TOP> Bomb'zてナ〜ニ> メンバー> コート・キープ> コートへの地図> ゲスト・コーナー> テニスのメモ帖>
ワンポイント> シニア・コーナー> リンク・ボード> コート情報> TNA> GUAM> KOREA>
愉快な仲間たち> おみくじ>

<BACK ◇◆ コラム-2 ◆◇ NEXT>
BACKUP-6> BACKUP-5> BACKUP-4> BACKUP-3> コラム> BACKUP-1>
BACKUP-7> BACKUP-8>

08/10/02
   <東レ・パンパシフィックで感じたもの>

   杉山には落胆しました。
  コーチの「彼女からリズムを取ると何も残らなくなる」と言うコメントが後押ししてました。
  それを聞いて「新人じゃあるまいし・・・」

   ゲームマネージメントは、トップクラスだけではなく
  試合に参加する選手にとっては「かなめ」です。
  リズムは人に作って貰うものではなく、自分が作るものです。

   それだけに、コーチの言葉は虚しく聞こえました。
  年齢的に厳しいものがあると思いますが、
  大事なメンタル面でこのような思いは後輩に聞かせてはならないです。

   心身ともに疲れ果てているなら、引退してはどうでしょうか?
  後輩が名前に負けてズルズル後退する様は、決して良いものではないですが、
  この際後輩を育てましょう。

   イワノビッチが負けてしまいました。
  しかし、そのプレー振りは素晴らしい。
  優しい雰囲気を持つ彼女ですが、真剣なプレーに底知れぬ迫力を感じました。

   ストロークでの打球は、その殆どがバックライン周辺に落ちていました。
  その勢いも半端じゃないです。この試合はガードなしの打ち合いみたいな勢いでした。

   特に、バランスの取れたサービスのフォームは、
  そのままボールがラケットのトップから噴出されるような感がありました。
  これが勢いなのかなと感心しきりでした。

   やはりバランスの良さが目立ちました。
  これは練習も大切ですがメンタル面の充実が更に引き立たせているのではないでしょうか。
  危機に微動だにしない自信を感じました。


   <AIG日本オープンが始まりました>

   外国選手が日本選手と全く違うのは、ボールに対する意識と言いますか、
  その執着心は大変なものがあると実感しました。
  一球に対する心構えが違うように思えました。

   それが、顕著に現れるのはあまりにも多いアンフォースドエラーです。
  外国選手に比べてネットアウトが多すぎます。これらの違いはどこにあるのでしょう。

   前回のヒンギスの言葉が蘇ります。
  錦織のゲームマネージメントにその片鱗を窺い知ることが出来ました。
  勝つためにどうあらねばならないかを追求すべきでしょう。

   期待の錦織が順調のようです。
  このまま勝ち進んで欲しい思いは強いです。しかし、日本での歓迎は異常です。
  タレントではないのです。本当にテニスを愛するなら・・・。

   これからの彼を、もっと見守る気持ちが大切だと思います。
  エア・ショットが派手に宣伝されていますが、
  誰にでも出来ないこのショットは単なる真似が危ぶまれます。

   まず、彼の戦いぶりは他国での戦いが多いせいでしょうか?
  若さがないように思えました。
  ゲームマネージメントが老成されているように思えたのは私だけでしょうか?

   彼の良さは、身体のバランスだと思っています。
  徒なテクニックは必要ないと思います。
  現在を勝つより、将来に向けてどうあるべきかを模索する時期だと思います。

   マスコミの彼への期待の大きさは、
  一つ間違えば方向を狂わせるのではないかと不安があります。
  彼はいま発展途上です。いまが完成ではないのです。

   プロだからそれは関係ないと言うかも知れませんが、
  それは彼だけの思惑ではないものがあるでしょう。
  選手としてみると騒ぎ立てるのはどうでしょうか?

   2回戦の終了後、勝利した彼に対して松岡氏のインタビューがありました。
  氏の阿るような、煽り立てるようなタレント扱いは、聞き苦しいものがありました。

   彼以外に試合では頑張って勝利した選手もいるのです。
  内容的には素晴らしいものがあるのです。
  同じ選手であれば同等に扱うべきです。彼だけの特別扱いはして欲しくないです。

   亡き福田先生が、この様子を眼にされたら酷く悲しむと思います。
  テニスを愛する人の中には、区別する何者もないのです。同じ条件で扱って欲しいです。


08/9/17
   <北京オリンピックで感じたもの>

   1番はコーチの存在でした。特に北島康介選手の平井伯昌さんでしょうか?
  先日のNHK放映ではとても面白いものを見せてもらいました。

   選手に対する心遣いで印象的だったのは、選手への現状認識で嘘をつかないこと。
  悪いところは悪いと指摘してやる。これをしないと選手の信頼を失うことになる。

   選手との、心のコミュニケーションを何より大事にする言葉として聞くことが出来ました。
  その中で、課題を見つけ次の高みへ選手を誘うことがコーチの仕事です。

   それは、いろいろのことを指示するのではなく、
  「ワンポイント」の指示で選手をその気にさせるのが、
  コーチの本来的な仕事としているのです。

   面白かったのは、言い伝えられている”健全な肉体に健全な魂が宿る”と言う表現でした。
  それを彼は「精神は身体で鍛える」と表現したのです。

   コーチとしての、苦しみや楽しみは大変なものがあるでしょう。
  そのプレッシャーの中で続けられるのは、人を育てる面白さを知り尽くしたからでしょう。

   その一は、顔の表情に神経を使うがあります。
  競技に参加する時、表情に欲が出てはいけない。
  それが選手に、限りないプレッシャを与えると考えているようです。

   その二は、いつも選手の一歩先を行くこと。
  コーチが迷うと選手が更に迷います。
  勝って当然、と言うプレッシャーに対してはやって来たことを信じるのです。

   次は、車椅子テニスの国枝選手でした。
  その身体能力の高さには心が震えるほどの感動を覚えました。
  同時に健常者の練習に対する心構えの拙劣さに腹立たしさを感じました。

   2バウンド打球が、ルールで認められている車椅子テニスの世界で、
  健常者と同じようにワンバウンド打球またサーブ&ボレーの採用は素晴らしいです。

   大変な困難さが求められる中で、彼のチェアワークは自由自在という感覚でした。
  なまじっかな健常者では太刀打ちできないだろうと思いました。

   何がともあれ、車椅子テニスに許されるルールに甘んじることなく、
  より健常者に近いテニスを求めているのがより凄いと感じたのです。

   その国枝選手が、男子シングルスで優勝しました。本当に良かったです。
  その頑張りは素晴らしいものでした。この栄冠はまさしくご本人のものだと思います。

   次々と後に続いて頂きたいです。
  健常者にも負けないで自分の限界を目指して頑張って欲しいです。
  目の前に目標があることは生きがいを更に強めてくれます。


   <東レが始まりました>

   残念ながら、始まると同時に女子日本選手の不甲斐なさにため息が出るのみです。
  日本でやっている意味が分かっていないのでしょうか?  覇気がないです。

   最近は、杉山へのクレームが毎回出てくるので嫌なんですが、
  現在の立場から考えると致し方ないでしょう。
  それにしても今の立場に安住しているのでしょうか?

   ダブルスでは、急造ペアに1セットも取れないで敗退しました。
  サービスのダブルフォルト、バックハンドのハイボレーミスなど
  ダブルスでは考えられないです。

   遠征やいろいろと大変でしょうが、
  プロとしての意識や観戦する人の気持ちを考えて欲しいです。
  その試合を見に来ていることを忘れては駄目です。

   世界30位と言えば大変な実力です。
  その力を見るために来場している、観衆の思いをどの程度に取り入れているのでしょう。
  繰り返しますが、真剣に考えて欲しいです。

   伊達は予選で敗退しました。
  今の若い外国選手は、かっての伊達を知らないのでしょう。
  ランクが違うと言えばそれまでですが完敗でした。
  ある面、名前負けがあると言うことです。

   日本選手の中でも、伊達よりランク上の選手がいます。
  しかし、今までこれほどの差が出ていたでしょうか?
  いまの心境は分かりませんが、今の伊達なら・・・。

   とても復帰は考えなかったでしょう。
  勿論これで引っ込む伊達ではないと思われます。
  言いたいのは、自分の力を信じ切れない選手があまりにも多いのでは・・・。


08/9/2
   <錦織の快挙>

   何はともあれ、世界ランキング4位にフルセットで勝利したのは素晴らしい快挙です。
  精神面の粘りを感じます。いまの日本選手に欠けている部分です。

   勝負の世界は、ランキングだけで判断出来るものではないと思います。
  それは自分のポジショニングを確認する手段でしかないのです。
  しかし一つの目安ではあるのです。

   錦織の場合も、表示されたランキングから考えると彼が喜ぶのは当然でしょう。
  これによって彼の評価はアップするからです。選手が求めているのはそれなのです。

   プロになれば勝つことにより収入が増してきます。
  アマとはっきりした違いはそこにあるのです。
  アマのように明日があると悠長には出来ないのです。

   快挙を果たした錦織が次に迎えるのは、
  上昇気流に乗ることより安定ではないでしょうか?
  その地位を揺るぎないものにするには実力が必至なのです。

   この試合で気になったのは足の痙攣です。どうも体調面に不安があるようです。
  長丁場での闘いに打ち勝つには、なまじの体力では勝ち続けるのは難しいのです。

   好漢、精神面だけではなく体力面での一層の努力を望むものです。
  彼はゴルフの石川とおなじような雰囲気を感じます。奢ることない精進を期待します。


   <北京オリンピック>

   新聞のコラムに村上龍氏のコメントがありました。「五輪考」とありました。
  この中で競泳の北島選手に見た「個の自立」を面白く拝見しました。

   いつものように、大会が終わると必ず出て来るのが「再建策」でしょうか?
  第三者的な考え方は嫌ですが、現状はあまりにも周囲が騒ぎすぎだと思います。

   選手のあり方はすべて同じレベルです。
  そこからどのように出てくるかは、選手一人ひとりの頑張りだと思います。
  その努力の結果をそのまま受け取って欲しいのです。

   マスコミが、視聴率確保の対象?として選手を見てはならないのです。
  これはプロ・アマの問題ではないのです。
  選手を育てるなら正直な見方をして欲しいのです。

   今回は、不幸なことに日本が得意のマラソンで、男女選手二人の棄権がありました。
  いままでなかったことです。最大の要因は自分のペースが守れなかったためとか。

   調整の中で、オーバーペースがどれほど危険であるか、スポーツ界では周知の事です。
  これらを避けられない環境にしているのがマスコミではないでしょうか。

   選手は、自分なりのゴールを定め、体調や技術をそこへ向けてピークにするのです。
  本人が主体となって、その目標に向かってまい進するのです。

   忘れてならないのは、試合で闘うのは選手です、単純な発想ですが、
  闘うべき選手の心情を周囲はどの程度斟酌しているのでしょう。
  勝て勝てと結果を求めていませんか?

   闘うには相手がいるのです。
  その相手が、強ければ強いほど選手は心理的な圧迫を感じるのです。
  これらを踏まえて、結果であるメダル獲得システムで選手が育ちますか

   ******************************************

   読者の方から、なるほどという文章を頂きました。
  お許しは受けておりませんが、私の言葉より説得性があると思い、
  そのままを掲載させて頂きます。

   ***************************** 

   日本の選手は練習は一生懸命にするけれど、「ゲームの練習が足りない」
  「どのスポーツも同じでしょうけど、
  テニスも結局試合をこなしていかなくてはならないのよ。
  ラリーを続けたり、ボレーの練習もいいけど、
  ゲームのマネージメントとかメンタルな対応とか、それらは場数を踏むしかないのね」

   「もっと試合の中(現場)で学べ」とヒンギスは言っているのだと私は理解します。
  指摘されるようなことを私もテレビなどを見ていてしばしば感じます。

   受験勉強のような、マニュアル型テニスでは
  世界のトップにはなれないということだと思います。
  プレーヤー自身が、それぞれ自分の身体を使ってもっと知恵を磨くことが必要でしょう。

   ***************************** 


   <北京マラソンに感じたこと>

   男子マラソン優勝者・ワンジル(ケニヤ)選手の競技後のコメントにあったのは、
  日本で習った「我慢」の言葉でした。同じ環境の中で育ったこの違いをどう見るべきか?

   日本選手の中では、最終ランナーとなった佐藤選手が76位でした。
  完走したことの立派さはこれも「我慢」、
  終了後スタンドとコースに頭を下げた態度に感銘を受けました。

   10年ほど前、ある女子大の練習に参加した時、終了後コートを目の前に整列し
  ”有難うございました”と頭を下げていた姿に感動したことを思い出しました。

   プロ野球選手がグラウンド内へ踏み入れるとき、必ず帽子を取り頭を下げています。

  眼にすると清々しさを感じます。
  練習や試合をする場は「道場」であり、神聖なものなのです。


08/8/15
   <北京オリンピックが始まりました>

   テニスは、女子がトップクラスの欠場が相次ぎ、メダルを狙うにはチャンスでした。
  しかし、杉山は1回戦で早くも敗退し、無残でした。続くものが居ないだけに惨めです。

   これは杉山だけの問題ではないでしょう。
  伊達なきあと何年続いているでしょう。
  結果として、この二人に頼り切った協会の選手育成に問題ありではないです。

   今回の杉山の対戦相手は、ダブルスのパートナーで対戦成績は6勝3敗と
  優位にあるにもかかわらず完敗です。
  解説者は残念だと言ってましたがこれは完敗でしょう。

   前日の降雨によるサスペンデッドですが、
  これがなかったらそのまま試合終了となっていたでしょう。
  それにしても、世界で上位のランク選手なのに不思議です。

   確かに、ストロークでライジングボールを叩く技術は、
  抜群のものを持っていると思います。
  しかし、その返球が一定せず短くなっては攻め込まれていました。

   マッチポイントを握られながら何とか6−6まで行きましたが、
  そこに至らない試合運びが必要です。
  まるで綱渡りのような試合運びでは世界では勝てないと思います。

   アナウンサーは、昨日とは別人のようだとカバーしていましたが、
  前日降雨がなければどうなっていたのか?
  厳しいようですが、その試合にパーフェクトで闘うことが重要なのです。

   試合翌日に、いかに完璧でも別人でも、その試合においては全く関係ないのです。
  試合をする以上は、如何にして勝つべきかを考えることが重要なのです。

   ストローク以外で気になったのは、サービスが極端に悪いです。
  後半は、1STサービスが殆ど入っていない。
  あれでは相手の強打を防ぐのは困難でしょう。

   如何にスピードがなくとも、1STサービスが入るのは
  相手に言い知れぬプレッシャーを与えるのです。
  勿論、そのようなことは承知しているのに・・・何故?と思います。

   北京オリンピックは、時差が少ないためゆっくり見ることが出来ます。
  各国の選手を見ていると、やはりメンタル面の違いを感じるのですが如何でしょうか?

   極端かもしれませんが、日本の選手にはバックボーンが喪失しているように思えます。
  いつも言っているのですが、これはマスコミにも責任はあります。


   <サービスこそ・・自らポイント獲得が可能>

  相手の欠点を狙い、自分の力を充分に発揮し、相手に防御の機会しか与えない、
  唯一の武器なのです。

  これを利用し試合を優位に展開することは勝つために必然なのです。

   これは誰でもが分かっている基本的な理屈です。
  それを叩き込まれながら、それに負けているのも事実なのです。
  将に人間がロボットでない証拠なのです。

   これらは、選手にとって永遠の課題に違いないのです。
  身体がボールに対して自然に反応するのは、繰り返される練習があるからです。
  しかし、邪魔しているのがメンタルです。

   いろいろのストロークの中でも、その優位性を試合の中で
  確認しなければいけないと思います。
  角度・スピード・圧力・スピン等々威力を発揮できる内容を考えて欲しいです。

   近くの見本では、エナンがあの身体でチャンピオンになった経過を考えると、
  天性の運動神経だけではないと思われます。
  自分にあったテニスに徹底したための成果です。

   前から口をすっぱくするほど言ってきましたが、どこの練習を見ていても、
  サ−ビス練習を自分に与えられた課題を踏まえた内容を
  実行しているのを見たことはないです。

   私は、そのような練習をした結果として、サービスではどのような環境にあっても、
  ダブルフォルトを考えたことは一度もないです。
  思い切って身体を使ってました。

   だからこそ、ダブルフォルトは極端に少なかったです。
  メンタル面でダブルフォルトは考えられないと言う、とても強い意識を持っていました。

   これらは、誰でもが同じように出来ることなのです。
  他の選手を凌駕するにはこのように自分だけで出来ることに、
  何故もっと注力しないのか不思議です。


   <一刀両断>

   私の考え方について、世界へ羽ばたく競技者への見解が狭いと、一刀両断されました。
  勿論、自分自身の考えが最良とは思っていませんし、他から吸収することは多いです。

   先ずは、狭いと言われながらも読んで頂いたことには感謝いたします。
  一つだけ反論するなら、言いぱなっしでは無く、明確に指摘して頂きたいです。

   私自身も、どこの部分がどのように問題なのか、表現しているすべてが良くないのか?
  切られっ放しではどうしようもないのです。
  出来れば反論の余地を与えて頂きたい。

   私生活でも、周辺の人達との関係の中で注意しているのは、
  欠席裁判だけは慎みたいと言うことです。
  何故ならこの場に居ない方には自己主張が出来ないからです。

   話し合いの中で、大切なことは互いの主張を認めることで、
  どこかに接点があると思われるのです。
  意見交換は互いの主張を認め合うところから始まると思っています。

   このメルマガも決して良いとは思いませんが、毎回推敲を重ねながら書いております。
  試合中に一行でも思い出して、それが気持ちを和らげてくれるなら嬉しいです。


   <プロの言葉>

   諦めからは、決して何も生まれない

   一歩づつステップアップすることが必要だ

                         古賀 稔彦


08/8/01
   <サービスこそ・・唯一個人練習が可能>

   ダブルフォルトとは、単なるエラーではないのです。
  相手からポイントを奪える2度の権利を、自ら放棄し窮地に追い込まれるものです。
  もっと認識して欲しいものです。

   「もうタダで、相手にポイントをやらない」と自らを励ましてください。

   (1)サービスは入って当然と思うことです。

   (2)相手のリターンを意識しないでください。

   いずれにしても、
   (3)自分にプレッシャーを掛けないで

   (4)2球あるのはテニスだけの優位を知り

   (5)1stと2ndでは充分な間合いでゆとりを持ちましょう。

   その上で、忘れてならないのは
   (6)1stと2ndのスイングで同じエネルギーを使うことです。
      ダブルフォルトは、力の入れ方に差があるために起こるのです。

    <サービスの使い方>

   サービスをする際に、自分自身に意識させる感覚があります。
  それは「手のひら感覚」への意識です。
  ラケットは手から先にあり、「手のひら」をラケット面と思うのです。

   1)スピンサービス

  スピンサービスにありがちですが、回転をかける意識が強すぎ、
   大きく反った割には上体が戻って来ないケースがあります。
   挙句の果てバランスを崩すのです。

   これは、自分の筋力で戻せるだけ反れる位置にトスを上げ、
  あとはボールの捉えかた次第でスピンがかかると理解してください。
  肘が伸び切らない内にボールを捉えます。

   この時心がけるのは、ボールをこすりあげるのではなく、
  「手のひら」を斜め上に向けてボールを押し上げるイメージで打つのです。
  これでバウンド後の勢いが出るのです。

   2)スライスサービス

  心掛けるのはボールが滑る感覚を考えてください。
  弾んで相手のチャンスボールにしてはいけません。
  ねらう位置は如何に上手く滑らせるかにあります。

   スライスサービスは、ネットに詰める時間もあり、
  自分に余裕が持て、スピードがなくとも変化の大きさや、
  ボールの力を利用できないため相手のミスも増えてくるのです。

   3)サービスの威力

  どのようなショットでも威力を増すのは必要です。
  これはサービスの場合も同じです。
  しかし、「威力」をスピードと誤解してはいけないのです。

   「威力」にもいろいろあると認識してください。
  きちんとスピンをかけ、ねらったところに打てるのか?
  どの程度コンスタントにサービスを入れるか?

   プレースメント、スピン、安定性がどの程度ついたのか?
  に注力してください。相手を圧倒するのが「威力」ならば、
  不安定なスピードより大切なものがあるのです。

   4)セカンドサービスのポイント

  セカンドサービスでは、1stサービスと同じ程度にし
  ラケットヘッドのスピードを弱めないことです。
  力加減を同様程度に持続する必要が不可欠なのです。

   その理由は、第一に身体のバランスを崩すからです。
  次ぎに、ボールへの力が強弱となり安定を欠くのです。
  その結果はサービスがネットを越える力を失ってしまうのです。

   5)安定したトス

  サービスの動作の中で、スムーズなトスを上げるのは必須です。
  安定したトスを習得出来れば、サービスの全ての動作がスムースになるのです。

   試合中のサービスで技術的な修正が必要なのは「トス」だけです。

   <サービスの効果>

  1、プラス効果を生むサービス

   1)エースが取れるサービス(確実にポイントが取れる)

   2)ゲームの主導権が取れるサービス

    (相手を不利な立場に追い込み、ゲームを有利にする)

   3)相手に攻撃されないサービス

    (相手に強打されないので次に繋げる)

  2、マイナス効果を生むサービス

   1)相手に主導権を奪われてしまうサービス

    (不利な立場になり、返すだけのプレーになる)

   2)リターンエースを奪われてしまうサービス

    (立場が逆転し、相手を勇気付けてしまう)


   <プロ野球を楽しむ>

   赤バット・青バット時代からの巨人ファンです。
  年を経ても未だに変わらず継続応援しています。
  不思議なもので、特別な誘いもしていないのに家族も参加してます。

   巨人ファンに変わりはありませんが、去った人には以後の活躍が気になり、
  巨人相手に活躍しても応援する気持ちがあります。
  他から移籍しても直ぐに巨人選手と同様です。

   一番嫌なのは、MLBへ移籍した場合です。
  TVも見ることはないです。これだけはどうしても認められないです。
  NHKが本気?で放映しているのが不思議です。

   本当に、日本のプロ野球を愛する人は、同じ思いではないかと思います。
  いままで誰に育てられたかを忘れて?
  いるような態度に我慢がならないのです。

   プロだから、自分の責任範囲で行動するのは自由と
  言うならそれも道理だと言いましょう。それなら最初から行くべきです。
  日本で土台を作って渡米する姿は我侭です。

   最近では、野茂投手の引退で、いろいろコメントがありますが関心は無いです。
  自分の好きなことをしてきたのだから、あとどのように生きようとも野茂の自由でしょう。

   また、イチローの3000本安打も同じ思いです。
  ファンとは基本的に応援するベースは、選手ではなく球団にあると思っています。
  その球団にいる選手を応援しているのです。

   その意味では、日本球界から離脱した選手を、どうして応援する必要があるのでしょう。
  北京オリンピックに、出場できない日本選手を何故応援しなくてはいけないのでしょう。

   テニスとは特別関係はないですが、日本人はお人好しなんだなと感心します。
  環境の違う中で闘い、日米での成績から優秀とする思いに戸惑いを感じます。

   日本から離脱したなら、日米での成績を合算すべきではないです。
  そのような考えの選手が、MLBで新人王を何の抵抗もなく
  受け取る気持ちが分からないのです。

   この考え方を、誤解ないように表現するなら、あくまでもファンの心理であり、
  闘う選手からすれば、より上を望む気持ちがある以上は避けられないのかも知れません。



   <プロの言葉>

   (森内の言葉から)

   定石の研究に没頭したうえで、自分の将棋に徹した。
  あくまでも自分のポジションでプレーする。

   失敗したことは払拭できないが、無心になり難局こそ大胆に。

   プロとは、現状に満足しないこと。

   (羽生の言葉から)

  従来のものに固執しない、常識やぶりのひらめき。

  予期せぬことに出会う快感、勝敗に対する執念。

  ひたすら最善手で、不利になっても最後までベストを尽くす。

  プロとは、玲瓏な態度でいること。

               ライバル対決 森内棋士と羽生棋士


08/7/15
   <ウインブルドン>

   男子では、ナダルがフルセットでフェデラーを破り初優勝しました。
  後半の3セットは将に死闘と感じました。
  ナダルも、いよいよ王者の貫禄を身につけたようです。

   女子は、ウイリアムズ姉妹が優勝戦を戦いました。
  昔からの思いが強いのか?女性のテニスに優雅さを求めてしまうので、
  この姉妹の戦いぶりには付いて行けないものがあります。

   日本選手を主体で考える場合は、男性のようなプレーをする姉妹には、
  到底適わないとの気持ちが強いから、そのように感じるのかも知れません。

   エナンに、日本人のスタイルを重ねていましたが、
  今回の引退からイワノビッチを応援しています。
  ネットにキスする気持ちの優しさが、この激戦を戦えるのかと危惧はありました。

   精神面の強化は今後への課題として、技術面の実力は他を圧しており、
  今後に対する期待は非常に大きいものがあります。
  更にレベルアップをの望みたいものです。

   さて、今回の男子優勝戦を振り返ってみても、
  抵抗したフェデラーの力量は大変なものと認識できます。
  2セットダウンで残りの3セットを続けた実力です。

   彼が、試合後に述べている「とてもつらい敗戦だ」は本音でしょう。
  この結果が彼に与えるものは、単なるスコア上の敗戦ではなく、
  已む得無い数的な判断との認識でしょう。

   しかし、この試合でフェデラーの精神面は素晴らしいと思います。
  勿論、ナダルはその中で好調を維持し、
  最後には勝利を得たのだからフェデラー以上には違いないのです。

   この試合で強く感じたのは、
  ナダルが相手の苦手を徹底した攻撃で連続したことでしょう。
  フェデラーが使う、バックのスライスに活路を見出したのかも知れません。

   二度と、見ることが出来ない素晴らしい試合に感謝したいです。
  誰にも、ぜひ見て欲しい試合だったと思っています。
  日本選手も見習ってほしいです。


   <クルム伊達の新理事>

   新聞記事を見て驚きました。
  テニス協会ではなく、サッカー協会の新理事という内容についてです。
  選出の理由は不明ですが、新聞では異例の抜擢とありました。

   失礼だが、伊達にサッカーの何が分かるのでしょう。
  理事として会合に出席すれば一票です。
  伊達はその重さを認識しているのでしょうか?
  どのような気持ちで受けたのでしょう。

   受けたのが事実なら、テニスを即刻止めるべきです。
  テニスのプロとして復帰していながら、今回の理事を受諾した気持ちが分かりません。
  失礼な話です。

   伊達だけではなく、いまスポーツ界の多くではマスコミに登場した実績がすべてです。
  実力ではないのです。
  しかし、野球ではその試合で活躍した選手を紹介しています。

   それが本当のスポーツです。
  特に、最近のプロゴルファー石川を見ていてマナーの素晴らしさに応援していますが、
  その過熱振りに同情するのみです。

   周囲で日夜努力している選手にとって、石川の存在は決して快いものではないでしょう。
  しかし、それは彼の責任ではないのです。
  前から感じていたことです。

   女子選手によく見られる光景ですが、注目を浴びている選手が上位に居なくとも、
  TVで放映されるのは彼女たちなのです。
  どうしてなんだ優勝したのは別の選手じゃないか?

   いままで、何度同じ場面に出くわしたでしょう。
  世間がそれを許しているからだと言えば通るのです。
  今回のクルム伊達の件も、同じ様な感じで嫌な気持ちが先立ちます。

   サッカー界に、人材がいないのだなと呆れていると言うのが本音です。
  それでは懸命に努力している選手が可哀想です。
  だから協会が画期的な人事だと言われ喜んでいるようでは・・・


   <プロの言葉>

   一球の怖さ

   一生懸命は皆ながやっている、抜きん出るためにはそれ以上が必要だ。

   生活の中で野球と向き合っている、時間の長い選手ほど一流になれる。

   プロとは、努力するのは当たり前、それ以上の誰もやってない努力をすること。

                             ヤクルト 宮本慎也


08/7/1
   <錦織 残念な離脱>

   ウインブルドンの第1回戦で、期待の錦織が腹筋痛により残念ながら途中棄権しました。
  詳細な理由は分かりませんが、先日も同じような状態になったと聞いています。

   私が現役の頃、先輩達に体力維持も実力の内だと聞かされたことがあります。
  練習中に足痙攣の経験はありますが、途中で離脱した記憶はないです。

   過酷な練習に耐えてきた彼を、見ているととても考えられないのですが、
  精神面のプレッシャーが、体力まで影響するのでしょうか?
  本人は残念だったと思います。

   心配なのは、このような状況が繰り返されると、
  選手寿命を短くするんじゃないかとの思いです。
  体力面であれば、鍛えなおすのが優先だと思います。

   仮に、精神的なものが多分にあるとするなら、
  本人に世界の中で戦うことの限界があるように思えます。
  いままでの練習に、耐えてきた自負はどこへ行ったのでしょう。

   棄権した試合は、ほとんど互角と言えるものです。
  50位前後の相手との試合はいま少しでしょう。
  しかし、問題はここからで、それ以上を目指すなら再構築が必要です。

   フェデラーのように、試合中どこまで冷徹さを貫けるかにあると思います。
  どのような状態になっても、自分の感情を露にしてはいけないのです。

   最近、野球選手の怪我による離脱で、筋肉の怪我が多くなっています。
  厄介なのは回復に時間が掛かるのと、完治させないと再発が起き易いことです。

   試合中、殆ど走り回っているテニスでは、
  中途半端な治療は選手生命を失う痛手になります。
  いまこそ、徹底した治療が求められるのです。好漢自重すべきなのです。

   彼の場合、若いですから慌てる必要はないのです。
  時間を掛けてしっかりと直して、再起して欲しいと願っています。
  再発するかと心配しては実力を出し切れません。


   <アインシュタインの眼>

   6月27日(金)NHKで「アインシュタインの眼」が放映されました。
  アッと言う間の1時間でした。
  この作成に、ご尽力された川副先生には拙文を読んで頂いています。

   スポーツの世界を、ウルトラアイという特殊なカメラで撮影し、
  超ハイスピードで解析しているものです。
  ガットがボールとの接点で左右にずれる事実を初めて知りました。

   これらは、ボールに対する角度や接点を、どのように解析するかではなく、
  自分たちの動作がどのような結果を得るのか、を追求したいものです。

   放映されたものを、文字で解説する位難しいものはないです。
  百聞は一見に如かずの心境です。
  これを見て嬉しかったのは、いままでの指導が間違ってなかった点です。

   どれほど時間を掛けて一緒に練習しても、
  絶対に不可能なのは自分の感じているものを、
  そのまま受け入れてくれることは出来ないのです。
  だからこそ理解して欲しいと思うのです。


   <基礎の基礎 左手の効用>

   読者の方からメールを頂きました。
  いつものことながら、基礎の大切さを再確認したとの内容でした。
  同じことでも、若干の表現変更で再確認が出来るのです。

   練習の繰り返しで、自分では習得したと思っても、
  それがそのまま試合で出なければ、習得したことにはならないのです。
  それは付け刃にしか過ぎないのです。

   いわゆる、化けの皮が剥がれると言うべきでしょうか?
  ボールに集中した時に感じる「無」の認識は、
  その時点でボールしかないのです。そのボールをヒットするだけなのです。

   集中していれば、フォームが自分のものになっていれば、
  その時初めて無我の心境でスイングが行われるのです。
  しかし、このときバランスの良いフォームでなくては駄目なのです。

   それが左手なのです。右手は、ボールを迎えて打球することに懸命です。
  左手は、それがよりパーフェクトになるよう構えて、
  身体全体のバランスを取るのです。

   このように、打球に対して右手で打っていると感じるようではいけないのです。
  自分が感じるよりは、右手の力みが少ないと思う程度が良いのです。

   テニスは、オープンコートを作らない戦法として、
  コートカバーリングが大事になります。
  コート内を走り回ることになるのです。
  だからこそバランスを要求されるのです。


   <プロの言葉>

   元気 → やる気 → 勇気

                   アーチュリー 山本選手


08/6/16
   <伊達の復帰後の優勝>

   昨日、有明国際女子テニスで、伊達が復帰後初のシングル優勝
  とのニュースを知りました。
  驚きの感じと、やはりという実力を実感した瞬間でした。

   よくやったなと言う思いもありますが、
  より強い思いは日本女子選手層の薄さであり、残念な気持ちの方が強いです。
  伊達が過去の選手でないことの証明でしょうか。

   しかし、それで良いのでしょうか?
  勿論、伊達の頑張りを云々するつもりは毛頭ないです。
  正直、よくやったと喜びたい心境であるのも間違いないです。

   だが、この事実を協会の人達はどのように考えているのでしょう。
  素直に伊達の再起を喜んでいるんでしょうか?
  それとも育たない選手育成の反省でしょうか?

   真剣に考えるなら、伊達の活躍は協会の選手育成に対する警鐘と考えるべきでしょう。
  対抗できる選手を、育てなかった悔しさが身に沁みているのでしょう。

   別の情報では、コーチの発言が話題になっています。
  その内容を見ると、いささか驕りを感じるのは私だけでしょうか?
  コーチの為すべき言動を考えるべきでしょう。


   <基礎の基礎 左手の効用

   最近、後輩の練習に参加して気づくことは、基本が出来ていないことです。
  あれほど雑誌が氾濫しTV放映がある中でどうして出来てないのか不思議でなりません。

   基本と言う概念は、字の通りで将にベーシックなものを言います。
  これが出来てなければ次へ行けませんし、仮に、ステップアップしても非常に脆いものです。

   基本を身につけるには、地道な方法しかありません。
  飛躍的に成長することは期待出来ても、
  それは基本の習得以後の問題であり、遅々たるものなのです。

   スイングは、フォアハンドとバックハンドなのです。
  後は、打球時のボールが当たるラケット面を、
  どのように操作するかで変化を生じるだけなのです。

   このように、基本は極めて単純であり、考え方を習得するのは容易なのです。
  しかし、これを実践面で、勝つために応用することは大変なのです。

   ここからは、右利きで両方のスイングともシングルハンドを仮定して話を進めます。
  ダブルハンドを使いたい場合は、反対側の腕の使い方が大事になります。

   まず、フォアハンドの場合、ラケットを持つ腕は右腕であり、軸足側についています。
  これの問題点は、左足のポジションで打球時の変わりが激しいのです。

   ステップの際、軸足で位置を固定するのは早いのですが、
  打球するための左足の位置が不定なのです。
  変化があるのは、柔軟性はあるでしょうが不安定です。

   すなわち、軸足を早く決めてしまうと、
  ボールの位置によっては打点が窮屈になりがちなのです。
  勿論、それだけ足の位置に余裕があるのは変化があるとも言えるのです。

   と言うことは、軸足の決め方をどのようにアジャストするかが、
  打球時のポイントになるのです。
  考え方を変えればそれ一つの変化で打球点を変更できるのです。

   それは、相手に対して予測をさせない変化を与えるし、
  上手く行けば、優位に立つことが出来る方法でもあるのです。
  相手の動きを見る余裕があるかないかです。


   <プロの言葉>

   理想の踊りとは、踊っていることを忘れる感覚であり、
   いま踊っていると思っていることはよくない。

   踊りたい気持ちを持ち続けることが大切だ。

                         坂東玉三郎


   すべてをこなして当たり前のレベル。
   終わったら、すべてのステップを通じてチェックする。

   いつも理想を目指して頑張るが100点は無い。

   自分のやることに集中するのは、自分に弱さがあるから。

                         吉田  都


08/5/31
   <エナンの引退>

   潔いと言うのか? 外国人の引き際は、日本人にない潔さがあるように思われます。
  一方で引退があれば復帰もあり、話題が尽きないこの頃ですが、
  エナンの引退は寂しいですね。

   エナンの登場は、体格的に日本の選手を勇気付けてくれたと思っています。
  残念ながら、それに伴う彼女のメンタル面の強さは到底適わないものでした。

   いまの気持ちは、どうして引退なのと言う思いは強いです、
  自分の限界は誰にも分かるものではないですが、
  現在の地位を確保するメンタル面に限界を感じたのでしょうか?

   確かに、トップを維持するには、かなりのストレスが重なると聞いています。
  それらからの脱却を考えた末なら、敢えて継続することを強いたくない気持ちです。

   エナンも、いまは一抹の寂しさがあるでしょう、
  またホッとした気持ちでもあるでしょう。
  このまま引退ではなく、出来れば後進の指導に眼を向けて欲しいです。

   強烈なサービスから始まって、相手を寄せ付けないストロークの力強さは、
  他を圧倒していたと思います。
  特にトップスピンの掛かったバックはエナンそのものでした。

   打球後、身体を思いっきり反らし、フォロースルーの大きなバックハンドは、
  最近流行のダブルハンドではなく、両手を左右に振りほどく迫力は見事でした。

   あのようなバックハンドは、誰にでも出来るものではなく、
  今後も出ることはないでしょう。
  それほどエナン独特の、バランスを持ったスイングと感心するだけです。

   しかも、打点が高いため上からひっぱたくようなスイングは、
  不可能を可能とするほどの見事さでショートクロスへ入ります。
  そのボールは外へスピンします。

   外へスピンが掛かったボールは、相手から次第に逃げて行きます。
  こうなるとコートには誰もいなくなります。
  オープンコートが眼の前に開けてしまうのです。

   時折のバックのスライスは、ドライヴが遺憾なくその力を出すために、
  相手選手には更なる負担を強いるのです。
  フォアのドライブで選手は両端へ追い出されるのです。

   試合における見事なコンビネーションは、ただ感嘆するだけですが、
  相手に与えるプレッシャーは限りなく大きく。
  いつしかエナンの掌で弄ばされているのです。

   あのバックハンドを、見ることが出来なくなる寂しさはありますが、
  真似をしろといっても簡単に出来るものではなく、
  身体を使ったバックハンドに敬意を表したいです。

   あの体格から来るストロークは、特別の恐怖は感じませんでしたが、
  際立ったものではなく全てに秀でた戦績の根幹は、
  将にバランスのよさではないでしょうか


   <横綱の品格>

   難しく考え過ぎでしょう。横綱の品格を、横綱評価の第一とするなら、
  品格に差し支えのある言動が認められた時点で、
  前回の朝青龍のように即出場停止とすべきです。

   それが出来ないなら、品格云々は言うべきではないです。
  北の湖理事長の朝青龍の態度は技の延長との解釈は、
  とてもトップの言葉とは思えない粗雑なものです。

   それを言ってしまえば、どのようなこともまかり通ることになります。
  どのような場面に立ち会っても、「淡々」としているのが横綱の横綱たる所以でしょう。

   今回の、横綱審議会の両横綱への注意要請を、
  理事長はどのような気持ちで聞いたのでしょうか?
  それでも、白鵬が悪いと言い切るのでしょうか?

   日本人は態度で示せとよく言います。
  心の中を見透かされないようにとの思いでしょうが、
  その態度も度を過ぎると不遜となり、良いものではないです。

   朝青龍も理事長も、その態度の中にそれを感じます。
  自分の地位を誤解しているように思います。
  まるで、自分は自分の力だけでその地位を得たように思っているようです。

   如何に連続技だからと言って、身近な相手を確認していれば勝敗は分かるはずです。
  技を掛け合っているんじゃないのです。
  終わっている相手にけし掛けてどうするんでしょう。

   「いまだ木鶏足りえず」と横綱の心境を語った双葉山の言葉を、
  相撲界の人達はどのように考えているのでしょう。
  いま少し謙虚な気持ちを持たないと国技でなくなります。


08/5/15
   <伊達選手の功罪>

   一人の人間が、これほどの影響を与えるのは稀有だろうか。
  しかし、現実としてあり得るのです。
  それが本人の目指すものに合致していたかどうかを分かりません。

   伊達なきあと、杉山に依存するだけだった女子テニス界に、新風を巻き起こしたのが、
  再び伊達とは誰しも想像しなかったでしょう。
  しかし、残念ながらそれが現実となったのです。

   それほど、伊達の復帰はテニス界だけではなく、社会に強烈なインパクトを与えました。
  再び脚光を浴びるテニス界は、単純に喜んでいるわけにはゆかないのでは・・・。

  実際の戦績は、12年のブランクを乗り越えて、
  シングルスで準優勝・ダブルスでは優勝と、
  文句のつけようがない結果となりました。誰しもそれを認めるでしょう。

   果たして、それが本当の実力なのかどうか?
  皮肉な見方になるかもしれませんが、テニス協会の選手強化担当が、
  結果で表明したコメントは立場上恥ずかしくないのかと驚きました。

   伊達が、現役復帰を表明した時点で、
  その理由と心配がそのまま出てきたことに驚くと同時に、
  協会関係者がその事実をどれほど真剣に受け取ったのか知りたいものです。

   単純な表現をすると、いままでそれで良しとして育成してきた選手が、
  伊達になすところ無く打ちのめされた事実を、どのような気持ちで迎えたのでしょうか?

   まさか、今の現役に期待しなくても、
  伊達に任せておけば良いと単純な考え方を了としたわけではないでしょう。
  しかし、何故伊達が勝てたのでしょう?

   伊達のフォームは、12年前と殆ど変わらないように思えました。
  フォアハンドのライジングを打つスタイルは、
  逆に研ぎ澄まされているように感じたものです。

   いつも、気持ちの上で持っていたと思われる「前へ!」との気概が、
  伊達を蘇らせたのかもしれないと思いました。
  不足しているとすればスタミナではないかと思いました。

   優勝戦では、それがモロ出たようですが、
  それにしても闘う姿に新たな伊達を感じさせてくれました。
  何かにチャレンジする姿に、胸打つものがありました。

   それにしても実力は衰えていません。
  その証拠がフルセットの戦いが多いことで分かります。
  その殆どが先取されて挽回する姿にあるのです。
  それは実力以外の何者でもないのです。

   戦い方を知っていると言うのは容易いですが、
  伊達の場合は、いままで修羅場の経験が役立っていると思われます。
  これを後輩がどのように受け取ったのでしょうか。

   目の前の、伊達の闘い振りをどのように評価すべきか?
  本当に強いのか?
  名前負けしているのか?
  若い連中の萎縮している姿に、力不足は否めないと思えるのです。

   日本ベスト10位の選手が、
  12年間のブランクを感じさせない伊達との戦いぶりをどう評価するのか?
  それともだらしない無様さを嘆くのか、いずれにしても前途は多難です。

   日本人の人の良さというのか?
  かってのプレーを、眼にしているだけに、
  その相手をコート上に迎えて萎縮するのではないかと思われますが、
  実力の差が表面化したのでしょうか

   それであれば、日本女子の今後は真っ暗闇となります。
  その状態で世界に臆することなく戦えるとは思えません。
  付いて行くのが精一杯ではどうしよもないです。

   これで伊達にスタミナがついたら、誰も付いて行けないのではないかと、
  考えただけで暗澹たる気持ちになります。
  その要因が何であるのか早急に結論づけるべきです。

   伊達の復帰のコメントで感じた人も、ここでその真なることを再確認したことでしょう。
  それが、技術面なのか精神面なのか、いま一度のチェックは必要と思われるのです。

   伊達の思い出から、高校時代の練習風景を見たが、
  その練習の内容にどのような差があったか分かりませんが、
  際立つのは伊達のテニスに対する情熱ではないでしょうか。

   いまと特別異なる練習をしていたとは思いませんが、
  福田先生が提唱された「この一球」にすべてが集約されたと思われます。
  選手とコーチとの二人三脚が生み出した名品と思われる。

   その伊達が、福岡で中村にやられました。
  6−2・6−2のスコア。
  これで安心した人もいらっしゃるのでは・・・・。これは当然の結果だと思います。

   伊達の勢いを間違いだとは決して思いませんが、
  復帰宣言をした後の伊達は懸命だったと思います。
  プライドがここまで闘わせたのではないでしょうか?

   伊達の爽やかな笑顔は、いつまでも見ていたいのですが、
  やはり後輩に頑張ってもらわないと日本の将来は無いです。
  今回を貴重な財産として身に付けて欲しいものです。


   <今月の言葉>

   苦しさに耐えられるかどうか

   工夫次第でなくせる「ムダ」

   自分で考える社員を作る

   経営改善に必要なのは意識改革である

   プロとは、使命を感じて改革を行い、それを賞賛してくれる人

                  工場再建家 山田日登志


08/4/30
   <デ杯でインドに完敗>

   ひさしぶりにデ杯を見ることが出来ました。
  結果は完敗?残念ですが実力差は歴然としていたように感じました。
  これはアウエイだからでは無いでしょう。

   最近、女子に比べて男子は不甲斐ない試合でしたが、
  錦織圭選手の台頭で新しい息吹を感じさせて期待は多かったのですが、
  ランク的には格下に負けました。

   何より残念なのは、フルセットで負けたことでしょうか?
  格下であるなら、フルセットの敗戦は屈辱でしかありえないと思われます。
  どのような気持ちだったでしょう。

   今回の錦織のシングルスは、見ていて決して良いとは思えませんでした。
  年齢に似合わず若さがなく、テクニシャンと言う感じを強く持ちました。

   もっと若さを出して、チャレンジして欲しかったとの思いは強かったですね。
  あまりにもテクニックを使いすぎ、
  相手に恐怖心を与えるような力強さに欠けていたようです。

   彼には初めてのデ杯参加で、その緊張度は大変なものだったでしょう。
  現代っ子の錦織でも、そのプレッシャーには勝てなかったようです。

   ダブルスの試合では、相手の自信に満ちたプレーに目を見張る思いでした。
  それより、ミスをした岩淵がラケットをコートに叩きつけた光景を苦々しく拝見しました。

   怒るなら自分自身への怒りでなければなりません。
  ラケットを粗末にすることは許せません。
  ラケットがあるから、今の自分の地位があると考えられないのでしょうか。

   失礼を省みず感じたことは、
  日本選手は甘やかされていると言われても反論はないでしょう。
  成人としては未熟だと考えざるを得ないです。


   <プロ選手の観客へのマナー>

   スポーツでマナーが取り沙汰されています。
  その中でプロゴルファー石川選手のマナーが目を引きます。
  選手の中には観客の存在を無視しているのが目立ちます。

   例えば、勝敗後のインタビューがあります。
  懸命に答えている人、面倒くさそうに答えている人、醒めた答え方をしている人、
  それだけに誠意のある人は目立ちます。

   勘違いしないで欲しいのは、
  観客はフェアなスポーツを好んで料金を支払い見に来ているのです。
  プロ選手の収入部分は、経緯は別として観客が支払っているのです。

   どうも、この関係が充分に分かってないんじゃないかと思われます。
  だからと言って観客の個人個人に阿る必要はありません。
  しかし、観客は大事にして欲しいです。

   プロ野球のダルビッシュが、勝利を上げるごとに
  幾許かの寄付をするとの話を聞きました。
  このような選手が観客を大事にしないはずはないのです。

   プロ選手は、自分は観客によって育てられ、
  その上収入を得ていると言う自覚がなくては、
  スポーツの世界でその地位を磐石にすることは出来ないと思います。

   観客の目は容赦がないです。それは遊び半分に見に行っているのじゃないからです。
  それだけに厳しさもあります。これは演劇でもあり得ることです。

   中途半端や、自分に甘えているものを決して許してはくれないのです。
  観客が真剣であればあるほど選手は育つのです。
  川淵氏のコメントはその本心を付いていると思います。


   <大学テニスの試合を見て>

   あまりにも個性のないテニススタイルだと思います。
  もっと個性の発揮があっても良いのではないでしょうか?
  それには自分はどういうスタイルを求めるかでしょう。

   これは、ラケットの進歩が選手の個性的な動きをとめているのかなと思われます。
  それは自分自身につけたテクニックではなく、ラケットを自在に使えるためでしょうか?

   ラケットを使うためには、軽いものを自在に使いこなすのとは違い、
  ラケット面を如何に上手く使うかが必要であった、
  過去の場合をどう見るかではないでしょうか?

   その試合を見て、驚いたことがあります。
  シングルスで、シングルポールを使わないで試合をしてました。
  まさか選手にとって条件は同じだからと思っている?のでしょうか

   部活のあり方を、再考しなければならない時期に来ているようです。
  伝統と練習の厳しさ、これらに耐え切れない、若者が増えているのも事実です。


   <今月の言葉>

   流行っているものを取り入れると自分は薄くなる。

   それに打ち勝つには、自分のレベルを上げるしかない。

   プロとは、自分の思ったことを確実に「形」にする。
   それをなし得る情熱を持った人だと思う。

                       武部 聡志

<BACK NEXT>
BACKUP-6> BACKUP-5> BACKUP-4> BACKUP-3> コラム> BACKUP-1>
BACKUP-7> BACKUP-8>

TOP> Bomb'zてナ〜ニ> メンバー> コート・キープ> コートへの地図> ゲスト・コーナー> テニスのメモ帖>
ワンポイント> シニア・コーナー> リンク・ボード> コート情報> TNA> GUAM> KOREA>
愉快な仲間たち> おみくじ>
blank