<エナンの復帰>
エナン・アーデンの情報が入りました。一昨年の5月14日に引退したエナンが、
今年1月に復帰することを決意したようです。捲土重来を期待したいです。
女子世界ランク1位のままの引退は、
今まで例のないことでしたから意外と言う気持ちが多かったのですが、
それはそれとして彼女の復帰は日本女子には朗報です。
復帰の理由は様々でしょうが、それはどうでも良いことです。
4大会で優勝経験がないのは全英(ウインブルドン)だけです。
それがきっかけでしょうか?
何はともあれ、エナンに期待する最大の理由は、身長167cmと言う体格です。
日本人と変わらぬ体格は、日本人でも鍛え方次第で大いなる期待が出来るのです。
エナンの復帰に賛成するのは、伊達の復帰に苦言を呈しただけに不思議でしょうが、
私自身一向に不思議さを感じません。
それはエナンが日本人の見本になるからです。
加えて、今は標準的なバックのダブルハンドスタイルです。
いろいろと批判はあるでしょうが、基本的にダブルハンドは不利でしかないです。
次へのステップに遅れるからです。
それが通用しているのは、ダブルで可能なボールの威力でしょう。
しかし、それもしっかりとしたスイングが出来て、初めて通用するものなのです。
ダブルハンドに執着して、フォームが乱れる中で振り抜こうとする。
固定概念に囚われるようでは、バックハンドを自分のものにするのは難しいでしょう。
エナンのバックハンドは片手打ちです。このスタイルから打ち出すバックは、
素晴らしい威力を発揮します。腰が入っているから、振り切ったボールは力強いのです。
フォアにしてもバックにしても、両手でボールを打つには腰の回転が優先します。
インパクトで、両腕が伸びきっていないと、瞬間の力は抜けてしまいます。
両腕が縮んでいると、ボールに破壊的な力を乗せることは不可能です。
片手打ちでも、反対の腕に同じように力が入れば、両手打ちと同じように力が入るのです。
エナンのすべてに付いて、日本の女子選手は模倣すべきです。
決してそのままであれとは言いません。
同じ体格だからと言って即同じ位置づけが出来るものではないからです。
周辺の自分より優れた体格の持ち主の中で、
なお勝ち続けるには自分はどうあるべきか?
それを考えぬいたからこそ、エナンがあるのではないでしょうか?
引退する前に気づいたことですが、サービスが変わりました。
力強くなったように思います。これも飽くことのないレベルアップへの執念でしょうか?
これが大切だと思います。試合に出る以上、
勝つことへの執念を失っては人間的に失格です。
メンタル面をしっかりとし自分を見失わないことが大切なのです。
くどいようですが、エナンがあの身体で世界NO1を堅持した力強さを知るべきです。
日本国内で、伊達と対して卑屈になるのは相手としての資格を失っているのです。
これでは、伊達も今が限度だし若手の女子選手も、
それ以上の期待を持つことは不可能でしょう。
そのような柵から抜けるように自分と闘って欲しいと思います。
<今月の言葉>
□ いろいろ苦労しました。でも、私立っています。
エリーゼ。ユーハイム
□ ネバーギブアップ。諦めなければ、道は開ける。
□ チャレンジするとき、技術的な壁は当然ある。
□ 自分に出来ることは限られている。自分独りでは何も出来ない。
盲目の研究者 浅川智恵子
□ 自分が今何をしたいか?まずは自分を知ることだ。
□ 限界とは、自分で諦めたとき。
□ 時には、捨てなきゃいけないプライドがある。
西鉄ライオンズ 工藤 公康
<新年ご挨拶>
明けましてお目出度うございます。
昨年1年間お付き合い頂き本当に有難うございました。心からお礼申しあげます。
テニスについては済ませたと思いますが、繰り返しチャレンジします。
また、今一つの継続理由は、過去のものを自分なりに纏めたいとも考えています。
重複や間違った表現の修正が目的です。
どれほど掛かるか分かりませんが、頑張ってみます。
テニスを思う気持ちは誰にも負けない思いですが、
自分なりの考えで進めたいと思っています。
他の方の技術説明は、それぞれですから批判するべきでないと思っています。
テニス愛好家の皆さんが、それぞれの考えを汲み取って頂き、
その中で自分のテニスを構築してもらえたら、これに優る喜びはありません。
これからも踏み台にして欲しいものです。
スポーツの世界に、ここまでと区切るものはないです。
そう思ってしまったら終りです。
尽きることのない探究心があってこそ、その選手を大きく育ててくれるのだと思います。
平成21年もいろいろありました。過去を振り返るのも良し悪しです。
すべて自分にプラスとなるものを習得しましょう。
ランクの上下ではなく、人間性を追求することです。
読者の皆さんから、励ましの言葉やご注意を頂きます。
心からのお礼を込めて当日中に返信させて頂いています。
頂いたもので気付かず返信してないものはありません。
基本的な考え方として、メールアドレスを公開している以上、
メールへの対応は社会常識的な判断で行うべきと思っています。
それが送信頂いた方への誠意ある態度と自覚しております。
どうぞ、今年もよろしくご支援くださいますようお願い申しあげます。
<昨年の出来事から・・・>
協会は、何故フェデカップで伊達を選んだのでしょう。
何故伊達は受けたのでしょう。外国との対抗戦は若手に取って貴重なものです。
目の前の栄光より若手の成長を求めて欲しかった。
伊達のテニスに対する心構えは素晴らしいと思います。
しかし、今こそ若手の成長を考えなければならないのです。
伊達や引退した杉山さんの今日をどう受け止めているのでしょう。
若手の試合を見ていて気づくのは、二人に対する気後れです。
すでに戦う前に負けているのです。
メンタル面の修正は、対外試合が一番効果的なのです。
いまの試合に勝つことが監督やコーチには最優先でしょう。
しかし、一方では先を見ることがなくてはいけないのです。
それをするのが協会の役目ではないのでしょうか?
これで、失うものがない立場にいる伊達が活躍したら、
若手選手は彼女たちとの試合では萎縮するだけでしょう。
自分の将来がある選手には今度の試合のプレッシャーは大変だと思います、
スポーツ界の違いと言えばそれまで、ゴルフで頑張れば億を超える賞金があります。
しかし、テニス界では世界に羽ばたかねば億と言う金額はありえないのです。
ゴルフ界も、男子はいままで閑古鳥が鳴いていました。
女子一辺倒だったのです。それが石川の出現で様変わりです。
このような事実を目の前にして関係者は何を考えているんでしょう。
大事なのは、際立ったトップを作るのではなく、底辺を広げることです。
一つの例として、試合時間を減少させるために3セットはあり得ないのです。
それで国際試合に勝てますか?
メジャーな試合では、連日3セットで行って居ます。
これに勝ち進むには、それ以上の練習が必要です。
それには日頃の鍛錬がなければその結果は明らかです。
先日も書きましたが、地区大会の優勝戦でセルジャッジが普通であるとする、
今のテニス界に疑問がわきます。
緊張感のない試合で好プレーを求める方が無理と言うものですね。
<地域の大会開催の意見とサービスについて>
今回はメモ帖の発行が大幅に遅れました。現在いろいろな仕事が重なり、
心ならずも遅延しましたことを心からお詫びいたします。
地方ではいろいろな大会が開催されます。
これらはテニスの大衆化を図るためには有難いことで、
多くの選手が希望を持って参加するような運営をお願いしたいものです。
なぜ、このような書き出しになったかは以下の理由です。
先日運動公園へ後輩の練習参加のため出掛けました。
ところが隣のコートで試合をしていたのが大会でした。
しかも、女子シングルスの決勝戦でした。
3児の母と高校2年生の対決と聞いて興味深く見ていました。
しかし、周囲には観衆は数人のみ、審判もない寂しい試合でした。
今は、決勝戦でもセルフジャッジになっているのでしょうか?
しかもシングルスというのにボールボーイもいません。
まるで、緊張感のない試合でした。
しかし、試合の内容は、最後まで離れるのを惜しむような素晴らしいものでした。
このような試合こそ、多くの方に見て欲しいものだと思いました。
おそらく観衆が多ければ、試合はどうなっていたか分からないほど
接近した試合になりました。
多くの眼が、メンタル面を変えたのではないかと思うほどです。
それにしても、決勝戦でボールボーイもいない。
セルフジャッジという試合があるのでしょうか?
このような扱いでは、テニスをしたいと思う若者はいなくなるでしょう。
さて、試合の内容ですが、一番のチェックポイントは、
サービス力の強化でしょうか?
3セットマッチで行われたこの試合で、サービスエースが一本もなかったのです。
両選手とも、サービスで相手を圧倒しようとするものがないのです。
特に高校生は長身でしたが、打球後の姿勢は身体が早めに折れ、
ボールに力が入っていません。
シングルスでは、サービス力が選手力を超えて左右するものですから、
見ていてその弱さに辟易していました。指導者は何を考えているんでしょう?
何度も言ってきたように、サービスは一人で練習が出来る。
それで他の選手と違いを生じる唯一のストロークなのです。強烈だけではないのです。
そのような見方をしていた試合終了後、後輩のサービス練習を見たのです。
それは見てはいけない物を見たように、ショックは大きかったです。もうデタラメです。
先ず、左足が右往左往してます。
最初に決めたらその場から動かしてはいけないのです。
次に動くのは、返球に対する動きなのです。
だから素晴らしいサービスとなるのです。
理屈から考えても分かるように、トスを上げるときには、
今の足の位置を考えて行っているはずです。
それで足を動かしていてはトスの位置が変わることをなぜ考えないのでしょう。
次いで、この動きのために殆どの選手が堂々とラインを踏んでいるのです。
ルール上で言うフットフォールトです。
これは1ポイント失うことを知っているのでしょうか?
サービスの練習を一つ取っても、それだけを練習すれば良いと言うものではないのです。
トスとの関係を更に見極めることが、サービスを更に良くするのです。
トスが思うようにいかないと、サービスのスイングが如何に良いものであっても、
的確に相手コートへ届くものではないのです。
すべてを自分なりに捉えることが必要なのです。
トスは、狙った相手コースに的確に届くように上げられるものです。
決して同じ位置へ上げるものではないのです。
だからこそ、その位置に対してスイングが行われるのです。
トスの大事さが、僅かな表現の中でお分かり頂いたと思います。
このトスを、どうすれば十分に生かせることができるかを考えるのが、
サーバーの役目なのです。
<全日本の決勝を見て>
全日本テニスを見ました。結果は奈良くるみの初優勝となりましたが、
甲乙付けがたい熱戦だったと思います。特に奈良の終始見せた粘りは感心しました。
17歳と言うことですが、スポーツの世界に年齢は関係ないです。
勝った選手が優秀なのです。あまり年齢を兎角言うのは相手に対して失礼ではないですか?
年齢を超えて必死に戦った結果を大事にしたいです。
何だか17歳の選手に負けちゃったという気持ちが感じられます。
マスコミの受け取り方に素直さが無いです。
この試合は見て、引き続く若い選手が更にやる気を起こしてくれればと思います。
それで初めて奈良が勝利した意味があるのではないかと感じるのは私だけでしょうか?
やはり、日本選手に欠けているものはハングリー精神ではないでしょうか?
見ていて必死なものが感じられないです。
特に勝っていながらのサービスサイドでのダブルフォルト。
これくらいやる気を失わせるものは無いです。
サービスは自分だけで練習が可能な唯一の技術です。
これを大事な時に失敗するのは考えれない大きなミスだと思います。
試合中の個々のプレーには、キラリと光るものが随所に見られましたが、
全体的にはある意味で淡白な引き付けるものが少ない試合だったようです。
如何に好調な奈良でも苦しむのではないかと思いましたが、
第1セットの経緯がそのまま後を引いてしまった試合は、
今後のことを考えると些か物足りなさを感じました。
<後輩の試合を見て感じたことーいつもの繰り返し???>
まず、ダブルスの基本が出来ていないです。
何度も言ってきましたが、ペア同士がバランスの取れた動きが出来ていないです。
前衛が何故いるのか後衛は何をしなければいけないのか?
このバランスが大事なのです。動きを相手に分かってはどうしようもないのです。
次に前衛はポイントを上げるためにいるのです。
と言うことは手を出す以上は決めなければいけないのです。
当てるだけなら手を出してはいけないのです。
ともかく意味のないポーチが多すぎます。
ダブルスで、前衛がサイドを抜かれるのは屈辱であることを忘れてはいけません。
サイドを抜かれると誰もサポート出来ないのです。
後衛が相手を苦しめて切羽詰った返球を角度を付けて打球すれば一発で決まるのです。
絶対に一打で決めると言う気持ちが大事なのです。
ロブは高さより上げるタイミングが大事です。
相手がポーチをしようと前進するタイミングで上げると有効な攻撃となります。
そのためにもロブはドライブとスライスを混ぜることです。
サービスでは、右腕がすべてのサービスで伸びていません。
これではスピードが出ません。身体を充分に使えてないのでもったいないです。
トスをもっと考えることです。
あれほどトスを上げると身体の軸がブレてしまい、肝心のところで力が入りません。
もっと身体の回転を上手く使うことを考えないといけません。
ストロークでは、厚いグリップで被せるように打球していましたが、
手先で打球していますからボールが軽いです。
もっとボールを引き付けて身体を使ったスイングをすることです。
二人に共通しているのは、攻められるとロブを多用することです。
これだけロブを使うならもっとロブを研究しなければいけません。
基本的には守勢ですが、タイミングよく使えば攻勢になるのです。
ボレーは、
ラケットのヘッドが手首より下にあります。
これでは力強いボールは打てません。
相手のボールの勢いを利用して返球するには
ラケットのヘッドを手首より上になくては駄目です。
繰り返しますが、ダブルスの前衛の動きは、難しいと考えるから動けなくなるのです。
まさか一人でカバーしなければと思っているわけじゃないでしょう。
動きの主体は前衛です。
特別に後衛が指示する以外は前衛が主導権を持ちます。
理由は後衛の動きを前衛が都度確認出来ないからです。
それをしっかりと認識して下さい。
確認することは物理的に可能ですが、ボールは相手からくるのですから、
前衛は後ろを気にするのではなく、絶えず相手を意識しなくてはならないのです。
前衛は、自分の前にボールが来たらネットにつめサイドを守ります。
ロブ等で頭上を越されたら直ちに反対側へ移動します。
この動きに後衛が対応すれば良いのです。
もし、サービスで前進するつもりなら、事前にサーバーがどのコースを狙うかを
前衛に伝えます。それにより前衛は行動を開始します。
コンビネーションが大事なのです。
単純に言えば、サービスサイドでは攻勢、レシーブサイドでは守勢、が
基本的なパターンです。その中で二人がどう対処するかが大事なのです。
互いにサポートするからダブルスは効果を発揮できるのです。
ダブルスの基本は、ダブルで相手に立ち向かう難しさを、
どれほどのコンビネーションで処理出来るかにあります。
シングルスに強い組合せでも勝てる保証はないのです。
現役中に、相手校でシングルでは5位6位のコンビに、
どうしても勝てなかった経験があります。
中学時代から7年間のコンビと聞かされて納得したものです。
これは、選手の性格的なものだけではなく、
相手の動きを察知して次への素早い変わり身は、「ア・うん」の呼吸であり、
説明をして理解できるものではありません。
だからと言って、それではどうやってそのような相手を見つけるかですが、
それは一方だけがいくら頑張っても駄目なのです。
互いにダブルスの基本を理解することです。
その上で、まず互いの特徴を考えながら、シフトを決めるのです。
フォアサイドかバックサイドか、前衛か後衛かなのです。
表現を簡単にするために「前衛」「後衛」とします。
「前衛」の特徴は、バックハンドに力があることです。
それはストローク・ボレー等オールラウンドに及びます。
「後衛」は、逆にフォアハンドに特徴を有することです。
その理由として、パートナーがサスポーであれば、
必然的に互いの持分は即決するのです。
これは、試合においてサイドをケアする意味合いがあるからです。
ペアが決まり、ダブルスの基本を認識することが出来たら、
次は試合に際して、どのような方法で対処するかを考えなければいけません。
それが試合に対する姿勢です。
試合は、アンパイアのプレーボール宣言で始まるのではなく、
試合前から既に始まっています。
単純に、時だけを追っていたのでは勝つことは難しいのです。
試合開始に伴い、軽い運動で身体を解すのは当然の行為です。
コートに入ると打球練習が始まります。このとき、天候状態を素早く把握します。
先ずは、風の状態でコート上でどのような動きをしているのか?
いずれが風上か風下か。その抵抗程度はどうなのか?コート上で舞うことはないのか?
次いで、太陽の位置があります。この位置判断はストロークでも大切ですが、
特にロブの使用については確実に把握する必要があるのです。これが試合を左右します。
始まるに際して、相手とのやりとりで大事なのが「トス」です。
これで、最初のやりとりが試合の行く末を占うことになるのです。
それほどのウエイトを占めています。
トスはサービスの選択権を意味します。負けた場合はコートを優先的に選択できます。
コートチェンジは奇数ですから、
太陽の位置を考えた時開始時は正面に太陽を置くべきです。
奇数でコートチェンジですから、太陽を正面にする戦いは減少するのです。
加えて、ロブの使い方を考えると、太陽を背にしたときその効果は倍増するのです。
これだけのことを、試合前に確認しあってその対処方法を考えれば、
後はこれらの自然現象を有効に使って、試合を優位に展開するべきなのです。
勝つためには、自然現象さえも自分の味方に付けるべきなのです。
どのようなことでも、自分に優位になることであれば
それを存分に使わなければいけないのです。
些細なことですが、あなたはコートへ入った時点で、
ネットの高さを確認したことがありますか、
ネットの高さや張りは大事なことです。必ず確認して欲しいものです。
試合前の作業を済ませ心を落ち着かせて、
相手を意識過ぎることなく自分のテニスをするための準備は出来たと確認し、
元気よく始めて下さい。
<ソフトテニスの練習を拝見して>
先日、中学のソフトテニスの練習を車で通過中に見ることがありました。
普段は何気なく頑張っているな、と思いながら走り去るのですが
今回はオヤッと言う感じでした。
もし、そのような練習を見たことがあると思われたら、
その内容について理由を教えて下さい。
その練習方法には、どうしても納得出来なかったのです。
それは、前衛のボレー練習でした。
サービスライン付近へ椅子を置いて選手が座り込み、
反対側のネット付近からの球出しに対して立ち上がりながらボレーをしてました。
率直な感想は、一体何のための練習なんだろうかとの疑問でした。
勿論、選手たちには説明しているのでしょうね、
球出しに対して淡々と打ち込んでいました。
椅子を置いたのは、椅子に座ることが目的ではなく、
球出しに対しての何かを求めたものと思われます。
僅かな時間でしたが、選手の姿からは分かりませんでした。
何故なら、その動作が決まりきった単純作業のように思えたからです。
新しいことならば、打球の方向や打球点を都度チェックするはずですが、
それもなかったのです。
考えてみて、そのような動作は椅子があるだけに邪魔であり、
折角の膝の動きが限定され、運動に大事な柔軟性を失うのではないかと懸念されるのです。
それより、試合中に練習で椅子に腰掛けた状態から次へのアクションまでに、
どのような動作の継続を考えているのか分からなかったのです。
お分かりの方教えて下さい。
全国的に、このような練習をしているのでしょうか?
ボールに対して目線が動くのは決して良いことではないのです。
座るために腰の緊張感が失われるのもどうでしょうか?
<紳士たれ>
サッカーのナビスコ杯優勝戦後の表彰式で、
優勝を果たせなかった川崎の選手態度が非難されました。
確かに、TV映像での彼らの動きは異常と思えました。
半ばふて腐れたような態度は、見ていて決して良いものではありません。
ガムを噛むなとは言いません。
ある面ではメンタル面を和らげる効果のあることは分かっています。
しかし、日本では公式の表彰式等でガムを噛むのは馴染めません。
郷に入れば郷に従うが鉄則です。
表彰式で、ガムを噛む理由は全く無いことを選手は知るべきです。
銀メダルでも掛けた方は、準優勝を祝って掛けてくれたはずですから、
粗末な扱いはするべきではありません。だが、周囲の叱正に早速の行動は良かったです。
問題提起をしたいのは、次の千葉戦いです。
論評では、警告なしの極めて紳士的な試合だったと。
その通りで、「やれば出来る」力を持っているのです。
やれば出来るのは、そのような認識を強く持てば可能なのです。
それが出来ないのは観衆に対する反逆行為です。
いつもそのような気持ちがあれば可能なのです。
紳士たれは、スポーツの中心に無ければなりません。
紳士たれは、相手を尊重することです。
負けた悔しさを超えた、相手を尊重する気持ちがあれば避けられたことです。
自分たちが優勝して、2位のチームからこのような行為をされたら
どのような気持ちになるか?
思いやりの気持ちに、上下は無いのです。もっと真剣に考えるべきです。
<ジュニアゴルファーの意識改革>
新聞の文面で知らされた文言です。今更としか言葉がない文言です。
付随している項目は、「目立つルール・エチケット違反」
「マナーより強くなること」「マナー向上に本腰」
持論として、ルールを知らないでプレーをさせるなと言いたい。
何度も言うように、ルールは競技する選手同士を平等に取り扱つかう基本なのです。
それを知らなくて競技に参加させるのが問題です、
今になってマナー向上に本腰というより、
試合前にテストをして応えられない選手の参加をさせないことです。
それでないと、ルールブックに眼を通すことは殆ど皆無に近いでしょう。
中途半端な習得でも、プレー出来ないことは無いからです。
だから真剣にならないのです。
そのコメントの中に、一番重要なのは保護者の意識とありました。
荒削りの突発的な、神童の出現は何処の世界でもあるものです。
成長すると普通の人になるのです。
保護者の甘やかしが神童を駄目にするのです。
残念なことにそれが分かった時には普通の人になるのです。
普通な人は競技社会で決して勝つことは不可能なのです。
その点で、感心するのはプロゴルファーの石川遼です。
勿論本人の選手生活維持も大変だと思いますが、
やはりご両親の彼に対する薫陶の素晴らしさを感じます。
どのような教育指導をされたかわかりませんから、
あえてここでは薫陶を使いました。
本当の教育指導は、その人柄を相手に知らしめることではないでしょうか?
先日、TV放映でプロコーチがテニスコーチの模範演技をしてました。
どのような内容なのかと見てみましたが、
なぜか主体は現役プロのフォームを模写をしながら説明していました。
しかも、念の入ったことでその説明通りに打つのですが、
どうしてこのような方法をするのか疑問です。
完全に真似ができないのですからどこかに無理が生じています。
彼らのフォームは、彼らが苦労して作り上げたものであり、
敢てTV放映等で紹介するのはどうでしょうか?
プロコーチが真似するのではなく本人の画像を見せた方がより効果です。
いずれにしても、些か腑に落ちない点があります。
しかも真似していながら、フォームが似てないとなるとポイントがずれて、
それこそ何を教えているのか分からないです。
プロのフォームを真似することは必要です。
模倣はレベルアップに不可欠な要素と思っています。
しかし、それをどうするかは、本人の問題ですから提案するだけに留めるべきです。
勿論、そのコーチもその通りにしなさいとは言いませんでした。
しかし、その良さを自分がフォームを真似てまでするべきではないと思われるのです。
私は一番苦手で殆どしたことはないのが、選手を集めた総括的な指導です。
これは苦手でした。人それぞれだと言う思いが強いので、
基本は教えますが個別に重点をおきます。
やはり、個別指導がコーチの基本だと思っています。
彼や彼女が基本の中から自分の身体に合ったスイングを見つけ出し、
それを自分のものにしようと必死で立ち向かう姿勢が嬉しいのです。
そこまで自分が努力すると、
後は一寸のヒントで更にレベルアップすることは間違いないのです。
コーチと共に進むのが一番良いのです。コーチの後を付いていては駄目です。
一番楽なのは、全員を集めて基本的なスイングを覚えさせて、
それを習得するまで同じことを繰り返す。
決して横道へ逸れてはいけない。そのような指導で英才が育つわけが無いのです。
英才を10人育てようとするのは無謀です。
しかし、努力をしている子供たちに差をつけてはいけません。
努力している子が、素直に育つようにアドバイスするのがコーチの本来なのです。
その中で、実力の差が出るのは致し方ないことです。
競争社会では絶対に避けられない道です。
それを怖がらないで進むから、抜きん出る活躍が期待できるのです。
伊達や杉山さんを育てたコーチは、どのような考えで対したのでしょうか?
本音を聞きたいのは、
同じレベルの中から飛び出ようとした二人にどう対応したかなのです。
本当に大事なのはそこからだと思います。
何故なら、飛び出てからは本人達への指導は特別となるからです。
全く同じ指導の中で、頭角を現した本人達をどう見極めたのでしょうか?
私の指導方針は将に本人次第です。基本は変わりません。
その時点での特殊な指導は無いです。ともかく基本の繰り返しです。
ですから、球出しをとても大切にします。
例えば、球出しをするとき、ボールにアンダースピンを掛けるか?
トップスピンを掛けるかで、その球質は全く変わります。
これらをその状況に応じて使い分けます。
これらを、瞬間的に判断し対応する感覚は、手取り足取りの練習も必要ですが、
必ずしも教えられるものではないのです。
これらの個人差は致し方ないと言えるでしょう。
外人選手から見ると、試合における日本選手は「ひ弱い」と判断されているようです。
これは体格から来るものではなく、試合運びを含めたメンタルな面でしょう。
前述したように、最近の日本選手の試合後のコメントを読むと、
相手のことばかりで自分がどのように闘ったかと言う積極的な内容は無いです。
要は自分だどう闘ったかです。
その中で、相手との接点を見出し、更に自分の長所を相手にどのように出し、
立ち向かって行けるかが出てくると思われます。試合は勝つことが全てです。
もう一度、このことを再認識してください。
伊達が考え出したライジングボールの処理などは、
よりスピーディに立ち向かえる日本選手にマッチしたストロークだと思います。
これらも、伊達が外国選手に勝ちたい気持ちが強いからこそ考え出された技術でしょう。
同じようなことをしていては、決して他を凌駕することは不可能です。
「学ぶ」は、「まねぶ」が変化したものだそうです。
同じ意味で、「先人の知恵を、冊子で読み取れるのは自分の人生に大きな存在となる」
があります。
すべて、学ぶ姿勢が齎すもので。この「まねぶ」は「まねる」で模倣と解釈できます。
先人の知恵を身に付けることは、先人の教えを真似たことになるのです。
このように、真似ることに積極的になって欲しいのです。
模倣は日本人社会では若干イビツな感覚がありますが、
良いものを真似るに臆することは無いのです。
一日遅れてしまいました。ごめんなさい。
日本で行われた大会を 続けて拝見し、メンタル面のひ弱さを感じました。
愚痴ばかりにな りますが、成長して欲しいです。
<日本選手の実力>
松岡以来の俊英と持て囃された錦織は、どのような練習をしていた分かりませんが、
あまりにもガラスの体躯と言えませんか?
いま世界に君臨している選手との違いは?
彼らの試合経験は、すざましいものがあります。勿論単純な比較は出来ませんが、
外的な面での成績や怪我の状況で実力判断するしかないのも事実です。
そうなると、錦織がどのような性格かは不明ですが、
そのプレースタイルは決して褒められたものではないです。
スポーツの世界では”紳士たれ”と言いたい。
希望は、早くカンバックし世界の強豪と完璧な姿で闘って欲しいです。
同じサーフェイスで闘うだけに、今の実力の違いはより明確になるのです。
怪我も実力のうちと言うなら、それによる敗戦は弁解の余地は無いことです。
プロは勝つことを目的に試合に参加します。それが生活に直結するからです。
試合現場で、サポータ等で身体を守っているのは、
闘う意志なしと判断するしかないのです。
試合を、放棄したことと同じだと判断するしかないのです。
怪我は、完治するまで試合への参加を遠慮すべきです。
怪我が、どのようなものかを詮索する気持ちはありませんが、
どのような内容であれ自己責任です。
試合に出たければ、身体を覆うものは衣服以外にあってはならないのです。
それとも、これだけ怪我をしているから、お手柔らかにと相手に訴えますか?
森上の引退宣言は当然でしょう。彼女の語った引退理由は誰しもが納得したでしょう。
でも、それは全く動くことが不可能だったための結論に不満があります。
ただ、同情すべきはサーフェイスの進歩と道具の変革だと思います。
スピードを要求したハードコートは、フットワークの柔軟性を拒否したと思われます。
それは、膝や足の筋肉に極端なほどの疲労的なダメージを与えたのです。
無理な急ブレーキが、どれほど身体に悪影響を与えるか誰も否定出来ないでしょう。
加えて道具の変革では、過去ラケット面を上手く使って、
相手の力を増幅させるワザがありました。
いまは手首が折れるほどの勢いでボールを叩いています。
僅かに数年前のテニスは、打球時点であれほど声を出すことはありません。
自分の力より、相手の力を如何に上手に使うかが勝敗のポイントだったからです。
そのような中で、日本選手が頑張っているのは感心しています。
しかし、男子の違いはどうしようも無いものを感じますが、僅かな希望は女子でしょうか。
その女子選手ですが、最近の試合後の感想を聞いてみると、
これでは勝てないだろうなと言う思いが強くなります。
他国の選手とどのように違うのでしょうか?
一番の違いはメンタル面です。まず、先輩に対しては引退しない以上勝てないこと。
戦う前に気持ちで負けているのです。これで勝てるわけが無いのです。
恐らく、自分がレベルアップして、
彼女達と肩を並べたときにやっと到達したと安心するのでしょう。
その安心感が、ややもするとひ弱さを感じさせるのです。
次いで、試合後のコメントの内容です。
「出来なかった」という恨み節の表現が多いです。
闘ったのは自分だ、と言う認識が薄いのではないかと心配です。
それが出来なかったことを考えるのは当然ですが、結果として考えるのではなく、
試合中にそれを考え実行できなかったのか、を知るべきではないでしょうか?
三番目に、プレー中の態度ですが、自分の不利を表しすぎです。
相手に感じさせてならないのは自分の不利な立場なのです。
相手はそれで更に優位になるのです。
世界のランク選手から学ぶものは、技術だけではないのです。
テニスを通しての人間形成は、特に敗戦の中から得ることが出来るのです。
我を忘れてはいけないのです。
杉山さんが引退しました。今後の後進指導に期待したいです。
自分が17歳でデビューした頃を思い出し、肩を並べる選手を輩出して欲しいものです。
それが、引退した選手の最大の務めではないかと思います。
勿論今のままでは出来ません。
解説者ではなく、コーチとしての勉強を身につけて貰いたいのです。
その観点から、がっかりしているのが伊達の態度です。
プロが、怪我や連戦の疲れから敗戦止むなし、
と言う記事が出てはプロとして失格です。辞めるべきです。
早く辞めて後進の指導に情熱を傾けて欲しいです。いまの伊達を見てると、
引退直後のキッズ教室は何だったのかと考えてしまいます。中途半端ではないでしょうか?
いま日本のテニス界は、伊達に振り回されるのではなく、
新しい選手を育成することが急務だと思います。時間はそんなにあるわけではないです。
今後の、テニス界に求めたいのは縁の下の力持ちです。
現実は、関係者の多くが縁の上でのパフォーマンスに精出しています。
縁の下の力持ちはいませんか?
どう考えても、プロが生活の糧となるラケットを、
コートに打ち付ける心情が分かりません。
あなたがラケットを持っていなければただの一般人です。誰も相手にしませんよ。
<東レ・テニス観戦記>
女子選手にとって、東レは自分の実力を示すに、格好の大会ではないかと思います。
いま現役の選手が、どの程度の関心を持って見つめているのでしょうか?
結果としては、相変わらずの戦績で応援する気力も無くなり、
ただ何となく他国の馴染みの無い選手を見ていました。
その上で感じるのはあまりの違いです。
決して良好な姿とは思えないのですが、
伊達や杉山の活躍は感心するしかないのも事実です。
二人の存在が、若い連中にどのような影響を与えているのでしょうか?
韓国で優勝した伊達が凱旋出場しましたが、
その結果は昨年の本番進出を阻まれたウオズニアクに敗戦でした。
その姿に痛々しさを感じたのは私だけでしょうか?
同じく杉山も同じ経過でした。
引退宣言をした杉山には、闘争心が失われていたのではないでしょうか。
体調の不調も、選手にとっては自己管理の一端です。
二人に続く選手が何故でないのでしょうか?
頑張っているシャラポアは22歳です。
伊達や杉山に続く選手を、彼女達が活躍していた時期に何故育成出来なかったのか?
これらは、テニス協会が大いに反省しなければならないのです。
東レから、伊達や杉山の年齢を超えた姿を、若手の選手に重ねてどう感じたのでしょうか?
愚痴ってばかりでは前に進みません。
これらは協会が本気で考えることであり、
わたしの本分はテニスに関心を持つ人達に、少しでも光を与えることです。
さて、若いと言うことはプレー自体を力強いものにします。
一打ごとに気合をかける方法に、それぞれ意見はあるでしょうが、
自然発生的と考えてはどうでしょう。
楽しみにしていたウオズニアッキが、体調不良で途中棄権となったのは残念ですが、
黙々とプレーするスタイルが気に入っているので、シャラポアとの対決が見たかったです。
やはり日本選手との違いは、バランスだと思いました。
テクニックでのバランス、メンタルでのバランス、
いずれの場合も相手を主体に行われていると思われます。
大きな違いはサービスです。
そのスピードよりも印象的なのは、ダブルフォルトの考え方でしょうか?
プロでダブルフォルト?の思いよりも、何故そうなるの?
これにはメンタルが左右すると思われます。
集中力が解説の中で何度と無く聞かされました。
ダブルフォルトの発生する現象はこれに尽きる気がします。
基本的に、サービスの強さは実力を左右します。
女子の場合はラケットを引かないで、直ぐ上にくるケースがありますが、
ボールの強さは後ろに引いた方が良いようです。
バランスを考えて大きく引くか、そのまま上げるかを判断しているように思えました。
コースを狙う場合や、強さを出すときでは異なってくるのは当然です。
特に気付くのは、2ndサービスは入れるだけでは駄目との意識でしょうか?
レシーブでクリーンエースを受けるよりは、ダブルフォルトを選んだのでしょうか?
これが、ダブルフォルト多発の理由かもしれません。
サービスは絶対的な優位となるショットですから、
ブレないメンタリティを自分のものにすべきでしょう。
他に気づくのは、下半身への負担でしょうか?
サーフェイスから来る下半身への過重は、選手の寿命を短くすると思われます。
あまりにも下半身の手当てが多すぎます。
このようなサーフェイスのテニスでは、すべてのバランスが調整できないと、
良いショットは生まれないと思います。面を作って押し出す時代ではないのです。
ストロークのリストワークは、
あれだけを見ると日本選手が外国選手と対等に戦う無意味さを感じます。
伊達・杉山が、何故戦ってこれたか検証すべきではないでしょうか。
若い日本選手の敗戦後のコメントは、
自分への振り返りより相手選手への思いが強すぎる気がします。
自分で信じたら、ブレないメンタリティを持続して欲しいです。
<今月の言葉>
□ どん底を味あわないと反骨精神は養えない。
□ 理想と現実に悩むことはあるが、勝つことが重要なのだ。
□ 練習の様子は誰にも見せない、良い所だけを見せるのがプロだ。
□ 今日始めて球場へ来た人、その人のために懸命になる。
□ 優越感を持つために練習をする。
□ 自分を追い詰めてゆく/納得しないと練習を続ける。
□ いつも基本を見つけ直す。
□ 良いことも悪いことも、全てを忘れてバッターボックスへ立つ、
バッターボックスへ立ったら自分は世界一と思う。
NHK放映 ON50年を振返って
<杉山の引退宣言と全米オープン>
9月11日に杉山の引退表明がありました。
応援しているのはウイズニアッキ19歳・新鋭進出でウダン17歳、
杉山もプロになったのは17歳でした。
引退の言葉は、
「イメージ通りの、テニスをするためのトレーニングを続ける自信が無い」
最高位8位から今年は70位に下がってしまったのです。
気になるのは、プレスで「鉄の女」が泣いたと言うコメントです。
心底「鉄の女」であれば、今の時期引退は無いでしょう。
表現が気の毒に思いました。
彼女の考えは別にして、最近のプレーで、あれほどの経験者が容易く?
ダブルフォルトをするのだろうか?これが不思議でならなかったのです。
サービスの、テニスにおける優位性は、誰も疑うことは無いと思います。
それほど歴然としているのです。この攻撃的なサービスの権利を充分発揮できないのです。
これが引退の一番の原因ではないかと思います。
それが技術的なものか心理的なものかは、杉山本人にしか分かりません。
第三者が粗雑に扱うものではないのです。
杉山に対しては、いままで随分厳しいことを書いてきましたが、
その実力は認めていました、だからこそ更なる飛躍を期待していたのも事実です。
しかし、思わぬ戦績に歯がゆさを感じていたのも事実です。
確かにある面では、伊達の華やかさは無く、
地面に足を下ろした選手として頼もしい思いはありました。
杉山が引退挨拶で語った。「瞬間的な動き」を大切にした思いは実感できます。
今回のダブルス敗戦も、その力を失ってゆく自分への苛立たしさだと思います。
これから勇姿を見られないのは残念ですが、
キッズやジュニアに眼を向けたいと語った杉山を信じて、
一層の頑張りを期待したいものです。
一方、日本女子の全米オープン本戦1回戦の戦績は折角の好機を逃し残念です。
勿論、本人達の悔しさは大変なものではないかと憶測出来ます。
特に、森田あけみは1−6・3−6でソラナ・チルステアに一方的な敗戦です。
スコアで感じるのは完敗であり、何も出来ないままの敗戦でしょう。
杉山愛は、試合の進め方が分かっていると言う感じです。
このような敗戦が一番堪えるでしょうね。
4−6・6−4・4−6でサマンサ・ストーサーでした。
期待した瀬間友里加は、6−4・1−6・2−6でアンナ・チャクペタゼでの敗戦でした。
自覚して欲しいのは、1セットを取った勢いが何故生かされないかです。
いずれにしても、本人達が一番感じていることでしょうが、
日本の選手に共通しているのは、メンタル面での弱さではないかと思うのですが・・・。
試合の参加が多くなれば、メンタル面は技術以上に身に付くものだと思いますが、
それが本当に自分を支えてくれるためには、意識の問題と思われます。
いずれにしても、メンタル面は他人がどうしようも出来ない範疇なのです。
方法論はいくらでも指導できますが、それを身につけるには本人の自覚なのです。
ダブルスでは、絶対の自信を持っている杉山・ハンチュコバが
3回戦で中国ペアに(6−4・4−6・4−6)で敗戦となりました。
杉山にはショックだったでしょう。
コーチは、自分をレベルアップしてくれるものではないのです。
自分のレベルアップに、プラスとなる行為をしてくれるだけなのです。
履き違えてはなりません。
前にも言いましたが、得意同士がペアとなるダブルスの強さは絶対的なものがあります。
でも、杉山は何故日本人とペアにならないのかと言う思いです。
考え過ぎかも知れませんが、今回優勝を期待された得意のダブルスで、
しかも中国ペアに敗れたことが、ショックだったのではないかと想像します。
<全米オープン・・・いま一つの出来事>
セレナ・ウイリアムズが、審判の判定に対して10,000ドル・ラケットを
コートに叩きつけて、割った行為に対して500ドルの罰金刑??です。
審判のミスは、同じ人間の行為として再確認する権利はプレヤーにあるのです。
しかし、結論が自分に不利だとしても、最終判定には従わなければいけません。
人間の行為にミスは発生します。判定が変わらないからと言って暴言は許されません。
審判が選手に「へたくそ、それでもプロか?」と言われたらどう思いますか?
セルフジャッジの基本は、
自分の判断が不明確な場合は、自分の判定に不利とするのは当然なのです。
それがスポーツマンシップではないでしょうか?
今回の件では、これによってセレナの敗戦が決定したようです。
戦いの場で、冷静さを失っては、その時点で勝利を失ったも同然だと思います。
いまひとつのラケットの処理ですが、プロとは道具で生きているのです。
その場に自分がいるのはラケットがあってこそ。そのラケットを折る行為は許せません。
現役時代は、1本のラケットをそれこそ手離せないほど大事にしていました。
いまのように消耗品という感覚はなかったのです。それほど大事なものでした。
自分の道具を、粗雑に扱う選手がトップクラスになることは皆無です。
一時的にはあるでしょうが、継続することは精神面であり得ないのです。
そのような意味で、今回のセレナに対する処罰は良かったと思われます。
これでセレナが目覚めることを期待すると同時に、後進へのアドバイスになればと思います。
それでこそ、今回の処置が本当に生きてくると思われるのです。
マナーが軽視されているいまの時代でこそ、更にその必要性を求めて欲しいのです。
09/9/1
<相変わらずの偏り報道の是非・・全米オープン本戦出場>
日本女子の全米オープンへの本戦出場が決まりました。
森田あけみ(69位)・杉山愛(71位)・瀬間友里加(予選通過ー170位)が
最終メンバーです。
いつも通りと言ってしまえばそれまでですが、男子の進出はありません。
錦織が肘の故障ですからやむを得ないのでしょう。
彼の故障については繰り返すのは止めます。
世界の中で、実力を発揮できるのは女子ではないかとの思いは、
相変わらず強いものが在りますが、伊達・杉山に追従しているようでは期待が持てません。
心身ともに、石川遼のようなタイプの選手誕生を願っています。
彼の日頃の行動を見ていると、
レベルを上げるたびに人間的に大きくなっている気がします。
下位にいても卑屈にならず、上位にいても傲慢にならない。
男子で言えばフェデラーのように、
女子では多くの選手にそのような姿を見ることが出来ます。
スポーツの観戦で、何より気持ちが良いのは、
「好漢愛すべき」の印象を与える選手ではないかと思われます。
マナーの悪い選手はいくら強くても唾棄すべき存在です。
閑話休題:
テニスの4大会とは、全豪・全仏・全英(ウインブルドン)・全米となります。
グラウンド・スラムは、この4大会全てに優勝することです。
全米は今年最後の大会となります。
全豪は、ハードコートでメルボルンで1月ごろ、
全仏は、クレーコートでパリーで5〜6月に、
全英は、グラスコートでウインブルドンで6〜7月に行われます。
全米は、ハードコートでニューヨークで8月頃に行われます。
グランドスラムを最強者とするのは、サフェイスが全て揃っているからだと思われます。
今年1回戦の相手は、森田がソラナ・チルスティア(24位)
杉山がサマンサ・ストーサ(15位)
瀬間がアンナ・チャウベタゼ(68位)となりました。いずれも強豪です。
全米オープンに、予選から参加した伊達は相変わらずです。
1回戦で何とか勝利したが、2回戦では途中で足の痙攣が発生し、
そのためかどうか敗戦となりました。
1回戦での勝利には、TVスポーツ番組での放映もありました。
それは勝利ですから納得出来ます。
しかし、伊達だけではなく他の日本選手も勝ち進んでいるのです。
伊達にも好い加減にして欲しいです。
足の痙攣など、現役時代にはとうてい考えられない行為でしょう。
それほどブランクは大きいし、伊達が一番知っていることです。
瀬間友里加が予選から立ち上がりました。
しかし、プレス表示は伊達敗退なのです。
何故、瀬間の勝利を喜んでやれないのか?
もう一勝すれば全米オープンの本戦出場なのです。
31日の新聞に、瀬間の本戦出場が小さな囲みで掲載されていました。
スポーツの世界で、予選を通過することが
どれほど厳しいかをどれほどの人が分っているのでしょう。
皮肉な表現ですが、これが伊達ならどれほどの大きさの記事だったでしょう。
有名人だから大きく掲載するのでは、懸命に頑張っている無名の選手は浮かばれません。
日曜日に放映される「サンディ・スポーツ」という番組があります。
スポーツを大事にする番組ですから楽しく拝見しています。
この中で張本氏が偏った放映を批判しています。
それは正論だと思います。根本にあるのは、名前で放映を決めるのではなく、
実力を重視して欲しいと言うものでした。
確かに優勝者を蔑ろにする放映の多いのが目立ちます。
NHKでもそれは平気で行われています。
プロ野球でも、先ずは大リーグが優先されます。
日本の野球から、スピンアウトしている選手をそこまで追い掛ける必要があるのでしょうか
最近では、田沢投手の場合ですが、日本でも新人選手が輩出されていますが、
何故彼だけをそれほど放映する必要があるのでしょうか?
スポーツの世界は実力であるべきです。
伊達についての進言です。
無様な姿を残すより、後輩のためにやり残したキッズのために、
自分の参加は諦めて欲しい。いま一番にして欲しいのはコーチの養成です。
高校生中心から、中学生・小学生・キッズへとブレークダウンした指導が
どれほど望まれているか?
先生は、教室内での指導に終始し、とても課外活動まで手が回らないのが現状です。
世界へ通用する選手の養成は、小学校では遅すぎるのです。
勿論年齢で差をつけるのは一般論であり、
誰にでも世界にチャレンジする権利は持っているのです。
世界へ向かう選手により正しい道を付けるには、
テクニックだけの指導では満足する結果は生まれません。
メンタルな面からの人間性を考慮した指導が必要なのです。
<今日の言葉> (スポーツ選手の言葉から)
□ 自分の中の揺ぎ無い真意の確認
□ 失敗した中で問題点が見えてくる
□ これで良いと言うことはない
□ 延々と基礎練習だ (ボルト選手の言葉)
□ もがき苦しんだ経験は未来の糧になる
□ 人生は、すべて上手く行くようには出来ていない、しかし、明日は誰にでもある
□ 視点を変えれば、必ず光は見えて来る
□ どん底から立ち上がって、更に大きくなる
09/8/15
<技術の鍛錬と心の鍛錬>
錦織が全米オープン欠場の報がありました。
その理由は疲労骨折した右ひじを緊急手術したため、
6〜8週間が必要との結果発表で今年度最終の大会への欠場が決まったのです。
それと同時に世界ランキングが発表になり、
103位から一つランクを上げ102位と発表されています。
殆ど試合に出ていない選手が、何故ランクアップされるのか・・・。
いずれにしても、錦織の右ひじがどの程度完治するかは不明ですが、
この過酷な世界で手術までしてのカンバックが可能なのか?非常に不安が残ります。
いま、必死で肘の回復に向かっている、リハビリ中の錦織を思うとき
右ひじの故障は無念で仕方ないと思われます。
彼には酷だと思いますが、昔から言い伝えられた言葉があります。
「無事これ名馬」をいま一度振り返ってみます。
誰しも怪我をしようと行動するわけではありません。
それだけに、いままで必死で努力した彼の悔しさはいかばかりかと思われます。
しかし、怪我も鍛錬一つではないでしょうか?
怪我をしたら自分らしさは発揮できません。自分が自分でなくなるのです。
選手にとってこれほど悔しいものは無いです。
今回の疲労骨折はどうして起きたのでしょう。別段の解説は不要と思います。
年齢的にも大切な時期の、練習や試合への参加に加えて
エア・ケイ(エアショット)ではないでしょうか
あまりにも騒ぎすぎる日本のマスコミ界、
視聴率が上がれば・新聞が売れればという中で、
将来の展望を踏まえた英才教育を受けてない若者が方向を間違えるのも無理ないです。
「エア・ケイ」が、どれほど肘に負担をかけるかコーチや指導者に
分からぬはずがないのです。
将来性のある若者を、より高めに置くには厳しさも指導の一端です。
大人の分ったような分別に委ねてはいけないのです。
英才は何人も生まれるものではないだけに、好漢自重されたしと言いたいのです。
若者で石川遼は抜群だと思われます。
彼も立派ですが、そのような教育をしたご両親に対して敬意を表したいです。
錦織は、試合中に自分の携帯を鳴らしマナー違反となっています。
選手としての最低常識ではないですか?
しかし、何とかして彼にはカンバックして欲しい。
勿論引き続く俊英たちにも後続して欲しい。
しかし、忘れてならないのは競技に勝つことだけではないことです。
双葉山が心境を語って「いまだ木鶏足り得ず」との言葉は、
人間いつも修行であることを物語っています。
一時的な勝利に、我を忘れるようでは名選手ではないのです。
スポーツを志す人が、何より大切にしなければいけないのがメンタル面です。
技術面は繰り返す練磨で、ある程度のレベルアップは可能なのです。
しかし、メンタル面は自分がその気にならなければ習得できないのです。
しかも、その気になっても簡単に習得できるものではなく、
技術以上に必要な「心の鍛錬」なのです。
この心の鍛錬で大切なことは、謙虚な気持ちをどれほど持ち続けるかにあります。
どれほどの成績を上げようとも、次のレベルに挑戦するから謙虚な気持ちになるのです。
謙虚な気持ちとは、自分を卑下するものでもないのです。
自分の成績にはいつも胸を張ればいいのです。
しかし、胸を張るのは満足することではないのです。
不思議なもので、ある程度の成績に満足すると、トップに君臨したと誤解するのです。
それで謙虚な気持ちが消えて、自己満足し得意な表情と変わるのです。
<今日の言葉>
プロ選手からの言葉
□ いままでやったことのないことは出来ない。
単純にいままでやって来たことをするだけだ。
□ 夢を語って暗くなることは無い。
□ 「まあいいか」は成長を止めてしまう。
□ 強烈な思いは必要である。
□ 「思いは」意地でも形にする。
□ 心技体が充実して始めてプロと言える。
□ 信念を持って進み、夢を持ちどんな困難にも突き進む。これがプロ。
□ 夢は忘れない。
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