スポーツ全般に与えられるもので、
すべての選手が真摯に受け止めなくてはならないものと思われます。
何故なら、これが相手を尊重するベースになるからです。
選手たちに尋ねたい、あなたはプレー後、その結果がどのようであれ、
互いの健闘を認めてしっかりと握手が出来ますか?本気でそれが出来ますか?
勝負に勝つ、チームが勝つ、自分が勝つ、
これら全てが「3F」のもとで行われなければ意味がないのです。
今の過剰な応援風景等は起こりえないことだと思われます。
このような環境を見ていると、スポーツ業界での大切な役割をになっている、
協会等の上部組織形態ですです。どうも、ここが充分に機能していないと思われるのです。
自分たちの協会が、どうあらねばならないかが、欠けているように思えてならないのです。
協会のあるべき姿は、優秀な選手を育てることではないでしょうか?
タレントを育てることではないはずです。
もっと真摯に、選手の育成を考える必要があると思われます。
協会内での権力争いや、不可思議な資金の流用が日常茶飯事です。
テニス協会で必要なのは、先ずはコーチの育成だと思われます。
技術だけの知識ではなく、物の考え方から指導できる人格を中心に、
考えるべきではないでしょうか?
有名選手の経験者が、コーチを受ける場合があります。
よく聞く話の中で、外国のコーチではプロを経験している人を殆ど知りません。
恐らくプロとしてコーチがいるものと思われます。
話をしていればきり無いですが、このように選手の立場でどうあるべきかを考えれば、
大会で参加選手と変わらない人数の、役員参加はなくなると思われます。
選手を育てる二つ目の課題は、経験させることです。
そのためにも、一人でも多くの選手を派遣させるべきではないでしょうか?
先ずは選手のことを考えるべきです。
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