2011/3/15
冒頭にご挨拶申しあげます。
突然で言葉を失っております。今回の東北関東大震災において、
ご不幸にも命を落とされた方には心からお悔み申しあげます。
なお、ご不明の方々には、少しでも早く互いの連絡が付くようお祈りしております。
<サービスあれこれ>
新聞報道で、クロアチアのカロビッチがサービスで251キロを出したとありました。
新幹線並みのスピードということですが、その彼の現在ランクは世界239位です。
サービスは、早ければ良いものではないのですが、彼が2009年の全仏で、
1試合55本のサービスエースを奪ったのは、将に驚異的な数字です。
新幹線並みのスピードで分かるのは、プラットフォームに立って、
通過する新幹線車輌の圧倒するスピードは、凄いと言うより怖いような思いがあります。
同じレベルであるアメリカのロディクのサービスも、
その背筋力の素晴らしさから打ち出される勢いは大変なものがあります。
彼も上位ランク維持が大変なようです。
勿論、早いサービスが打てるのは誰にでも出来るものではなく、
それはその選手の特徴となりますし、他の選手より優位であるのは間違いないです。
私の拙い経験ですが、同輩のサービスに感心させられた経験があります。
決してスピードはないのですが、クロスに打つスライスサーブはレシーブに苦労しました。
クロスに低くスライドするサービスは返球が難しく、
対応しようと右へ移動するとセンターから身体に向かってくるのです。
打ち込む高さでないため余計に大変でした。
そのせいか、彼がシングルスで下位にいると、
殆どの試合で彼がポイントゲッターになっていました。
彼のスタイルが、団体戦では貴重な存在と認識させられました。
やはり、スピードも大事ですが、プレースメントはさらに大事だと実感しました。
見ていて試合巧者の表現が当てはまるのです。サービス優位を有効にした見本です。
特に、彼のスライスはデュースサイドからだと、サービスラインの縦線で、
その中央部分をクロスに通過していました。
だからレシーブではコート外へ移動してしまうのです。
これは、トスを低く打球するのでボールは低くスライドするため、
そのボールは逃げて行くわけです。
それで、サイドケアするとセンターからボディを狙う角度で入ってくるのです。
いずれにしても、落ち着いてレシーブさせないと言う彼の狙いは、
そのまま自分の技術とマッチしているわけで、
サービスはスピードだけではない理由を理解して頂ければ幸いです。
彼から与えられるのは、サービスは早さだけではなく、
相手の欠点をいち早く見付けだし、
今度はそれを徹底的に突いて行く彼なりの戦略を感じます。心技一体の精神でしょうか?
いま一人は、そのサービスでトップの座を得た同輩です。
その内容はアドバンテージサイドからのスピンサービスです。
彼のスピンはレシーバーをコートから追い出していました。
やっと返球しても、オープンコートが広々としているわけですから、
決めるのは簡単だったと思います。それほど高くバックへ撥ねるスピンサービスでした。
このように、選手は自分の特徴を持つべきであり、それを練習で磨くべきです。
テニスを志す選手も多いでしょうが、自分をよく弁えた練習をして欲しいものです。
これらを考えて、今後のサービス練習を再考する必要があると思われます。
基本的な部分は、誰がコーチをしても変わりはないのです。
大事なのは自分の実力に合わせて考えるのです。
サービスの練習で、一番に考えなければならないのは、
試合で優先権のある2本のサービスを、
どうやって生かすかを自分なりに考えなければいけないのです。
その第一は、ダブルフォルトを極力少なくしましょう。
しかし、入れるだけではレシーブに負けてしまいます。
それではサービスの優位を発揮できません。
第二は、プレスメントです。どこからでも狙えるし、
ある点からどこへでも狙えるようにするのです。
勿論入れるだけでは駄目です。それが出来るには練習が必要です。
第三は、フラット・スライス・スピンの三種類のサービスが出来なければいけません。
これがサービスの基本となりますから、徹底して練習することです。
第四は、バランスの良いフォームの完成でしょう。
インパクトで如何に注力するかが大切であり、
一つ間違えばアンバランスなフォームになります。
第五は、三種類のサービスでフォームやスイングを極端に変更しないことです。
インパクトの、瞬間的な面の活用でボールは細かく変化すると認識してください。
第六は、サーフェイスを確認する必要があります。
クレーコートだけだった頃と違い、サーフェイスでボールは異常なくらい変化します。
思ったより変化するのです。
第七は、いろいろな連続写真が更なるレベルアップを期待されますが、
闇雲に信用したりチャレンジしないでください。自分に合うかどうかが一番のポイントです。
フォームの細かいチェックは、自分で出来るものではありません。
コーチが居れば行ってくれるでしょうが、それでなければ自力で頑張るしかないのです。
いまは、プロのスタイルを連続写真等で紹介していますが、
これはあくまでも参考であり、単純に真似をしては駄目です。
あくまでも参考として見るべきです。
毎月発行されるテニス雑誌でも、その記事をそのまま受け取るのではなく、
バランスよく行われている内容を認識するべきです。それが真似の本髄だと思います。
模倣を軽視してはいけません。模倣は自分のレベルアップに欠かせない重要な項目です。
自分に合ったものであるかどうかの判断が模倣では大事なのです。
2011/3/1
<ウオズニアッキの魅力>
応援しているウオズニアッキの試合は、ドバイで行われたヤンコビッチとの準決勝でした。
試合は7−5・6−3で勝ちましたが、ハードコートに似合わないラリーの試合でした。
この試合で気付いたのは、チェンジコートで休憩する間、
ウオズニアッキは欧米選手では珍しく、タオルを両足の上に掛けています。
とても、嗜みの豊かさを感じさせてくれます。
その上、微笑ましく思ったのは、傍に置いていたラケットを陽に晒されないように
取り上げて、傘が覆っている自分の傍に置き直したのです。
これは言うことなく感心しました。
このような姿を見て好きになったのではありませんが、最近の彼女を見ていると、
その試合態度はまるで東洋人を思い出させるものがあります。
本当に素敵なレディと思います。
試合は、1セットで4ゲームダウンをひっくり返し、
その勢いで2セットを取りストレートで勝ちました。
相変わらずの彼女のメンタル面の強さを感じました。
ハードコートでは、あれほどのラリーは珍しいのではないかと思うほど、
クロスやストレートのラリーが続きました。これは練習の内容を教えてくれました。
如何にラケットが軽くなったとは言え、
ライジングボールを引っぱたくような打法はかなりハードだと思えます。
それをシングルコートでフルに使うのですから???
このラリーの中でよかったのは、
ウオッズアッキのバックハンドのショートカットだと思います。
ライジング気味に、鋭角に打ち切るボールは鋭角にエースを奪いました。
両手打ちが多いバックハンドだけに、
鋭角に打ち込まれたボールを同じように両手打ちで返球するのは難しいです。
だからと言ってスライス返球は相手にチャンスを与えます。
ショートカットはそれほど威力を増すものです。
ラリーの基本はクロスですが、少しでも短くなれば遠慮なく鋭角に打ち込まれます。
鋭角であればあるほど威力は増すのです。
ウオズニアッキは、ボールを充分に手元へ呼び込み、
身体の回転で相手のボールを更に強くしています。
回転を掛けたボールは、更に強く相手コートに突き刺さっています。
これからも、彼女のトップ維持はかなり続くものと思われます。
いまは、日本選手より中国選手の存在が怖いです。
早くその対策を講じないと離されてしまうでしょう。
<サービス雑感>
さて、サービスではその優位性をいろいろと取り上げてみました。
その中で、サーバーが自分の思うようにならないことが一つあります。
レシーバーのレディ態度が優先するのです。
どんなに素晴らしいサービスでエースをとっても、
相手選手がレディになっていないと言い、レフリーがそれを認めたらやり直しになるのです。
これらは、特別なサインがあるわけではないのです。
レシーバーが構えをしたらサーバーはOKとなるのです。
これはフェアプレーの一環ですから、レシーバーも意識的な遅延行為は駄目です。
それにしても、サービスが攻撃的であり優位であることは事実です。
レシーバーは、それを如何にして逆転しようかと考えているのです。
優位なサービスに勝てば立場は逆転するのです。
試合では、相手のサービスをいくつ破ったかが基本になります。
サービスは、勝利に導くと言う前提で考えるからです。
サービスの練習にウエイトを置く理由がお分かりと思います。
サービスを取れば、ワンブレークとして相手より優位を示します。
当然ですが、自分のサービスを落とさないことが前提です。
ブレークしても自分がサービスを落としては何もなりません。
サービスの優位性は、皆さんも認めるでしょうが、
それだけに如何にしてそれを成しうるかです。優位なサービスを、
更に優位とするには確実性を高めるフォームの完成しかありません。
その完成は、的確なコーチのもとで切磋琢磨する練習しかないのです。
練習の繰り返しが、次第にそのフォームを身体が覚えて行くのです。
それは速効では有り得ません。
完成と言うのは、試合で自分の考えるようにサービスガ駆使できることです。
このとき大事なのは、技術だけで全うするのは困難です。これほど完成は難しいのです。
<スポーツ界雑感>
非常に残念な思いをしたことがあります。
先日行われた全日本のテニス大会が決勝戦すら放映されなかったのです。
これはテニス業界にとっても限りなき屈辱です。
スポーツはマスコミを賑わしているから取り上げるものではないのです。
NHKで放映される米大リーグには疑問が山積していますが、
受信料で動くNHKのやるべきものとは思えません。
スポーツ全般に関して、平等な放映こそが本来の姿ではないでしょうか?
それにしても、全国大会が放映されないのも珍しいのではないでしょうか?
何年か前に放映され、ハードコートに選手が唾を吐いたり、
審判に抗議をして終了時に握手をしなかったことを思い出しました。
まさかそれが尾を引いているんじゃないと思いますが・・・。
今年の女子プロゴルフを拝見し、上田桃子がクラブをバッグに叩きつけた画像は、
あってならないことであり、自分の稼ぎのクラブに対する態度は眉を潜める思いでした。
プロはすべての人に見られています。それを嫌な思いをする場合もあるでしょうが、
自分はプロである認識を失っては駄目です。
クラブは、選手にとって痛めてはならない道具のはずです。
<今月の言葉> NHK歴史秘話・・ヒストリアから
□ 信じるのは自分の力のみ
□ 強くなること自体が目的
□ 昨日の我に、今日は勝つべし
□ 無意識に正しい動きが出来ること
□ 自分の能力を無駄なく使う
□ 我、事において後悔せず
□ 常に兵法の道を離れず
□ 自分の選んだ道をゆく
宮本 武蔵
2011/2/15
読者から「テニスのメモ帖」にコメントを頂きました。
「森田や錦織が恵まれない体で、精一杯の努力をしている姿が見えない人には、
結果でケチをつけるだけになってしまう。発行者は世界と戦ったことがないのでは?」
まず、私の文章がそのような印象を与えたなら申し訳ないです。
しかし、「テニスのメモ帖」の創刊号からいままで、
対象となる選手に結果判断だけでの記事はないです。
大切なのは結果判断ではなく、プロセスをどう考えるかだと思っています。
そうでないと、そのような気持ちで書き連ねても、
それが感情的であれば読む人を不愉快にさせるだけです。
私はテニスが好きです。すべてこれが発端となっています。
しかし、テニスが好きと試合での勝負は別物です。
勝負は、勝つことだけが目的と考えています。
その目的達成のためなら厳しい発言もします。
精一杯努力していると書かれていますが当然です。
その努力を人に見せているようでは駄目です。ご本人が一番感じているでしょう。
選手を応援する、その気持ちから発せられたものと思われますが、
贔屓の引き倒しにならねば良いがと心配です。
表現方法には気を使います。勝つことだけが目的か?と・・・。
最近までは、中国選手の活躍を見ることは殆どなかったです。
しかし、彼女達の活躍は素晴らしいものがあります。
日本選手とフィジカル面では殆ど差はありません。
前回、伊達がダブルス相手に中国の選手の情にほだされたと書きました。
内情は分かりませんが、勝負に対して伊達を選んだのであれば、
日本選手を凌駕する精神力だと思います。
さて、最近のテニス記事で気づくのは、
50年前と今とコーチの基本は変わりない思いがあります。
当時、福田雅之助先生に教わった内容はそのまま使えるのです。
テニス雑誌は数誌目を通していますが、内容で見られるコーチの文面に、
”基本なんだけど”や”何も特別なことは”が見られます。
どのように用具が変わっても基本だと思います。
今までの繰り返しになりますが、テニスのスタートはサービスになります。
気付くことを分かりやすく書き連ねてみます。
ステップアップのポイントになればと思います。
サービスは、テニスの試合開始後、最初に行われるショットです。
それは相手のボールを迎えるのではなく、自分から打ち込む唯一のものです。
攻撃的なショットなのです。
ダブルフォルトがあってはならないのです。
しかし、先述のフェデ杯でどれほどのダブルフォルトでポイントを失っているか?
サービスで、ダブルフォルトがあってはならないのです。
サービスは攻撃志向です。ポイントを取るものを逆に失っては、
ポイント数で倍違うことをどれほど認識しているのでしょう。
サービスは相手無く練習できる唯一のものです。
もっとサービスの重要性を認識しなければいけません。
これは部活でも見られますが、サービスの練習は、
最後の仕上げになっているのが実情ではないかと思われます。
試合開始で、最初に打球するサービスを考えるとき、
身体がまだ充分に温まっていない時点で、
サービス力を発揮するには練習からそのような心構えが大切です。
練習や試合で勝つためなのか、繰り返すダブルフォルトに恥ずかしいのか、
アンダーサービスをする選手がいます。とても理解できる物ではありません。
ダブルフォルトより良いからと思っているようでは、
サービス力は決して身に付くものじゃないです。この繰り返しをするから、
サービスがいつまでたっても独り立ちしないのです。
日本人と体格が変わらないチャン選手は、素晴らしい身体能力の持ち主でしたが、
全米大会で肩を痛めて、アンダーサービスをしたことがあります。
いずれにしても、ダブルフォルトは選手にとって恥ずべき行為です。
これは練習不足以外の何物でもないからです。
それが選手に与える影響は限りなく大きいのです。
それほど、ダブルフォルトはマイナス志向そのものです。
それは相手にプラスを与えるからです。
サービスで易々とポイントを与えては絶対だめなのです。
レシーブは、どこへ来るか分からないサービスを
身構えながら対処しようとしているのです。
それに対して、安易なサービスでリターンエースで取られては・・・。
サーバーにとって大事なのは、サービスは2本ある上に、
レシーブコートのどこを狙っても良い優位性です。
これほど優位なサービスを失うなんて考えられない愚行です。
サービスで狙うコースは、「センター」「ショートカット」「ボデー」です。
センターはネットの一番低い部分を狙います。
ノータッチエースを得やすい場所の一つです。
ショートカットは、スライスでサービスコートを鋭角にスライドさせるものです。
最後は、身体の中心を狙いとっさの判断を狂わせ、相手のエラーを誘うものです。
これらを、ストレート・スライス・スピン等のサービスの変化で攻めるのです。
このように、多彩な攻撃が出来る、
サービスの特性を充分に発揮しポイントを奪うのです。
これが、レシーブへの負担を軽くしてくれます。
相手のサービスを落として与える影響を考えると、
サービスの練習を更に高める必要性を痛感すると思われます。
<今月の言葉>
□ たどり来て いまだ山麓
将棋 升田名人
□ いつも迷いと戦っている
プロゴルファー ワトソン
□ 困ったら、基礎に立ち返る
小池教授
□ 出来ることは、すべてやる
□ 出来る努力を尽くしたい
□ 自分は自分のペースでやる
漁師 山崎氏
□ 原点は不安、不安だから練習する
□ 結果が付いてくると強くなる
王 貞治氏
2011/2/1
<全豪オープンの結果>
日本選手は、いままでにない多数の参加でしたが・・・。
残念ながら結果はいつものように惨敗でした。優勝など望外のことです。
ひとり気を吐いたのが国枝選手でした。
錦織の活躍はいま一歩でした。今までとは違った、自分を披歴しようと
頑張ったようですが、相手に合わせる余裕がある実力はないのですから、
年齢から考えもっと積極的にして欲しいです。
女子は伊達ですが、早々とシングルス敗退、強気の発言は結構ですが、
彼女にはそれほ聞いているほどの余裕はないはずです。
名前が残っている間に後輩の育成に向かって欲しいです。
森田の活躍が期待されましたが、どうも限界があるように思えます。
実戦を見ていませんから何とも言えませんが、
メンタル面での充実が更に望まれると思えます。
わずか数年前、プレーを見て一目惚れしたウイズニアッキは、
その時から応援してきましたが、いまやトップ選手です。
何がすごいと言ってあの執着心は見事です。
ダブルスへは出ないと言っていた伊達が、説得されたからと中国選手と試合に出て、
結果はコンビネーションの不足が原因と、分かりきった愚痴がありました。
ダブルスに出場する場合、どの程度の準備が必要であるかは熟知しているはずです。
説得と言う程度でペアを組むべきではないです。まるで恥の上塗りではないですか。
それも、後輩の指導もかねて日本選手と参加したなら、大義名分も立つでしょう。
しかし、今回は伊達にプラスはなく、どんな気持ちで試合に参加したのか聞きたいです。
参加した選手たちは、練習の方法でコーチとの話し合いをどうしているんでしょう。
模倣することの大切さを、指導されているんでしょうか?
レベルアップには絶対に必要なのです。
メンタル面で、前向きであることは絶対ですが、そこで惹起される
「挫折」は何度でも経験する。その中でこそ本当の成長があることを知るべきなのです。
学生時代、腰を落とし素晴らしいバックハンドに惚れ込み、
先輩の後ろへ回り、同じ様にスイングを繰り返しました。
これは本当にスタイルとして身に付けることが出来たのです。
経験は必要ですが、そこへ至るまでに自分のスタイルを、
徹底して掘り下げなくては駄目なんです。
自分を知ることが、更に自分を高める過程であるのを知るべきなのです。
ウイズニアッキは残念ながら敗退しました。
それにしても中国の2選手の活躍は大変なものです。
プレースタイルは、ウオズニアッキと同様素晴らしい執着心を見せてくれます。
<選手の見方>
私の選手の実力判断は、サービスのフォームです。
これはどの程度のイン可能性を追求するのではなく、
如何にボールを的確に捉えているかを見ることから始まります。
バランスの良いスイングが出来ていれば、
ボールのインの確率は自然に増加するものなのです。
良いフォームから良いボールが出てくるのです。これは間違いない事実です。
そのような選手を育てることはコーチの立場として望外の喜びですが、
身体が震えるような感動を受けるものです。
私も一度だけそのような喜びを感じたことがあります。
残念ながら、彼女は志半ばでクラブからは脱退しましたが、
今思っても残念でなりません。それくらい素晴らしい素質を持っていました。
育ててみたい選手でした。
彼女の良さは、バランスが見事でした。
身体を充分に使ったそのフォームは流れるような感じでした。
最初に見たとき、トスしたボールへの打球点が低いのに気付きました。
それは直ぐ分ったのです。
バックスイングで右ひじが右のわき腹に近づきすぎているのです。
これではヘッドが遅れてしまいます。これを注意したら直ちに修正したのです。
これで彼女のサービスは、ヘッドが大きな弧を描きより力強い
サービスが入るようになったのです。インの確率は増加しスピードも増してきたのです。
サービスで重要なポイントは、攻めの武器ですから攻めなくてはいけません。
自分のサービスの状態を把握し、
相手を攻撃するにはどうすれば良いかに注力するのです。
一番は相手のラケットを脅かすようなスピードですが、
これは言うは易くでそんなに簡単なものではありません。
次に大事なのはコースでの選定です。
これらは、サービス基本であり、その基本を大事にして、
それに自分なりの技術を如何に付加させるかにあります。
自分でレベルアップさせる唯一の技術であることを忘れてはいけません。
2011/1/15
年末年始のTV放映の中で、日本サッカーの監督像比較がありました。
監督とコーチの違いを詮索するより、違った角度の見方を学びました。
興味深く拝見しました。
以下の内容は、TV放映とは違うでしょうが、私なりの解釈ですから、
拙い文章ですが行間の思いをぜひお汲み取り下さい。
それが私には望外の喜びです。
その主旨は、2014年にブラジルで行われる、世界大会への参加を目標として、
過去の監督の姿から再建する思いを感じました。
3年後に期待を込めた、サッカーの分析を楽しみました。
今まで外国人監督は、トルシェ・ジーコ・オシム・ザッケローニと変わりました。
それだけに、参加する選手に迷いが生じるのではないかと心配されました。
監督別のコンセプトはそれぞれ特徴があり、トルシェは「規律」
ジーコは「自由」オシムは「日本化」と集約されるそうです。
これは、選手の成長に連動していると考えるべきです。
監督の考え方は、ある面で選手の実力を十分把握していると思われるものでした。
まずは基本に、人間としての成長「個人プレーからの変化」をベースとしていました。
監督が日本人の特徴として、羅列した項目は
「コンプレックスが強い/コピーが上手い/さらに良いものを作る器用さ/
勤勉さ/前向き/日本人らしく戦う・・・でした。
しかし、監督就任の時点では日本の選手が、
あるレベルに達していなかったと考えられていたようです。
その中心として大事なのは、どれだけ練習したかの自覚不足だったようです。
サッカーでは、ピッチに立たないと自分の現在位置は分からないわけです。
そこに立って初めて自分の仕事の内容が分かるのです。
この時点で練習不足が分かっては大変です。
自由と規律、ジーコが選手に求めた自由も、結果として選手が把握できなかったため、
「早すぎた自由」と判断されてしまったしまったのは、選手も残念だったと思われます。
それから、トルシェの規律が浸透するのを待つ正しさが求められたのです。いわゆる
”ベースがある自由”この上に選手が自分たちで考えて作るものが必要だったのです。
組織の大切さは、試合がグループで行われるなら欠かせませんが、
多数の中から選抜された場合は、それが俊英の集まりであればあるほど、
人間力を高めるコーチが必要となります。
集中力の違い・体力の違いは、直ぐ解決できるものではないのです。
待つと言うコーチングも必要なのです。
その上で、自分を信じて結果を待つ気持ちも必要となるのです。
どうしたら選手を強くするか、
外国選手との体力差をどうするかいずれも近道はないのです。そこで浮かぶのは、
バランスの良いプレー・自分を信じて挑む勇敢なプレーが必要なのです。
スポーツは結果がすべて、日本ではサポーターがそれをバックアップしますが、
イタリアでは有り得ないので、
選手はそれだけ「結果」が全てと言う事実をよく分かっています。
急に攻撃サッカーを求めても、
いま足りない実績を考えれば解決方法がすぐ手に入るわけではないのです。
絶対に必要なのは、ゴールへの意識を強く持つべきなのです。
いまの日本のサッカーで最大のリスクとは、「リスクを冒すことを怖れること」であり、
パスを減らしてでもゴールへと進む、攻撃的戦略を考えなければならないのです。
日本選手の代表として、誇り高い気持ちが必要と考え、
その上でよりよい練習こそが上達の道であり、課題として勇敢さが必要だと思うのです。
自発的なコミュニケーションが必要なのです。
ピッチで動くのは選手ですし、変化への対応力を育てるには経験しかないのです。
国際試合の経験を求めるしかないのです。
フィジカルとメンタルのコンデションを考えるべきなのです。
監督として指導の注意点は、
選手の性格を知る/選手に何を求めるべきかを知ることです。選手は、
チームのためにプレーしているのは間違いないのでチーム第一であるべきなのです。
ザッケローニの最後の言葉は、
「ゴールが決まらないと周囲の選手に落胆?のため息が出る、
これがゴールへの意識を低くしている。
勝利も大事だが、いまはより成長することを求める」
<今月の言葉>
□ 攻めて終わること。攻めなければ駄目だ。
□ 悪ければ悪い中で勝つこと
□ 体調の悪さで負けても、試合での相手との条件は同じである
ひとりごと
□ 勝利への4か条
1、目標を持つ
2、即断・即決
3、スイッチの切り替え
4、常に悔しさを持つ
□ 練習が自信につながる
□ 心を強くするには・・・プラス志向
吉田沙保里
2011/1/1
明けましておめでとうございます。
平成13年9月20日に創刊号を公開してから10年目を迎えます。
一度もお会いしたことがありませんが、テニス愛好家の皆さんには心から感謝いたします。
これからも、どれほど継続するか分かりませんが、
ライフワークのような気持ちで頑張りたいと思います。
内容的には独善的なところが多々あると反省しておりますが、
どうぞ今しばらくお付き合いをお願いいたします。
<テニスを元へ戻してほしい>
今年の最初は、289号で羅列した「何故?」から、
少しでも改善に役立つならと私見を述べさせて頂きます。
本気で考えないと中国や韓国に追い越されてしまいます。
「では何故?」8ゲームマッチが行われるのでしょう。
早い消化を考えているとしか思えません。
そのために行われる試合がどれほどの効果をもたらすのかと思います。
現役時代、標準としてゲームは3セットマッチでした。
しかも、5−5からは2ゲームリードで決着がつくまでやりました。
このようなタフな試合が姿を消しています。
選手がやるゲームですから当然個性があります。
試合の組み立てもそれぞれなのです。団体戦でも、
5位や6位で出場すると絶対に勝つ選手がいたものです。
調子が出ないで、ゲームを重ねて行くうちに元気になる選手もいました。
気の弱い選手は、試合が長くなるとメンタル面が続かなくなり自分から崩れていきました。
8ゲームマッチでは、そのような試合での駆け引きなどが行われず、
先手必勝ですべてが終わってしまいます。
このような環境に育った選手が、果たして世界で独り立ちできますか?
「では何故?」単複で選手が重複してはいけないのでしょう。
これでは偏った選手が育成されてしまいます。
多くの選手に、出場機会を与えたいからが真相なのでしょうか?
選手の育成は、すべての選手に平等に行われるべきです。
しかし、その機会を与えることと。
戦いの場でも同じような平等性を実施するのは意味が違います。
戦いの場では、実力通りの位置を与えてやらねばなりません。
それには、すべての条件を同じにすべきです。
その中から抜ける選手を育てることが俊英育成だと思います。
単は好きだが複は苦手だと言う選手を作ってどうするのです。
テニスの好きな理由として、単複それぞれの楽しさを満喫できるところにあるのです。
単は、一人で相手と向かい合い戦う厳しさです。
セルフコントロールを自在にする楽しさは、
対処したものでないと充分に得ることは出来ないのです。
複では、ペアとしてどのようにするべきか? コートも当然大きくなります。
それをカバーするには、コンビネーションを如何に取るべきか?
これは自分だけでは出来ないのです。
「では何故?」勝負の結果が出たら、継続中の試合すべてを中止するのでしょう。
団体戦であれば、その勝負はすべて終わって判断されるものではないでしょうか?
雨でも降らない限り、試合を途中で終わりにすることはありませんでした。
トーナメントであれば余計に団体戦競技はすべての試合をすべきです。
8−0でも9−0でもです。
選手はその気で待機しているものです。
また、途中止めでは体力的な負担はありません。
それではフルゲームを行ったチームとは格差を生じます。
全国的な試合では全試合が行われ、地方の試合だけは打ち切りになるのは何故でしょう。
体力的な差だけではなく、メンタル面でも試合をしていない選手には負担です。
試合の進行を考えての処置なら、これほどテニスをバカにしているものはないです。
すべての場所で同じ条件で行って初めてスポーツと言えるのではないですか?
すべてが、その期間中に終わればいいんだと言う
運営側の考えが履行されるようではいけません。
選手は試合に出て能力を全うすることに誇りを持つのです。
忘れてならないのは、テニスは基本的にシングルスとダブルスで構成されていると言う
事実です。この中で技術を習得しているのに君はシングルスだけとは解せないことです。
「では何故?」セルフジャッジになったのでしょう。
選手はボールに対して集中するのであって、
アウト・セーフまで神経を集める必要はないのです。審判もテニスの一部です。
まず、ボールパースンですが、なぜ必要なのでしょう。
ネットしたボールはその殆どがエラーです。
それならエラーした選手が取りにゆくべきです。自業自得ですから。
中には、早く取れと言うような態度をする選手もいます。
とてもアマチュアとは言えません。何でもプロの真似をすればいいものではないのです。
何より噴飯ものは、ダブルスにも付けることです。
ネットしたボールはネットに詰めている選手が取ればいいのです。
恐らく時間的な制約から生じたものだと思えますが・・・。
ジャッジは、1回戦だけはボランティアで行って、
その後は敗者が次の試合を担当すればいいのです。
ジャッジも、テニスではその一部として実施するべきです。
ジャッジは、ボールを目で追いかけIN・OUTを判断する動作ですが、
瞬間的な動きを求められていますから、動体視力の強化にも結びつくものです。
「では何故?」サーフェイスでハードコートに拘るのでしょう。
一番基礎体力を充実させるにはクレーコートが最適です。
何故ならフットワークが自在にできるからです。
さて、いまコートのライン引きをしている選手がどれほどいるでしょう。
溶かした石灰を手箒に浸して、二人が引っ張っている細い綱に沿って
ラインを描いて行く操作です。
自分たちが行う練習や試合に際して、
その判定の基準となるライン引きをすることのない現役に寂しさを感じます。
先日、コートへ入る選手がコートに頭を下げていました。
テニス道と言う、メンタル面を強要する気持ちはありませんが、
その基盤となるコート整備やライン引きから、コートに愛着を感じるのは
当然でだからこそ頭が下がるのです。
何もかも揃っている中で、技術のみをひけらかす選手を重用するのが、
果たしてスポーツと言えるのでしょうか?
何故か基本的な部分が欠如しているように思えてなりません。
「では何故?」味方の応援であれほど大声で騒ぐのでしょう。
今までの経験では、試合中打球音が響くほどの試合環境でした。
勿論、応援は必要ですが集中力を乱すようでは意味ないです。
最近は、だいぶ改善されましたが、それでも周囲の観客を辟易をさせる勢いでした。
これが、コート上でポイントをゲットする度のハイタッチに移行したのかも知れません。
いずれにしても、現役時代緊迫すればするほど静粛になったことを考えると
将に異常です。女子の試合で、応援の声が小さいと叱られていた補欠選手を思い出します。
確かに、試合が始まると黙っていますが、
横の試合がコートチェンジ等になるとそこの応援団が始めます。
このため、静かに観戦する環境は殆どありません。
近くのコートで、プレーを楽しんでいた一般の方に注意をされても一時的でした。
散歩していた女の子が応援と聞いての一言が印象的でした。”あれって、迷惑ジャン”
「では何故?」相手に向かってガッツポーズをするのでしょう。
どうしても馴染めないスタイルです。
自分の相手が、あなたにそれをしたらしたらどう感じますか。
決して愉快じゃないはずです。
紳士のスポーツと言われているテニスでガッツポーズは似合いません。
プロでも数人を除いて静かなスタイルです。自分に気合を込めてのポーズなら良いのです。
一番いけないのは、相手に対して”ザマーミロ”と言わんばかりのポーズです。
スポーツは勝負で決着するものですが、それまでは双方対等なのです。
互いを尊重するべきなのです。
自分に気合を入れる意味でのガッツポーズは良いと思います。
しかし、エースや相手のポイントでのエラーに対してのガッツポーズは
決して行ってはならないものです。
これは相手に対してのマナー違反です。
特に相手に向かって拳を握りしめてのガッツポーズは恥かしくなります。
冷静さを失ったこのような行為は責められても仕方ないのです。
マナーを弁えた行為は見ていても、清々しさを感じるものです。
そこにこそスポーツマンとしての姿を見ることが出来るのです。
忘れてはならないことではないでしょうか
「では何故?」試合が終わって握手をしないのでしょう。
何となく終わってしまった感じの試合を多く見ます。
終了後の握手は、互いの健闘を称えるスポーツマンシップの現れです。
スキンシップとよく言われますが、味方同士のハイタッチも同じです。
このような行為は敢えて味方同士がすることではないのです。
それくらいなら相手と握手をしましょう。
試合が終わっての握手にこそ気持ちが通じるのです。
互いによくぞ戦ったと健闘を称えあうのが握手なのです。
このスキンシップこそ戦いの場では重視しなくてはならないと思います。
<今月の言葉>
□ 攻めて終わること。攻めなければ駄目だ。
□ 悪ければ悪い中で勝つこと
□ 体調の悪さで負けても、試合での相手との条件は同じである
斎藤 仁
□ 人を思う心
□ いまでも、前の踊りを舞っているが、そのたびに新しい発見がある。
□ 練習はせにゃあかんです。
武原 はん
□ 常に高みへの挑戦
□ 練習で120%の準備が自分を支えてくれる
□ 情熱と誇りを持ってやるべきことをしっかりやる。
吉田 都
□ やらなきゃよかったと思いたくない
□ 修復と破壊は表裏である
□ 突き詰めて、いつも突き詰めて
□ 結果がすべての仕事
□ 完璧を求めるのはやめよう
岩井希久子
2010/12/15
<いよいよテニスもシーズン・オフです>
このシーズン・オフを如何に過ごすかが、来季の選手生活を左右するのです。
これらは、何度も繰り返してきましたが、後輩に充分浸透しているとは思えません。
学生生活で浸透しない理由は、伝統が失われてきたからです。
それは毎年繰り返される幹部の交替にあります。残念ながら、
身近な例として就活で苦しむ状態で分かります。
勿論、私たちにも就活はありました。
しかし、伝統の踏襲はそれを凌駕する勢いがあったのです。
それ以後の大学乱立、クラブよりサークル優先に学生生活があったのです。
このような社会情勢があるだけに、今の後輩たちにこうしなさいとは言えないのです。
その社会で生き抜くことが必要だからです。目標をいくつも与えられる後輩は可哀想です。
でも、スポーツを青春の一部と考えるなら、生活とスポーツの間に横たわる、
この柵に勝たなければいけないのです。
ただ、自分の考え方を最優先してはいけないのです。
今年の全日本大学対抗テニス王座決定戦は、
早稲田が男子では6連覇&女子が5連覇の快挙を成し遂げました。
平生の努力は並大抵ではなかったと思います。
「強いところへは力のある人が集まる」とはよく言われるのです。
その中で努力して、更にトップを目指したいと言う思いが、
余計に彼や彼女たちを励ましているのでしょう。
監督の言葉は、「他校の練習を見てないから何とも言えませんが、
うちは本当に練習しています。選手たちがやるべきことをやっている・・・
これだけは自信を持って言えます」でした。
それを素直に受け取れば、一番強いテニス部が一番練習していた。
これがすべてを物語っているのかも知れません。
連覇の高い目標を持続したのがこの結果を生んだと思われます。
将に、”練習に勝る勝利への近道はない”目標に対する心構えも大事ですが、
誰にでも出来て出来ないのが地道な練習です。
一度でステップアップ出来ないことを認識すべきです。
<テニスを元へ戻してほしい>
何故?、コートチェンジごとに休憩するのでしょう。
本当かどうか、調査に限界がありわかりませんが、
プロの試合でTV放映にコマーシャルで、3分間取り入れたと聞いています。
何故?、8ゲームマッチが行われるのでしょう。
さまざまな選手がするだけに個性が発揮されます。
没個性のような試合が、平然と行われている現実が理解を超えています。
何故?、単複で選手が重複してはいけないのでしょう。
これでは偏った選手が育成されてしまいます。
多くの選手に、出場機会を与えたいからが真相なのでしょうか?
何故?、勝負の結果が出たら、継続中の試合すべてを中止するのでしょう。
団体戦であれば、その勝負はすべて終わって判断されるものではないでしょうか?
何故?、セルフジャッジになったのでしょう。
選手はボールに対して集中するのであって、
アウト・セーフまで神経を集める必要はないのです。審判もテニスの一部です。
何故?、サーフェイスでハードコートに拘るのでしょう。
一番基礎体力を充実させるにはクレーコートが最適です。
何故ならフットワークが充実できるからです。
何故?、味方の応援であれほど大声で騒ぐのでしょう。
今までの経験では、試合中打球音が響くほどの試合環境でした。
勿論、応援は必要ですが選手の集中力を乱すようでは意味ないです。
何故?、相手に向かってガッツポーズをするのでしょう。
どうしても馴染めないスタイルです。自分の相手が、
あなたにそれをしたらしたらどう感じますか。決して愉快じゃないはずです。
何故?、試合が終わって握手をしないのでしょう。
何となく終わってしまった感じが多い試合をよく見ます。
終了後の握手は、互いの健闘を称えるスポーツマンシップです。
何故?、ダブルスでポイントを取るたびペアがハイタッチするのでしょう。
集中しなければならない時に反対の行動がしばしば見受けられます。
何故?、ダブルスで雁行陣なんでしょう。基本的に並行陣であるべきなのです。
ソフトテニスの基本である雁行陣とは、使用する道具に違いがあります。
何故?、テニス全般で統一見解がないのでしょう。学校単位での不揃いや、いろいろな
協会が乱立し、その中で有名選手が既得権益を当然としていては発展はないです。
何故?、トレーニングを総合的に考えるコーチの養成をしないのでしょう。
学校の伝統も大切ですが、それは団体戦で培われるものであり、
上から押しつけるものではないのです。
平生から感じている疑問を羅列しましたが、これもごく一部に過ぎません。
忘れてならないのは、スポーツに参加する人達が心からスポーツを愛する環境作りです。
全世界のスポーツであるサッカーのFIFAでも、役員の不祥事が暴露されました。
取材した方法を、騙す行為であり許されないとありましたが、
潔白な行動をしていればないはずです。
先日も書きましたが、テニスは偉ぶるのではなくかっては「紳士のスポーツ」と表現
されていました。その大会で「マナーのあり方」等の表示がありました。寂しいことです。
上記の「何故?」について、読者各位のご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
それで解決するわけではありませんが、
そのような意識を後輩が持ってくれれば改善されるでしょう
2010/12/1
<広州アジア大会>
中国の活躍は、選手の層の厚さを考えれば頷けますが、
韓国にもメダル数で敗退したのは如何でしょうね。
特に、メダル数の再三にわたる目標数変更はどう考えたら良いのでしょう?
将に、恥の上塗りではないでしょうか?
メダル数が大会への参加を全うするものではないのです。
アタフタする、協会役員の無様な格好は日本スポーツ業界を暗くしませんか?
懸命に頑張って、その結果だけの判断で選手を評価しては、
いままでの努力は何だったんだろうと思いませんか?
どの競技でも懸命に頑張っている姿こそ素直に認めるべきです。
いつものことながら、国がスポーツをどう考えるか?
役員の大会参加の多さはどう考えても頷けないです。
それより若手を一人でも多く参加させるべきではないですか?
さて、テニスでは伊達が女子シングルス準決勝に敗戦しました。
この結果をどのように判断するのでしょう。
彼女がとても十分な活躍が出来たとは思えません。
こうなると、再燃するのが後輩たちの不甲斐なさでしょうか?
伊達に全てを託するのは最早限界と思われます。
伊達のスタイルは誰でも踏襲できるものではないです。
しかし、後輩たちが自分のスタイルにそれを加味出来れば、
今までにない新しい自分が現れるのも間違いないです。
物まねをしては駄目ですが、新しい自分を出して欲しいのです。
続く選手への期待をどれだけ表現したでしょう。
しかし、一定のレベルから飛び出る俊英がいません。
選手が問題なのか? 国の考え方なのか? 監督・コーチなのか?
伊達のスタイルは、弛まぬ練習の賜物でしょうが、
それだけに試合における体力の消耗は、そのスタイルですら消耗させてしまうのです。
予定外の活動は伊達の責任ではありません。
あの、ライジングボールを捌く技術は見事です。
そのタイミングの良さは、一朝一夕に把握できるものではないです。
それだけに、早く後輩へ教えて欲しいのです。
伊達ほどの力があれば、すべてそれで通せると思っているのでしょうか?
それに付け込んだ中国選手の勝利は、当然と言えば当然だったかもしれません。
実際に、伊達と関わり合いがあるわけではないですから、
その内容は定かではないですが、
もっと精神的にも肉体的にも余裕のある試合をして欲しいものです。
それにしても、後輩の状態は何とかならないものかと思います。
先日拝見した、ウオズニアッキとストーサーの試合から圧倒されるのはその迫力でした。
負けるものかと言う気迫でした。
<NHKスポーツニュースを見て・・・>
いつものことだと、半ばあきらめていましたが、
プロゴルフの放送はどう判断したら良いのでしょう。
優勝した松村道央の紹介やゲーム中の内容放映は皆無でした。
見ている人は、誰が賞金王になるかは関心がないです。
どれほどのゲーム内容を見せてくれるかが大切なのです。
その結果として、賞金が付いてくるんじゃないんでしょうか?
懸命に努力し優勝したにも拘らず、無名? であるがゆえに、
優勝トロフィを手にした数秒間だけの放映は、
あまりにも選手に対して失礼ではないでしょうか? それもNHKです。
勝負の世界で大切なのは、その大会に勝つことです。
まさに、優勝がすべてなのです。
NHKの放映は、まるで年間賞金王が誰に行くかの過程を追いかけているだけです。
これでは、本来の意味するスポーツが根付くとは思えません。
単に、金銭的な結果だけを追いかけるギャンブルになります。
努力している選手の結果を称えて欲しいです。
大会で優勝した結果は、とても重たいものがあります。
単純な表現ですが一人しかいないのです。
その優勝者を差し置いて5位・8位・20位の選手が脚光を浴びるのは何故でしょう。
石川遼は当日8位です。他の選手であれば、歯牙にもかけなかったでしょう。
石川遼は、スポーツマンとして応援している選手ですが、
戦いの厳しさは伝えなければ駄目です。
勝負の世界は弱肉強食が当たり前です。その中で生きて行くから成長があるのです。
石川遼が好きなら、成長を期待するなら、勝負の厳しさを知らさなければ駄目です。
他局で、韓国選手のメンタル面の強さを「国民性」と表現していました。
勿論、国策としてカバーしているのでしょうが、
失礼ながら貧しさゆえの辛抱強さがあるとか。
”簡単には諦めない”勝負に対する執念は、日本人とは違うようです。
これが単純な表現で「国民性」とは思えませんが、勝負への執念は違うと思われます。
<今日の一言>
□ 後の先(ごのせん)
立会に遅れたようでも、最後には自分の形になっている。
□ 攻める一方が横綱相撲ではない。
□ 平常心を保つための心の準備をいつもしている。
□ 負けて相撲を覚える。
□ その上で、双葉山が69連勝でストップした際の言葉
「我、いまだ木鶏足り得ず」が心に響く。
白 鵬
2010/11/15
<後輩の練習を見て・・・>
ストロークで一番気になるのは、インパクト前後の身体の上下動でしょうか?
これだけ移動すると的確にボールを捉えきれないと思います。
ボールへの力配分は無いに等しいです。
ラケットを振り回していれば、力強いボールが打てると誤解しているように思えます。
そうではなく、インパクトで如何に力を集中するかを思い出してほしいです。
今の状態は、フットワークの稚拙さを暴露しているようなものです。
身体を動かさないでボールを打とうとしているのです。
そうではなく身体をボールに近づけるべきです。
フットワークがしっかりしていれば、ボールを的確に捕まえられるのです。
そのバランスの良さが安定したボールになるのです。
その連続性を把握しなければ改善はないです。
プロでさえ、ウエスタングリップを採用する時代であれば、
致し方ないのかも知れませんが、
極端に厚いグリップのまま打ち下ろすスイングはストロークではないです。
野球のように、来たボールを打ちのめすような打法は、
まるでバッテングに近いものがあります。
これでは、テクニックより身体的な優劣が勝負を決めると言えるでしょう。
ストローク以上に、目をつむりたくなるのがサービスの状態です。
フォーム全体のバランスが出鱈目です。
一人で練習できるサービスの精度が上がらないは何故でしょう。
殆どの選手に見られる欠点は、右効き選手の左足位置の動きです。
構えたときの左足が、打球点までに何度どのような方向へ移動しているか?
両足が動くときもあります。
構えからフォロースルーまで、一連の行為に連続性がなければ、
それは一つの形としては成り立たないのです。
バラバラのものを纏めるのは大変な作業です。それだけに最初が肝心なのです。
一連の作業として、スイングが滞りなく行われて良いサービスが発せられるのです。
それが出来ないときはどこかに問題があるからです。
それを取り除く行為が一番必要なのです。
後輩の練習を見て、基本的な部分で出来ていないのが残念です。
先輩からの徹底した指導の欠如でしょう。
先輩は後輩を育てるためにある位置づけを再認識して欲しいです。
選手の動きを見ていて、誰しもが当然と思う形が出来ていないのです。
その基本は集中です。
だらだらと長い練習より、短くとも集中した練習に効果があるのです。
笑みを湛えた表情は、心豊かな感じを与えますが、
いつも同じような行動は集中力の欠如を感じさせます。
いつも感じて欲しいのは、テニスは相手がいるスポーツとの認識です。
相手を決して忘れてはなりません。その上で大事なのはその相手の尊重です。
試合である以上策を弄しますが、
それは試合の駆け引きであり相手を蔑にするものではないのです。
試合中にポイントを取ったからと、相手に向けてのガッツポーズや、
自分の不調を用具に当てつける等の行為は、選手としてマナー違反を認識して欲しいです。
紙に書くのは容易です。選手にはそのような気持ちがなくとも、
つい行う場合もあります。気が付いたら修正すればいいのです。
続けるのは気付いていないからです。
このようなジェスチュアが頻発するようでは、
如何に強くとも後輩に見習いなさいとは言えないのです。
積み重ねながらその是非を考え、少なくする努力をして欲しいものです。
<WTAの女子決勝>
ウオズニアッキvsクリスターズの決勝を特別放送で見ました。
さすがと言う感じです。何度も言いますが、インパクトでの発声がありませんから、
雰囲気は息をのむ状態でした。
緊迫した試合展開は、6−3・5−7・6−3で
残念ながらクリスターズが僅かの差で勝利しましたが、
経過から考えて執念の勝利と思われました。見事の一言です。
対してウオズニアッキは、思う通りにならない自分に
嫌気を感じたように最後のフォアは無茶振りでした。
好きな彼女ですが、メンタル面で更なる成長を期待したいです。
ストローク合戦に終始したその内容は、
よくあれだけラリーが続くものだと驚くばかりです。
ラケットをまるで棒のように振り回していますがそのスピードは素晴らしいものです。
ハードコートであれだけのラリーを続けるのは
フットワークが身に付いている証拠でしょうね。
フォロースルーまで見事にこなしています。全くふらつかないのです。
クロスやストレートのラリーだけでは決まりません。
咄嗟の相手の動きを察知した逆モーション。
それに加味されたショートクロスこれらがうまく加味されてポイントになっています。
<プロフェッショナルからの言葉>
北島康介選手のひとり言
□ アメリカで一人の生活を希望し、細かい指導はなく自由である。
□ 選手には自ら考えることを要求されている。
□ 平井コーチのような緻密な指導はない。
□ 何をテーマで今日泳ぐのか。すべてを決めるのが自分だ。
□ まぐれはない世界。数字に勝てない勝負に勝てない。
□ 感覚を信じて泳ぐ。自然に泳ぐ。都度の変化を感じる。
□ 心の奥が燃えないと身体が動かない。
□ ハードトレーニングで自分を追い込む。
□ お前の人生、いまが絶頂、後は落ち込むだけ。
□ 何があっても結果を出さなければいけない。
□ 孤独な挑戦。自分が決めたこと。自分を信じて前進する。
2010/11/1
<HPテニス決勝戦の伊達の頑張りー2>
結果を放送しながらアナウンサーの一言、
「来年の決勝では優勝の伊達を見たいですね」を聞いたとき唖然としました。
もう止めて欲しいが終わったときの私のコメントです。
とても、正視できるものではないです。
死闘と言う言葉が適切ではないかと思うほどのものです。
この姿を後輩たちがどのような目でいたのでしょうか?正視できたのでしょうか?
試合はフルセットになりました。
相手のタナスガンも33歳と二人とも引退しても良い年齢です。
その二人が頑張り抜いた試合でした。これを若手はどう見るのでしょう。
伊達の試合運びに感心して見ていましたが、終盤の足の運びには限界を感じましたし、
左程強いとは思えなかった相手のボールに立ち向かう姿はやっとと言う感じでした。
伊達のスタイルがライジングボールをタイミングよく打ち返す所にあるわけですから、
上手く処理していましたが経験値も体力の限界には勝てなかったと言えます。
今の状態では、試合を重ねるごとに体力の消耗は
復帰した状態からはかなりの違いがあるのですから、
限界は見えています。出来れば引退して後輩の育成に心掛けて欲しいものです。
それもありますが、その姿を見て後輩たちがどのような思いだったのか知りたいです。
彼女のスタイルが日本選手として通用することは立証された訳です。
いち早く、その基本を習得することが大事ではないかと思います。
ただ単純に強打するだけが良いとは思えません。
伊達のスタイルを見てもっと勉強して欲しいものです。
伊達の姿を見て、自分たちへの挑戦状と思わなくては駄目です。
それを超えてこそ後輩の意地が見えるわけで、
それが出来なければテニスをする意味はないです。
さて、試合での伊達も思うの任せない苛立ちでしょうか?
ラケットに何度か当たっていましたが、
剣道や弓道でどのようなことがあったら追放に近いのではないでしょうか?
集中したい気持ちもわかりますが、
サービスの時TVでは分かりませんが観客席の騒めきに咎めるような動作をしました。
それは伊達が集中出来ていない証拠です。
また、観客あっての選手と言う思いを忘れてはなりません。
プロなら猶更それを感じます。エチケット不足は、
選手が直接的な行動をとるべきではなく、謙譲な気持ちを忘れないで欲しいです。
NHKの”プロフェショナル”を見ていると、
お客様に対する気持ちの持ち方は皆さん並大抵のものではないです。
”いまだ木鶏足り得ず”と自分を諭した双葉山の心境を考えて欲しいです。
日本人の判官びいきは、時にはそれを超越してしまう傾向がありますが、
基本はどのような場合でも一つしかないのです。
一生懸命戦っているんだから”静かにして”は思い上がりでしょう。
<HPテニスでの伊達の頑張り>
決勝戦で伊達が敗退しました。その頑張りは大したものです。
伊達の最近の言動には疑問符が付きますが、
プレヤーとしての頑張りは立派なものだと感心します。
これは、やはり基本がしっかりした上で、
伊達のテニススタイルが完成している証拠でしょう。
その点では、後輩たちの不甲斐なさにはあきれるしかないです。
最近の傾向ですが、なぜあれほど選手の年齢が出てくるのでしょう。
プレヤーにとっては関係ないことです。プロである以上すべて同じレベルの戦いです。
老若の表現が好きなのは日本人の特質でしょうか、
伊達にしても40歳で頑張ったけどと言うサブタイトルが付くのはとても失礼なことです。
スポーツはすべて結果です。
今回の伊達も、戦いの場としてはこれ以上ないものだったでしょう。
テニスのフルセットは大変な重労働です。
その中で勝利すると言うプレッシャが加味されるのです。
先日のチャイナオープンで、相手のドロップショットが決まって、
ウォズニアッキが動けなかったプレーを見て、
アナウンサーが足を痛めているのを知ってと言いながら同情的な発言・・・。
その上、相手もそれが分かっているから打ちたくはなかったのでしょうと追加しました。
対して、解説者の神尾さんが一言「勝負ですから」と言い切っていました。
アナウンサーの真意は分かりませんが、
それをスポーツ精神と言いたかったのであればとんでもないことです。
プロでありそれで生活していることを忘れてませんか?
<大好きなNHK・・プロフェッショナルが再開されました>
好きだと言う理由は、メンタル面で非常に役立つからです。
プロとして人生をどのように送っているのか?
現実の今どのようなスタイルで過ごしているのか?
これらを、ご本人が赤裸々に答えてくださる内容には、心から魅かれるものがあります。
これらを自分自身が噛みしめ、自分の中でどのように咀嚼するかではないでしょうか?
拝見しながら、自分の人生をどう生きるかの指針にもなっているのです。
これらの何分の一しか出来ないでしょうが、
将来に対する自信を植えつけてくれるのではないかと思っています。
そのような内容を、今後もこの番組を通じてメモ帖に記載し、
それを読んで頂ける皆さんの今後の生活への一助になればと念じております。
先輩諸氏の実体験は貴重です。
そのプロローグです。
□ 自分で納得しなければ駄目だ
映画監督 宮崎 駿
□ 苦しみを楽しむ
歌舞技役者 市川海老蔵
□ どんなときでも前を向く
□ 起きたことをネガティブに捉えても仕方ない
サッカー選手 中沢 佑二
□ 出来ることは必ずある
□ 不可能だと思うと、やる前から諦めてしまう
武装解除 瀬谷
□ いつも最高のスタイルを求めている
□ 挑戦に終わりはない
□ その時々の自分を完璧に作り上げる
プロ野球選手 イチロー
□ 苦しいことを最初からしない。基礎を繰り返す
調教師 藤沢 和雄
□ 逆境こそ力を蓄えるチャンス
経営者 坂本 幸雄
□ 悪い時でも悪いまま終わることはない
□ 期待を裏切ってまで長生きする価値はない
大木 隆生
2010/10/15
<ウォズニアッキが女子世界トップになりました>
過日、彼女の試合態度に感心して応援しています。当時愛らしい十代の彼女は、
コートに花を持ち込んでくれました。何より気に入ったのはテニス・スタイルです。
最近の女子テニスも、ウイリアムス姉妹から始まった?
打球の度の声出しは気になっていました。
私の好きなスタイルではなかっただけに、黙ったままのプレーは新鮮でした。
今回の彼女は一段と逞しくなり、動きも素敵だと感じました。
でも、ハードコートの動きによっては、
下半身の怪我がテニス・スタイルに影響しなければと懸念しています。
男性の動きに近くなっていた、最近のテニス・スタイルから脱却し、
柔らかさを持ったスタイルは、立派と言うしかないでしょう。
ぜひ、これを続けて欲しいものです。
彼女のスタイルで一番の特徴は、際立ったバランスではないでしょうか?
このためなのか、打球時の身体の動きが非常にシャープです。
その結果として打球が強いと思われます。
東レ・中国大会と連続優勝で感じるのは、
サービス・コートを充分に使ったプレースメントだと思われます。
特に、ショートカット気味にスライスを掛けた2ndサービスは見事です。
サービスのフォームは、ラケットを下から上へ回転させるのではなく、
伊達のようにすぐ上に持ってきています。
これは恐らくサービスを安定させるためと思われます。
ストロークでは、本当にアンフォーズドエラーの少ない選手だと感じました。
殆どベースラインの打ち合いが多く、その内容はさすがと思わせるものがあります。
それは自信満々な打球で力強いものがありました。
相手のサービスラインへ落ちるストロークは殆どなく、
ベースラインでの振り切ったスイングは、相手に付け入る隙を与えません。
スローでストロークを見ますと、あれほどのスピンをかけているのに、
ボールとラケットの接触面では、すべてがボールに対して直角に当たっています。
力強いはずだと感心しています。
ストロークの角度をラケットの接触面で決めるのではなく、
あくまでも直角に当てその後のフォロースルーで、角度やボールの緩急を決めるのは、
テニスプレヤーが見習うべきです。
アイス・ドールと言われて、ファンも多かった”クリス・エバート”の、
試合中冷静な試合運びは、そのままアイスドールと呼ばれていました。
テニスそのものというスタイルはよかったです。
ウォズニアッキにも、そのスタイルを踏襲して欲しいです。
勿論、失敗した時の照れたような笑顔や嬌声は失わないで欲しいです。
やはり他のプレーヤーの模範となって欲しいです。
彼女のコーチは父親です。この点では石津(10月1日でプロ転向)と同じです。
クリス・エバートも父親がそうでした。
ただ、二人と違うのは前歴がテニスプレーヤーでした。
選手を育てる過程で興味があるのはコーチの存在です。
クリス・エバートの父親はテニスプレーヤー、ウォズニアッキの父親はプロサッカー、
平津の場合は経験なしです。
これら、三人三様の選手スタイルを考えると、
コーチの前歴がどのような影響を与えるのかも興味があります。
特に、石津の成長を見守りたいと思います。
<東レ・テニス>
ウォズニアッキが東レ初優勝でした。1セットをあまりにも簡単に取られ、
ディベンチュアに押し切られるかと思いましたが、実力通りの優勝でした。
見事なものです。
本人のコメントでは、集中力との答えでしたがその通りの試合運びと感じました。
それにしても、20歳であれほどのメンタルの強さを見せつけられると別格の感じでした。
連日のタフな試合運びは、かなりのプレッシャーだと思いますが、
試合中も表情には出ませんでした。
二度ほどラケットをネットやコートにぶっつけていましたがご愛嬌でしょう。
打球ごとに声を出すディベンチュアとは異なり、
黙々と打球する彼女の試合運びは非常に好感が持てました。
この試合態度はデビュー当時と変わっていません。信念の強さを感じます。
これが気に入って応援するようになったのですが、
試合終了後のあのチャーミングな笑顔は、達成感をそのまま表現しているようで、
思わずよく頑張ったなと思います。
やはり一番の特徴は、大きなスイングで守勢から攻撃、
攻撃から守勢と切り替わる柔軟なスタイルでしょう。
深い返球は、相手を益々窮屈に押し込めて行くようです。
それにしても、アンフォースドエラーの少ない選手です。
格が違うと殆ど相手にはならないでしょうね。
本心は、伊達と戦わせたらどのような試合になるか見たかったです。
ハードコートではフットワークが重要です。
やはり上位で残った選手はすべて抜群です。
心配は、クレーコートのように足をスライドさせないので、
筋肉痛や筋肉疲労お発生でしょうか。
ウォズニアッキが前進する姿勢は、まるで地を這うようなスタイルです。
日本選手の腰高とはかなり違います。
だから、ボールの高さの目線でボールを追うから安定しているのでしょう。
これらは究極のところ練習量の多さではないでしょうか。
それと試合終了後、父親が身体を冷やさないように、
コートを羽織るジェスチュアのアドバイスは細やかさを感じました。
|